第十一話「木曜日の定期依頼と、マユミの話」
木曜日の朝。
目が覚めた。
今日は二回目の定期依頼だ。
火曜日と同じ流れで動けばいい。
見通しがある日の朝は、やはり違う。
体が素直に起き上がる。
食堂に降りた。
マユミがいた。
今日は早かった。
でも、何かが違った。
顔が、少し硬かった。
スープを飲んでいるが、どこかを見ている。遠くを見ている顔だった。
俺は向かいに座った。
「おはようございます」
「おはよう」
短かった。
いつもより短かった。
聞かなかった。
聞いてほしいときは、向こうから話す。それが俺たちの間の暗黙のルールになっていた。
朝食を食べた。
二人で黙って食べた。
マルティナが厨房から顔を出した。
マユミを一瞥した。
それから俺を見た。
何も言わなかった。
でも、わかってる、という顔だった。
ギルドに向かう途中、マユミが言った。
「今日は別々に動く」
「わかりました」
「午後も、たぶん一人でやる」
「何かあれば声をかけてください」
「……うん」
それだけだった。
マユミは掲示板で依頼を選んで、先に出て行った。
俺は残って、自分の依頼を確認した。
午前はコルテの定期依頼。午後は別の依頼を探す。
今日は一人で動く。
それだけだ。
コルテの倉庫に着いた。
ルークがすでに来ていた。
「今日もよろしく」
「よろしく」
二人で黙々と動いた。
ルークは無口だが、仕事が正確だ。
指示を一度言えば、次からは言わなくていい。
現場でいう「使える職人」だ。
二時間で終わった。
コルテが報酬を出した。
「二十枚。今日もきれいだったな」
「ありがとうございます」
コルテはそのまま引っ込もうとして、少し止まった。
「そういえば、ドガンがお前を探してたぞ」
「ドガンさんが」
「何か話があるらしい。今日の昼過ぎに来るって言ってた」
ドガン。
先週の運搬依頼の依頼主だ。元冒険者の雰囲気を持った商人。
「わかりました。昼過ぎにここに来ればいいですか」
「そうしてくれ」
午前の残り時間で、川沿いの薬草採取に出た。
一人での採取は、静かだった。
マユミがいないと、こんなに静かなんだと改めて気づいた。
草の音。水の音。風の音。
悪くはない。
でも少し、物足りない気がした。
……五十年間、一人で生きてきた。
会社の同僚もいたが、深い付き合いではなかった。
現場の人間関係は、仕事が終われば終わった。
それが普通だと思っていた。
でも今は、隣に誰かがいない方が、少し変な感じがする。
人間は慣れる生き物だと、改めて思った。
薬草を三束見つけた。
川沿いなので足元に気をつけながら、丁寧に引き抜いた。
リザードマンの気配はなかった。
体の状態を確認しようとした。
……草むらに何かいる気がした。
小さい。消耗している。元気がない。
ゆっくり近づいた。
草の陰に、小さな動物がいた。
足を引きずっていた。
リスに似た生き物だ。転生初日に草原で見たやつと同じ種類だと思う。
怪我をしているのかもしれない。
俺は少し考えた。
助けるべきか。
でも俺には治療の知識がない。道具もない。
下手に触って悪化させても困る。
そのまま立ち去った。
自分にできないことに、手を出さない。
それも現場で覚えたことだ。
でも、少し後ろ髪を引かれた。
……この感覚は、五十年前の俺にはなかった気がする。
昼過ぎ、コルテの倉庫に戻った。
ドガンが来ていた。
がっしりした体格。鋭い目。でも今日は少し表情が柔らかかった。
「来たか。座れ」
倉庫の脇に荷物の箱があった。
二人で箱に腰かけた。
「単刀直入に言う。お前に定期の仕事を頼みたい」
「コルテさんの倉庫とは別にですか」
「そうだ。俺は商人ギルドで荷物の流通管理をしている。週に一度、在庫の確認と整理が必要なんだが、ちゃんとできる人間がいなくて困ってた」
「コルテさんから聞きましたか」
「コルテが褒めてた。仕事の進め方が普通じゃないって」
俺は少し考えた。
「報酬は」
「一回三十枚。週一回だ」
週一回、銅貨三十枚。
コルテの定期依頼が週二回で四十枚。
これが加わると、週七十枚の定期収入になる。
月換算で約二百八十枚。
生活費が月千五百枚ほどだから、まだ足りない。
でも、定期収入の柱が増えることは大きい。
「いつからですか」
「来週の月曜から」
「わかりました。受けます」
ドガンは頷いた。
「一つ確認するが、お前は何者だ」
俺は少し間を置いた。
「冒険者、というより、何でも屋に近いと思います」
「年はいくつだ」
「十五です」
「嘘くさいな」
「体は十五です」
ドガンは少し笑った。
「コルテも同じことを言ってた。お前、そればっかり言ってるのか」
「よく言われるので」
「まあいい。仕事がちゃんとしてれば、年齢は関係ない」
ドガンは立ち上がった。
「月曜、商人ギルドの西棟に来い。俺の名前を言えば通してもらえる」
「わかりました」
帰り道、今日の収支を計算した。
定期依頼、銅貨二十枚。
川沿い薬草三束、報酬は束が揃わなかったので未完了。ゼロ。
合計、銅貨二十枚。
生活費、約五十枚。
本日赤字、約三十枚。
でも来週から定期収入が増える。
月曜からドガンの仕事が加わる。
週の定期収入が七十枚になる。
方向は変わっていない。前に進んでいる。
夕食の時間、食堂に戻った。
マユミがいなかった。
珍しかった。
夕食の時間にいないのは初めてだ。
マルティナに聞いた。
「マユミさんを見ませんでしたか」
「夕方に一度戻ってきたけど、またすぐ出て行った」
「どんな顔でしたか」
マルティナは少し考えた。
「……疲れた顔だった。でも怪我はしてなかったよ」
