第十七話「ドガンの大きい話」
月曜日の朝。
目が覚めた。
今日、ドガンの大きい話が来るかもしれない。
先週「来週あたり話せる」と言っていた。
内容はまだわからない。
わからないことに備える方法は一つだ。
今日も通常通り動く。
余計な期待を持たない。来たときに考える。
それだけだ。
食堂に降りた。
マユミがいた。
「おはよう」
「おはようございます。今日は早いですね」
「今週も黒字を維持したい。早めに動こうと思って」
「いい心がけですね」
「お前に言われると少し癪だな」
「なぜですか」
「お前みたいな喋り方をするようになってきた気がして、自分で少し嫌だ」
俺は少し笑った。
「悪いことじゃないと思いますが」
「そういうところが癪なんだ」
マユミも笑った。
マルティナが朝食を出した。
「今日は何かあるのか。二人とも顔が違う」
「ドガンさんから大きい話が来るかもしれないです」
「ドガンの大きい話か」
マルティナは少し考えた。
「あの人が大きい話を持ってくるときは、本当に大きい。覚悟しておきな」
「いい意味でですか」
「たぶんね。ただ、大きい話は責任も大きい」
俺は頷いた。
「わかっています」
「わかってても、実際に来ると違う。まあ、お前なら大丈夫だろうけど」
マルティナはそれだけ言って、また厨房に戻った。
ドガンの仕事に向かった。
いつもと同じ流れで動いた。
ルークと二人で在庫確認と整理をこなした。
一時間で終わった。
ドガンが倉庫に来た。
今日は少し改まった顔をしていた。
「終わったか」
「はい」
「少し時間をくれ。話がある」
ルークが気を利かせて、倉庫から出て行った。
ドガンと俺だけになった。
ドガンは荷物の箱に腰を下ろした。
俺も向かいに座った。
「単刀直入に言う」
ドガンが言った。
「商人ギルドが、お前に正式な契約を結びたいと言っている」
「正式な契約、というのは」
「月単位の固定給だ。毎月、決まった額を払う。その代わり、在庫管理と報告書の作成を定期的にこなしてもらう」
俺は少し間を置いた。
「今の定期依頼とは違うんですか」
「違う。今は依頼ごとに報酬が出る形だ。契約になると、月単位での雇用になる。ギルドが正式にお前を管理スタッフとして認める形だ」
「報酬はいくらですか」
「月に銀貨十枚。銅貨換算で千枚だ」
俺は計算した。
月千枚。週換算で約二百五十枚。
今の定期依頼が週百枚だから、二倍以上になる。
しかも、これは固定だ。
依頼がない日も、天候が悪い日も、体調が悪い日も、決まった額が入る。
採取のように不確実じゃない。
「今の定期依頼はどうなりますか」
「契約に含まれる形になる。月曜と水曜のドガンの仕事、火曜と木曜のコルテの仕事、全部を一括して月千枚に変わる」
俺は少し考えた。
今の定期依頼の合計が週百枚、月換算で約四百枚だ。
契約にすると月千枚になる。
二倍以上に増える計算だ。
「大きい話ですね」
「そうだ。ただし、条件がある」
ドガンは少し間を置いた。
「お前には管理職として動いてもらう。依頼をこなすだけじゃなく、在庫管理の仕組み自体を整えてほしい。報告書の作成、作業員への指示、問題があれば改善案を出す。そういう仕事だ」
「つまり、俺が現場を回す側になる、ということですか」
「そうだ。戦力じゃなく、頭を使う側だ」
俺は少し考えた。
管理職。
現場監督。
戦う人間じゃなく、現場を支える人間。
五十年でやってきたことと、同じだ。
「正直に言う。この報酬は、商人ギルドの中でも異例だ。お前が子供だから反対した幹部もいる。それでもこの金額を出したのは、お前の仕事の質を評価したからだ」
ドガンが、背景を先に話してくれた。
「なぜ正直に言うんですか」
「お前が長く働いてくれた方が、俺にとっても得だからだ。信頼関係がある方が、仕事がうまく回る」
俺はしばらく、ドガンを見た。
スキルで確認した。
体の状態。
消耗していない。余裕がある。
でも、少し緊張している。
この人は本気で話している。
「一つ提案していいですか」
「言ってくれ」
「契約は受けます。ただし、条件を変えたい」
「条件を」
「月千枚は変えなくていいです。でも、契約の範囲を明確にしたい。定期依頼の日数と内容を書面で確定して、それ以外の追加依頼には別途報酬を出してほしい」
ドガンは少し黙った。
「追加依頼の報酬は」
「依頼内容によって都度決める。ただし、事前に合意した上で動く。後付けで報酬を変えない、という約束がほしい」
ドガンはしばらく考えた。
長い沈黙だった。
「……それは、飲める」
「ありがとうございます」
「お前、交渉ができるな」
「昔の仕事で覚えました」
「また昔の仕事か」
「染みついているので」
ドガンは少し笑った。
「契約書を作る。来週、確認してくれるか」
「わかりました。契約書は読んでから返事をします」
「当然だ。それでいい」
ドガンは立ち上がった。
「一つだけ言っておく」
「はい」
「商人ギルドの幹部の中に、お前を気に入っていない者がいる」
「理由は」
