第二十三話「Dランクへの道と、アーヴィンの影」
月曜日の朝。
目が覚めた。
借金が消えた翌週だ。
体が軽かった。
気のせいかもしれない。
でも、毎朝頭の隅にあった数字がなくなった。
それだけで、朝の空気が違う気がした。
食堂に降りた。
マユミがいた。
「おはよう」
「おはようございます。今日は顔が違いますね」
「そうか」
「すっきりした顔です」
「借金がなくなったから。毎朝、なんとなく重かったのが取れた感じがする」
「わかります。俺も同じです」
マユミは少し笑った。
「借金ってのは、数字だけじゃないんだな」
「そうですね。頭の中に居座り続ける」
「現場仕込みか」
「そうです。未払いの下請けがいると、現場の空気が重くなります」
マルティナが朝食を出した。
今日から三食込みの月極だ。
朝食がいつもより少し豊かだった。
目玉焼きとスープとパン。それから小さなチーズが一切れ。
「月極になったから、少し変えた」
マルティナが言った。
「三食ちゃんと食わせる。それが月千枚の中身だ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。残さず食え」
チーズを食べた。
塩気が強くて、美味かった。
ドガンの仕事を終えて、ギルドに向かった。
受付に顔を出すと、セリウスが来た。
「ヒコさん、少し時間はありますか」
「はい」
端の席に案内された。
向かいに座った。
「Dランクの話です」
俺は少し身を正した。
「Dランク昇格の条件が、ほぼ揃いつつあります」
「ほぼ、というのは」
「依頼の達成実績、管理業務の就労実績、これは十分です。残るのは戦闘技術の確認です」
「戦闘技術の確認、というのは」
「簡単な実技試験です。魔物と模擬的に対峙して、最低限の対処ができるかどうかを見ます」
俺は少し考えた。
「俺は前衛として戦えません。それでもDランクになれますか」
「Dランクに、戦闘専門である必要はありません。安全に行動できるかどうかを見ます。逃げる判断ができるか、仲間を守る行動が取れるか、状況を把握して適切に動けるか」
「スキルを使った情報提供も、評価対象になりますか」
「なります。先週の討伐と調査、セリウスが確認しました。あなたのスキルの実戦運用は、Dランクとして十分機能していると判断しています」
俺はしばらく考えた。
Dランクになれば、依頼の幅が広がる。
危険区域の小規模討伐が受けられるようになる。
報酬も上がる。
「試験を受けます」
「わかりました。来週の水曜日、いかがですか」
「問題ありません」
「マユミさんも一緒に受けますか。彼女の実力はDランク相当だと判断しています」
「マユミさんに伝えます」
「よろしくお願いします」
セリウスは立ち上がりかけた。
俺は一つ聞いた。
「試験の内容を、事前に教えてもらえますか」
セリウスは少し目を細めた。
「事前に教えてほしいのですか」
「段取りを組みたいので。内容がわかれば、準備できます」
セリウスは少し間を置いた。
それから、小さく笑った。
「実技は三部構成です。状況判断、情報共有、そして対処行動。詳細は来週の朝にお伝えします」
「ありがとうございます」
「準備してくる人間は、たいていいい結果を出します」
セリウスは立ち上がった。
去り際に一度だけ、ギルドの入り口の方を見た。
俺もつられて見た。
入り口に、人影があった。
一瞬だった。
でも、確かに見えた。
背が高い。革鎧を着ている。腰に長剣。
それだけでわかった。
ただ立っているだけなのに、存在感があった。
次の瞬間には、消えていた。
俺は受付に向かおうとした。
そのとき、マユミが入ってきた。
午前の採取を終えて戻ってきたらしかった。
入り口を通りながら、少し立ち止まった。
外を一瞬見た。
それから、俺のところに来た。
「今、入り口に誰かいたか」
「見ました。背が高くて、長剣を持っていた」
マユミは少し黙った。
「アーヴィンだ」
俺は少し止まった。
「アーヴィン、というのは」
「謎の放浪剣士だ。ここには滅多に来ない。でも、たまに姿を見せる」
「知っているんですか」
「顔は知ってる。話したことはない」
「どんな人間ですか」
マユミはしばらく考えた。
「強い。それだけわかる。でも、何をしているのかわからない。一人で動いていて、パーティを組まない。依頼を受けているのかどうかも不明だ」
「セリウスさんが、入り口の方を見ていました」
「セリウスさんが?」
「俺がアーヴィンに気づいたのは、セリウスさんが見たからです」
マユミは少し考えた。
「セリウスさんとアーヴィンに接点があるのかもしれない」
「そうかもしれません」
「気になるか」
「気になります。でも、今日のところは情報が少なすぎます」
「ミルヴァさんに聞くか」
「後で聞いてみましょう」
マユミは頷いた。
「それより、セリウスさんから話があったんだろ。何だった」
「Dランクの試験の話です。来週の水曜日です。マユミさんも一緒に受けませんか」
マユミは少し目を輝かせた。
「Dランクか」
「セリウスさんがマユミさんの実力はDランク相当だと言っていました」
「そうか」
「受けますか」
「受ける。当然だ」
即決だった。
マユミらしかった。
昼過ぎ、情報ギルドに立ち寄った。
ミルヴァがいた。
書棚の前で何かを確認していた。
「おかえり。今日は何を調べに来た」
「アーヴィンについて聞きたいです」
