第六話「スキルが、少し変わった」
朝、目が覚めた。
天井を見た。
染みが三つ。
いつもと同じだ。でも今日は何か違う感じがした。
うまく言えない。
体の中が、少し変わった気がした。
気のせいかもしれない。
起き上がって、手を見た。
同じ手だ。変わっていない。
……まあ、いい。行動しながら確認する。それが俺のやり方だ。
食堂に降りると、マユミがもう席についていた。
珍しい。いつも俺の方が早い。
「今日は早いですね」
「眠れなかった」
「何かありましたか」
「別に。なんとなく」
マユミはスープを飲みながら、どこか遠くを見ていた。
聞かなかった。
聞いてほしいときは、向こうから話す。そうじゃないときは、隣にいるだけでいい。
それも現場で覚えたことだ。
食事を終えてギルドに向かった。
掲示板の前に立ったとき、マユミが隣に来た。
俺は緑の紙を確認した。
昨日と同じ薬草採取。それから新しい依頼が一件。「街道沿い西側、川手前の草地で薬草採取。五束。報酬銅貨十枚」。
昨日の依頼より少し高い。
西側の草地。ミルヴァの地図で確認した範囲だと、グラストアの出没域から外れている。川の手前なら足場も悪くない。
「こっちにしますか」
マユミに紙を見せた。
「西側か。昨日より遠いな」
「でも単価が上がります。それに西側はグラストアの報告がない」
「行ったことはあるか」
「ないです」
「私もない」
二人で地図を確認した。ミルヴァから買ったやつだ。
距離は南門から徒歩二十分ほど。街道沿いなら迷わない。撤退路も確保しやすい。
「行きましょう」
マユミは頷いた。
西の街道を歩いた。
朝の光が石畳を照らしている。風が柔らかかった。
しばらく歩いて、俺はマユミを見た。
隣を歩いている。
その瞬間、何かが変わった。
違和感、というほどではない。
ただ、マユミを見たとき、いつもと少し違うものが見えた気がした。
性別、女。それはわかっていた。
でも今日は、それに加えて、もう一つ何かが。
……なんだ。
俺は目を細めた。
うまく焦点が合わない。靄がかかったような、輪郭がぼやけたような。でも確かに何かがある。
やめた。
強引に見ようとするものじゃない気がした。
草地に着いた。
川の手前。草が深い。朝露が残っていて、足元が湿っている。
俺は全体を見渡した。
見通しは悪くない。森まで距離がある。逃げ場は確保できる。
「始めましょう」
採取を始めた。
西側の薬草は、南の草原と少し種類が違った。
紙の絵と見比べながら丁寧に確認する。焦らない。一束ずつ確かめる。
マユミが声をかけてきた。
「なあ、ヒコ」
「はい」
「今日、なんか変な顔してるぞ」
「変な顔ですか」
「うん。ぼんやりしてるというか、何か考えてるというか」
俺は少し考えた。
「体の調子が少し違う気がして」
「大丈夫か」
「悪い感じじゃないです。ただ、何か変わった気がして」
マユミはしばらく俺を見た。
「飯は食えてるか」
「食えてます」
「睡眠は」
「取れてます」
「なら大丈夫だろ」
それで終わりだった。
マユミの判断は速い。でも今回は、その速さが心地よかった。
一束目を見つけた頃。
またあの感覚が来た。
マユミが近くにいた。
俺は意識的に、マユミの方を見た。
女。それはわかる。
それから、もう一つ。
輪郭がぼやけていたものが、少しだけ形を持ち始めた。
冒険者。
その言葉が、頭に浮かんだ。
いや、正確には言葉じゃない。
なんとなく、そういう雰囲気が見えた。感じた。革鎧を着ているから、というだけじゃない。もっと内側から来るような、そういう何かが。
俺は一度目を閉じた。
深く息を吸った。
開けた。
まだある。
消えていない。
昼前に五束が揃った。
マユミと二人分、合計十束。
帰り道、俺は少し黙って歩いた。
マユミが横から覗き込んできた。
「まだぼんやりしてるな」
「考えごとをしていました」
「何を」
俺は少し迷った。
「……自分のスキルについて」
「スキル? お前、スキルあるのか」
