第四話「段取り八分、残り二分は魔物が決める」
朝、食堂に降りたらミルヴァが座っていた。
宿の客じゃない。それでも当然のように席につき、マルティナの出したお茶を飲んでいた。
俺を見て手を上げた。
「おはよう。ちょっといい?」
昨日会ったばかりだ。
もう顔なじみのような振る舞いをしている。
この人は距離の詰め方が上手い、と思った。意識的にやっているのか、天然なのか。たぶん両方だ。
「どうぞ」
向かいに座った。
「グラストアの件、続報が入った」
ミルヴァは声を落とした。
「昨日の夕方、街道沿いの東端でも目撃情報が出た。つまり行動範囲が広がってる」
「西側は」
「今のところ報告なし。でもいつそっちに来るかはわからない」
俺は少し考えた。
西側で採取を続けるのは、リスクが上がっている。でも完全に草原を避けると収入が止まる。
「冒険者ギルドは動きますか」
「今日の午後に討伐依頼が出る予定。Dランク以上が対象」
「俺たちは対象外ですね」
「うん。だから教えに来た。今日の採取はやめておいた方がいいと思って」
俺は頷いた。
「ありがとうございます。助かります」
「お礼は情報で返してくれればいい。あなたたち、現場から上げてくる報告が正確だから」
正確、という言葉を使った。
この人は情報の質を見ている。
マユミが食堂に降りてきた。
ミルヴァを見て少し目を丸くした。
「また来たのか」
「また来た」
「なんで」
「用があったから」
マユミは俺を見た。俺は状況を簡単に説明した。
マユミは椅子を引いて座った。
「じゃあ今日は草原に出ないのか」
「出ない方がいいと思います」
「でも収入が」
「一日休んでも死にません。グラストアに突進されたら死ぬかもしれない」
マユミは黙った。
ミルヴァがくすりと笑った。
「この子、面白いね」
「面白くないです。普通のことを言ってるだけです」
「その普通が、案外できない人間が多いのよ」
今日の計画を立て直した。
草原には出ない。代わりに何をするか。
まずギルドで情報収集。次に街の地図を買う。それから武器屋と防具屋を見ておく。今の装備の確認だ。
マユミに話すと、少し顔が曇った。
「お金がなあ」
「見るだけでいいです。買わなくていい」
「見るだけか」
「今の自分に何が足りないかを把握するだけで十分です。買うのは後でいい」
マユミはしばらく考えた。
「……まあ、いいか」
ミルヴァが口を挟んだ。
「武器屋ならギルドの裏の通りにあるのが安い。鍛冶ギルド非公認だから品質にばらつきはあるけど、見るだけなら十分」
「ありがとうございます」
「情報ギルドに来たら、街の地図もあるよ。一枚銅貨三枚」
俺は即決した。
「買います」
情報ギルドは、大通りから二本入った路地にあった。
看板は小さい。目立たないようにしている。
中に入ると、書棚が並んでいた。書類。地図。巻物。整然としているが、量が多い。
ミルヴァが棚から地図を取り出して渡してくれた。
広げた。
アーゼルタウンの全体図。城壁の内側と外側。街道。森。草原。川。魔物の出没域が色分けされている。
「この色分けはどういう意味ですか」
「赤が高危険。黄色が中危険。緑が低危険。白は未確認」
「更新頻度は」
「週二回。ただし緊急情報は随時」
俺は地図を丁寧に折り畳んだ。
銅貨三枚を払った。
これは安い。現場の設計図を買うと思えば、破格だ。
武器屋を見て回った。
マユミは短剣を何本か手に取って、重さを確かめていた。
俺は店内を見渡した。
剣。短剣。槍。弓。それから防具。革鎧。胸当て。手甲。
全部、今の俺には縁がない。
でも値段は見た。
青銅の剣、銀貨一枚。鉄の剣、銀貨三枚。
銀貨一枚は銅貨百枚。今の俺には遠い数字だ。
でも遠い、というのは今の話だ。
いつか届く数字として頭に入れておく。
店主が俺を見た。
「何か探してるか」
「見ているだけです。参考に」
「参考?」
「将来買うときのために、相場を把握したくて」
店主は少し笑った。
「変わった子供だな」
「よく言われます」
昼前に宿に戻った。
マルティナが厨房で何か作っていた。
いい匂いがした。
「今日は早いね」
「草原に出るのをやめたので」
「賢い判断だ。グラストアが出てるのは知ってるよ。毎年この時期は気をつけないといけない」
「毎年ですか」