「そうですか」
「心配か」
「少し」
マルティナは何も言わなかった。
でも、俺の分と同じ量の夕食をもう一人分、温めておいてくれていた。
マユミの分だった。
何も言わなくても、こういうことをする人だ。
夕食を一人で食べた。
マユミの分は温められたまま、厨房に置いてあった。
食べ終わって、部屋に戻ろうとしたとき。
宿の扉が開いた。
マユミだった。
顔を見た。
疲れていた。でも怪我はない。
スキルで確認した。
体の状態。
消耗している。
体力だけじゃない。
もっと内側の、何かが削られている感じがした。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
マユミは靴を脱いで、食堂に入ってきた。
椅子に座った。
マルティナが厨房から出てきて、温めてあった夕食を黙って置いた。
マユミは少し目を丸くした。
「取っておいてくれたのか」
「当たり前だろ」
マルティナはそれだけ言って、厨房に戻った。
マユミはしばらく夕食を見ていた。
それから、食べ始めた。
俺は席を立とうとした。
「……待ってくれ」
マユミが言った。
小さい声だった。
俺は座り直した。
マユミが食べるのを、黙って待った。
食べ終わった頃、マユミが口を開いた。
「今日、昔の知り合いに会った」
「そうですか」
「冒険者になる前の知り合い。地元の」
俺は何も言わなかった。
「家を出たとき、何も言わずに出た。向こうも怒ってたと思う。だから驚いた、会うとは思わなかった」
「何か言われましたか」
「……帰ってこないのか、って」
マユミは少し黙った。
「なんで家を出たんですか」
「冒険者に憧れてた。ずっと。小さい頃から、冒険者の話を聞くのが好きで、いつか自分もなりたいと思ってた」
「それで出たんですね」
「親は反対した。でも俺は聞かなかった。家を飛び出した」
俺は少し考えた。
「後悔してますか」
マユミはしばらく黙った。
「……してない。と思ってた」
「今日、会うまでは」
「うん」
マユミはカップのミルクを一口飲んだ。
マルティナがいつの間にか出していた。
「帰ってこないのか、って聞かれたとき、なんて答えればいいかわからなかった」
「なんて答えたんですか」
「まだわからない、って言った」
俺は頷いた。
「それで正しいと思います」
「正しい?」
「わからないものを、わかるふりをしても意味がない。今わからないなら、まだわからないと言うのが一番正直です」
マユミはしばらく俺を見た。
「……お前、そういうとき、なんで迷わず言えるんだ」
「迷ってますよ。でも考えてから言ってます」
「考えてから、か」
「マユミさんは直感で動くタイプですけど、こういうときは少し時間をかけてもいいと思います」
マユミは少し下を向いた。
「冒険者に憧れてた。今でもその気持ちはある。でも、思ってたのと違う部分もある」
「どう違いましたか」
「もっと……かっこいいものだと思ってた。でも実際は採取して、逃げて、少ない報酬で生活して」
俺は少し考えた。
「それは、仕事の全部そうだと思いますよ」
「え」
「かっこいい仕事なんて、ないです。外から見てかっこよく見える仕事も、中身は地味で泥臭い。現場もそうでした。完成した建物はきれいだけど、作る過程は泥と汗と怒号です」
マユミは少し笑った。
「現場、また現場か」
「すみません。やっぱり他の例えが出てこなくて」
「いや、わかりやすい」
二人でしばらく黙った。
食堂の灯りが揺れていた。
マユミが言った。
「ヒコ」
「はい」
「お前、冒険者に向いてないけど、冒険者より向いてるものがある気がする」
「何ですかね」
「わからない。でも、なんかそういう感じがする」
俺は少し考えた。
「現場監督、みたいなものですかね」
「現場監督」
「戦う人間じゃなくて、戦う人間を支える人間。段取りを組んで、情報を集めて、一番いい判断をする」
マユミはしばらく黙った。
「……それ、すごく大事な役割じゃないか」
「そうですかね」
「そうだよ。お前がいなかったら、私はあのグラストアの草地に突っ込んでたかもしれない」
俺は少し笑った。
「そうですね。突っ込みそうでした」
「うるさい」
マユミも笑った。
今日初めて、マユミが笑った。
よかった、と思った。
部屋に戻る前に、マルティナに声をかけた。
「マユミさんの夕食、取っておいてくれてありがとうございました」
「当たり前のことだよ」
「でも、ありがとうございます」
マルティナは少し目を細めた。
「お前ら、いいコンビだよ」
「そうですかね」
「そうだよ。あの子、お前といると少し落ち着く。顔が変わる」
俺は少し考えた。
「俺もそうです。マユミさんがいると、自分にないものを補ってもらえてる気がします」
「それがコンビだろ」
マルティナはそれだけ言って、カウンターを拭き始めた。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。
十一日目が終わった。
今日、ドガンから新しい定期依頼の話が来た。
来週から月曜にドガンの仕事が加わる。
週の定期収入が七十枚になる。
それから、マユミの話を聞いた。
家を出た理由。帰れるかどうかわからない気持ち。憧れと現実のギャップ。
俺には直接どうにもできない話だ。
でも、隣にいることはできる。
それで十分な気がした。
布団に横になった。
マユミがいつか、自分の答えを見つけられればいい。
今は、隣にいるだけでいい。
目を閉じた。
第十一話「木曜日の定期依頼と、マユミの話」 了