ミルヴァの手が止まった。
振り返った。
「アーヴィンを見たのか」
「今日、ギルドの入り口に一瞬いました」
「一瞬、ね」
ミルヴァは少し考えた。
「情報料は取る。いいか」
「いくらですか」
「内容による。まず何を聞きたいのか言ってくれ」
「どんな人間か。セリウスさんとの関係。この街に何をしに来るのか」
ミルヴァはしばらく俺を見た。
「三つで銅貨三十枚。高いが、それだけ情報が少ない人間だということだ」
「払います」
銅貨三十枚を出した。
ミルヴァは受け取って、椅子に座った。
「アーヴィン。年齢は二十五歳前後。出身不明。Aランク相当の実力があると言われているが、正式な登録はEランクのままだ」
「なぜEランクのままなんですか」
「ランクアップを拒否しているから。理由は不明」
「セリウスさんとの関係は」
「過去に一緒に依頼をこなしたことがあると言われている。ただし、詳細は非公開だ。セリウスさんがアーヴィンの情報を意図的に閉じている」
「閉じている、というのは」
「情報ギルドに照会が来ても、セリウスさんが止める。それだけのことをする理由が、アーヴィンにはある」
俺は少し考えた。
「この街に何をしに来るんですか」
「わからない。たまに来て、すぐ去る。誰とも話さない。でも必ず、何かを確認してから去る」
「何を確認しているんですか」
「それが三十枚の限界だ」
ミルヴァは少し笑った。
「もっと詳しく知りたいなら、また来い。その頃には少し情報が増えているかもしれない」
「わかりました」
俺は立ち上がった。
「一つだけ、おまけで言う」
ミルヴァが言った。
「アーヴィンは、今日お前を見ていた」
「俺を」
「ギルドの入り口から。お前がセリウスさんと話しているのを、外から見ていた」
俺は少し止まった。
「なぜ俺を」
「わからない。でも、偶然じゃないと思う」
ミルヴァはそれだけ言って、また棚に向かった。
話は終わりだった。
宿に戻る途中、マユミに話した。
アーヴィンの情報を全部伝えた。
マユミはしばらく黙って聞いていた。
「Aランク相当でEランクのままか」
「意図的にランクアップを拒否しているそうです」
「なんでだ」
「わかりません」
「セリウスさんが情報を閉じている、というのも気になるな」
「そうですね。セリウスさんとアーヴィンに、何か大きな接点がある」
「お前を見ていたというのは」
「それが一番気になっています」
マユミは少し考えた。
「可視化のスキルと関係があるかもしれない」
俺は少し止まった。
「セリウスさんが可視化持ちが消えていくと言っていました。アーヴィンがその件に関わっている可能性はありますか」
「わからない。でも、全部が繋がっている気がする」
俺も同じことを思っていた。
点が増えてきた。
でも、まだ線にはなっていない。
「今日のところは、情報を整理しておきます。動くのは、もう少し情報が揃ってからです」
「焦るな、ということか」
「そうです。段取りが組めるほど、情報が揃っていない」
マユミは頷いた。
「わかった。でも、気をつけろ」
「何にですか」
「アーヴィンが悪い人間とは思わない。でも、何かを抱えている人間は、近くにいると巻き込まれることがある」
「経験談ですか」
「そうだ」
マユミは短く答えた。
それ以上は言わなかった。
俺も聞かなかった。
夕食の時間、三人で食堂に座った。
マルティナが料理を出しながら言った。
「今日、ギルド近くでアーヴィンを見た人間がいるって聞いた」
「俺も見ました」
「そうか」
「マルティナさんはアーヴィンを知っているんですか」
「顔は知ってる。この街に来るたびに、ここで飯を食っていくこともある」
俺は少し驚いた。
「この宿で食事を」
「たまにな。無口で、食べて、払って、去る。それだけだ」
「どんな人間に見えますか」
マルティナはしばらく考えた。
「疲れた人間だ」
「疲れた」
「体じゃなくて、もっと内側が。何かを背負っている顔をしている」
俺はその言葉を反芻した。
疲れた人間。何かを背負っている。
スキルで見えるものとは別の、人間の観察から来る言葉だった。
「また来たら、話しかけてみようと思います」
「構わないが、無口だぞ」
「無口な人間でも、隣に座ることはできます」
マルティナは少し笑った。
「そうだな」
マユミが言った。
「お前、怖くないのか」
「怖いです。でも、怖いから近づかない、というのは情報を捨てることになります」
「現場仕込みか」
「そうです。危険の正体を知らない方が、もっと怖い」
マユミはしばらく考えた。
「……まあ、そうかもな」
三人で食べた。
今日も食堂が温かかった。
でも、アーヴィンの話が頭に残った。
Aランク相当。Eランクのまま。セリウスが情報を閉じている。俺を見ていた。
点が、また増えた。
いつか線になる。
その日を、待つ。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
来週水曜日、Dランクの試験がある。
マユミと一緒に受ける。
段取りを組む必要がある。
試験の内容はセリウスから聞いた。
状況判断、情報共有、対処行動。
俺に何ができるか。
スキルで状況を把握して、マユミに伝える。
マユミが動く。
それが俺たちのやり方だ。
ゴブリン討伐でやったことと、同じだ。
できる。
目を閉じた。
第二十三話「Dランクへの道と、アーヴィンの影」 了