「子供が仕事をするのが気に入らない者と、外部の人間が内部に入ることを嫌う者だ。どちらも、お前の仕事の質には文句がない。ただ、存在を面倒だと思っている」
俺は少し考えた。
「気をつけておきます」
「気をつけるだけでいい。今のところは実害はない。ただ、知っておいた方がいいと思って」
「ありがとうございます」
「礼はいい。来週、また話そう」
ドガンは出て行った。
俺は少し、その場に座っていた。
倉庫の中が静かだった。
昼過ぎ、ギルドでマユミと合流した。
マユミが俺の顔を見て言った。
「来たか、大きい話」
「来ました」
「どんな話だ」
俺は内容を説明した。
月単位の固定給。月千枚。管理職としての雇用。
マユミはしばらく聞いていた。
「収入が下がるじゃないか」
「今の定期依頼の合計より大幅に増えます。しかも固定なので安定します」
「それで受けるのか」
「条件を変えて受けます。追加依頼には別途報酬をつけてもらうよう交渉しました」
「交渉したのか」
「はい」
マユミは少し考えた。
「……うまくやるな、お前は」
「ドガンさんが正直な人だったので、交渉しやすかったです」
「相手が正直だと交渉しやすいのか」
「お互いの利益を確認できるので。騙し合いになると、全員が損をします」
マユミはしばらく俺を見た。
「お前、本当に十五か」
「体は十五です」
「また言ってる」
俺は少し笑った。
マユミも笑った。
午後の採取に出た。
川沿いの奥のルートだ。
マユミが前を歩いて安全確認をしてくれた。
いつもの分担だ。
採取しながら、今日の話を整理した。
月千枚の固定給。
追加依頼には別途報酬。
契約書を来週確認する。
商人ギルドの幹部に、俺を面倒だと思っている人間がいる。
それから、セリウスの警告。
可視化のスキルを持った人間が消えていく。
点が増えてきた。
でも、まだ線にはならない。
わからないことがある。
わからないことがあることはわかった。
今日の段階では、それで十分だ。
薬草を一束引き抜きながら、俺は少し空を見た。
青かった。
風が来た。
草の匂いがした。
転生してから、一ヶ月以上が経った。
銅貨七枚から始まって、今は週黒字になった。
借金はまだ残っている。
でも、方向は変わった。
来月には、月単位の固定給が入る。
少しずつ、この街での立場が形になってきた。
マユミが振り返った。
「ヒコ、手が止まってるぞ」
「すみません。少し考えていました」
「考えるのは動きながらにしろ。止まると効率が落ちる」
「お前に言われたくないです、それは」
マユミは少し目を丸くした。
それから、笑った。
「珍しいな、お前が言い返すのは」
「たまにはいいかと思って」
「もっと言い返せ。その方が話しやすい」
「善処します」
マユミはまた笑った。
俺も少し笑った。
採取を再開した。
夕食の時間、三人で食堂に座った。
マルティナに今日の話をした。
「月単位の固定給の話が来ました」
「どうした」
「条件を変えて受けることにしました。来週、契約書を確認します」
マルティナはしばらく俺を見た。
「契約書を読んでから判断するのか」
「当然だと思っています」
「当然だけど、できない人間が多い。判断を急かされると、読まずに判子を押してしまう」
「現場でも同じでした。契約書を読まないと、後で必ず揉めます」
マルティナは少し笑った。
「その癖は大事にしろ」
「はい」
「ところで、固定給になると採取はどうする」
「今まで通り続けます。固定給は定期依頼の分だけです。採取の収入は別に入ります」
「なるほど。うまく考えたな」
「ドガンさんが正直に話してくれたので、考える時間が持てました」
マルティナは頷いた。
「ドガンはそういう人間だよ。損をしてでも正直に言う。だから長く信頼されてる」
俺は少し考えた。
「マルティナさんも、そういう人ですよね」
「私は損を計算してから正直に言う。少し違う」
マルティナはそれだけ言って、少し笑った。
目尻に皺が寄った。
マユミが隣でスープを飲みながら言った。
「この宿、いい人しかいないな」
「そうですね」
「お前も含めて、か」
「俺を含めていいかどうかは、まだわかりません」
マルティナが口を挟んだ。
「含めていいよ」
短かった。
でも、重さがあった。
俺は少し黙った。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。飯を食え」
三人で食べた。
食堂が温かかった。
一ヶ月前、銅貨七枚で扉を開けたときとは、全然違う空気だった。
居場所が、少しずつ形になっていた。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
来週、契約書が来る。
読んで、確認して、判断する。
それだけだ。
急がない。でも遅れない。
段取りは見えている。
ギルドカードが机の上に置いてあった。
小さい金属の板。
Eランク。
まだEランクだ。
でも、一ヶ月前の無登録とは違う。
少しずつ、形になっている。
目を閉じた。
第十七話「ドガンの大きい話」 了