「そう。春から初夏にかけて、縄張りを広げる季節なんだ。慣れた冒険者は草原を避けるか、ちゃんとした装備で挑むか、どちらかにする」
俺は頷いた。
「それ、もっと早く知りたかったです」
マルティナは笑った。
「聞かない子には教えない。あんたは聞くから教える」
「今後も教えてください」
「ご飯をちゃんと食べてくれれば、教えるよ」
午後、宿の食堂で地図を広げた。
マユミが向かいに座った。
「何してる」
「確認作業です。この街の周辺環境を整理したい」
「一緒にやるか」
「お願いします」
二人で地図を見た。
街から見て、南が草原。東と北が森。西が荒野と川。
「採取できる場所は」
「草原と、森の入り口付近。川沿いにも薬草が生えるらしい」
「川は行ったことあるか」
「ないです。距離はどのくらいですか」
マユミは地図を指で辿った。
「街道沿いに西に歩いて、三十分くらい。でも川沿いは足場が悪い」
「魔物は」
「川には水系の魔物がいる。小さいのもいるが、大きいのもいる」
俺は地図にメモを書き込んだ。
マユミが俺のメモを覗き込んだ。
「字が上手いな」
「書く仕事が多かったので」
「子供のくせに」
「……まあ」
誤魔化した。
夕方近く、ギルドに立ち寄った。
グラストア討伐依頼の結果を確認するためだ。
受付の女性が教えてくれた。
「午後の討伐隊が出た。Dランク四人。今のところ一体確認、交戦中」
「負傷者は」
「まだ報告がない。たぶん大丈夫だと思うけど」
「わかりました。ありがとうございます」
帰り際、掲示板を確認した。
新しい緑の依頼が出ていた。「街壁周辺の雑草除去補助。街の作業員と一緒に。報酬銅貨十五枚」。
面白い依頼だと思った。
街の外に出ない。安全が担保されている。街の人間と接触できる。
明日、草原の状況が落ち着いていなければ、これを受けよう。
紙をマユミに見せた。
「どう思いますか」
マユミは少し顔を作った。
「草むしりか……」
「草むしりです」
「冒険者がやることじゃない気が」
「でも銅貨十五枚は悪くない。安全な場所で。接触できる人間の幅も広がる」
マユミはまた黙った。
「……まあ、いいか」
「ありがとうございます」
「お礼を言うな、なんか変な感じがする」
夜、食堂が賑やかになった。
討伐隊が戻ってきた。
四人。全員無事。グラストアを二体仕留めたらしい。
食堂が一気に明るくなった。酒が出た。笑い声が上がった。
俺はその端で、スープを飲みながら見ていた。
マユミが隣に来て座った。
「楽しそうだな」
「そうですね」
「あんたは混ざらないのか」
「俺は今日、何もしてないので」
「それは関係ないだろ」
「関係ないですか」
「何もしてない日も、生きてた。それは貢献だと思う」
俺は少し考えた。
マユミの言い方は荒っぽいが、内容は正しかった。
今日休んだのは正しい判断だった。でも休んだことで、情報を整理できた。地図を手に入れた。明日の段取りができた。
「そうですね。そういう日も必要だ」
「でしょ」
マユミは酒を一杯だけもらって、ちびちびと飲んでいた。
俺は飲まなかった。子供の体だから、というのもある。でもそれよりも、酒で判断を鈍らせたくなかった。
現場でも、翌日に現場がある夜は飲まなかった。
部屋に戻って、今日の収支を確認した。
収入、銅貨ゼロ。支出、銅貨五十三枚(地図代込み)。
完全な赤字だ。
でも地図は資産だ。一度買えば使い続けられる。今日の赤字は先行投資だと考える。
現場の仮設費用と同じだ。最初にかかるが、後で回収できる。
それに今日、俺はいくつかのことを学んだ。
グラストアは毎年この時期に縄張りを広げる。川は西に三十分。週二回、地図が更新される。マルティナは聞けば教えてくれる。ミルヴァは情報で繋がれる。
数字にならない収穫は、確実にあった。
明日は草壁周辺の草むしりだ。
銅貨十五枚。地味な仕事。でも確実な仕事。
それでいい。
目を閉じる前に、窓の外を見た。
城壁の上、見張りの灯りが動いている。
今夜も誰かが街を守っている。
俺はまだ守る側じゃない。でもいつかはそっちに行く。
今はまだ、守ってもらいながら、少しずつ力をつける段階だ。
焦らない。
現場は急いで作るものじゃない。
目を閉じた。
第四話「段取り八分、残り二分は魔物が決める」 了