「あります。ただ、あまり役に立たないやつです」
「何のスキルだ」
「見るだけのスキルです」
マユミはしばらく黙った。
「見るだけ、って何が見えるんだ」
「今のところは……よくわからないんですよね」
嘘ではなかった。
見えているのか、感じているのか、俺自身まだわかっていない。
「なんだそれ」
「なんですかね。でも今日、少し変わった気がして」
「変わったって、何が」
「もう少し見えるようになった気がします。何が、とはまだ言えないですが」
マユミは俺を見た。
「……それ、いいことか」
「たぶん。悪い感じはしないので」
「そうか」
それだけだった。
深追いしなかった。
マユミのそういうところが、俺は好きだ。
ギルドに戻って報酬を受け取った。
二人分、銅貨十枚ずつ。
受付の女性に報告した。西側草地の状況。薬草の群生場所。足元が湿っている箇所。
「相変わらず丁寧だな」
「癖なので」
「いい癖だ」
宿に戻る途中、情報ギルドに立ち寄った。
ミルヴァがいた。
書棚の前で何かを読んでいた。俺たちを見て、にこりと笑った。
「おかえり。今日は西側に行ったのか」
「情報が早いですね」
「仕事だから。どうだった」
「問題なかったです。ただ、一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「スキルというのは、成長しますか」
ミルヴァは少し目を細めた。
「する。使えば使うほど、経験を積むほど、開花するスキルが多い」
「最初は何もわからなくても」
「最初はそういうものよ。種は土に埋まってる間、何も見えないでしょ」
俺は少し考えた。
「種、か」
「何のスキルか聞いてもいい?」
「可視化です」
ミルヴァは少し黙った。
笑いが消えた、というわけじゃない。でも目が、少し変わった。
「可視化……ね」
「何か知っていますか」
「少しだけ。珍しいスキルよ、それ。持ってる人間をあまり見たことがない」
「役に立たないスキルですか」
ミルヴァはしばらく俺を見た。
「逆よ。使いこなせれば、たぶん一番怖いスキルの一つ」
それだけ言って、また本に目を戻した。
話は終わり、ということだ。
宿に戻った。
マユミと食堂で夕食を食べた。
豆のスープと黒パン。それから今日はチーズが少し出た。
マユミがチーズを一口食べて、少し目を丸くした。
「珍しい。チーズなんて」
「マルティナさんのサービスですかね」
「なんで」
「さあ。でもマルティナさんは、たまにそういうことをしてくれる気がします」
マユミは少し考えた。
「……いい人だな」
「そうですね」
俺はチーズを食べた。
塩気が強かったが、美味かった。
ふと思った。
今日の夕食代も、まだマルティナに立て替えてもらっている。
早く返さないといけない。
でも今日は西側の草地で銅貨十枚を稼いだ。昨日より単価が上がった。
少しずつ、前に進んでいる。
夕食後、マルティナに声をかけた。
「今日で何日分ですか。立て替えてもらってる分」
マルティナはカウンターを拭きながら、帳簿を確認した。
「六日分。宿代と夕食合わせて、銅貨二百三十七枚」
俺は数字を聞いて、少し止まった。
「わかりました。必ず返します」
「急がなくていい」
「急ぎます。借りたものは早く返す方が気持ちいいので」
マルティナは少し笑った。
「そういう子供は信用できる」
「子供じゃないつもりですが」
「体は子供だろ」
言い返せなかった。
部屋に戻って、収支を計算した。
累計借金、銅貨二百三十七枚。
今日の収入、銅貨十枚。
まだまだだ。
でも今日、スキルが動いた。
冒険者という大まかな何かが見えた。感じた。
ミルヴァは「一番怖いスキルの一つ」と言った。
今の俺にはまだ、性別と、ぼんやりとした職業の雰囲気しかわからない。
でも種は土の中にある。
芽が出るのは、もう少し先だ。
焦らない。
現場は急いで作るものじゃない。
目を閉じた。
第六話「スキルが、少し変わった」 了




