表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第3話 すり替えられたポスター

部活動勧誘週間も三日目になると、廊下の掲示板はだいぶ賑やかになる。

 写真だらけの軽音部。やたら硬派な文面の弓道部。星空の上に部員の手書きコメントを散らした天文部。茶道部の薄緑。演劇部の黒地に赤文字。どの部も、新入生に「この学校での放課後は楽しい」と信じさせるために必死だ。

 だから、そのポスターが一夜で別物にすり替わっていたとなれば、昼休みの廊下が騒がしくならないはずがなかった。

「ちょっと、これ、うちのじゃないんだけど!」

 第一声を上げたのは、天文部の二年女子だった。中央階段脇の掲示板の前で、彼女は怒ったような、泣きそうなような顔をしている。

 周りには、すでに人だかりができていた。天文部、茶道部、演劇部。その三つのポスターだけが、どれも「元の絵柄に似ているのに、よく見ると違う」状態になっている。

 天文部のポスターは、星座の線が一本ずつずれていた。

 茶道部のポスターは、「見学歓迎」が「見学可」になっている。

 演劇部のポスターは、公演予定日の数字だけが一日ずれていた。

 悪意があるのか、ないのか。

 雑なのか、妙に手が込んでいるのか。

 見れば見るほど、気持ちの悪い改変だった。

「待ってました」

 口にした瞬間、背後からため息が落ちた。

「絶対言うと思った」

 篠宮 澪は、購買の紙パックを片手に、いつもの温度で言った。僕――雨宮 光一は、人垣の一番前まで進み出る。

「だって、これはいいだろ。いたずらにしては妙だし、嫌がらせにしては手間がかかりすぎてる。しかも、狙われてるのが三部活だけだ」

「光一は、そういう半端なのがいちばん好きだよね」

「半端って言うな。味わいがあると言ってほしい」

「味わってる場合じゃない人が前にいるけど」

 澪の言う通り、部員たちはかなり真剣だった。勧誘週間のポスターは、新入生相手の顔みたいなものだ。ふざけた改変をされたとなれば、笑い話では済まない。

「昨日の放課後に貼って、今朝見たらこれです」

 天文部の女子が言った。

「うちは夕方の当番のあとに確認したから、その時点では元のままだった」

 演劇部の男子が続ける。

「茶道部も同じ。夜のうちにやられたんだと思う」

 なるほど。時間帯は放課後から翌朝まで。

 だが、問題はそこじゃない。

 僕は掲示板に近づいて、三枚のポスターを順に見た。

 どれも紙質が妙に均一だ。マーカーや絵の具で描いた元の原稿らしいムラがなく、色の乗り方が少し平たい。近くで見ると、手描きではなく、いったん画像として取り込んで印刷したものだと分かる。

「コピー……いや、スキャンして出したのか」

「分かるの?」

 天文部の女子が聞く。

「色の乗り方。あと、ここ」

 星座の線の端を指さす。元絵ならペン先のかすれが出るはずのところが、均一な太さで潰れている。

「原稿をそのまま奪って落書きしたんじゃない。いったん複製して、それを差し替えてる。つまり犯人は、元のポスターにある程度触れる時間があったってことだ」

「じゃあ、やっぱり嫌がらせじゃん」

 演劇部の男子が言う。

「うち、去年もポスター破られたし」

「いや、まだそうと決めるのは早い」

 僕は掲示板の縁、ピンの跡、紙の角を順に見た。ポスターは丁寧に外され、丁寧に貼り直されている。破れも歪みも少ない。雑な怒りや思いつきのいたずらなら、もっと痕が荒れる。

「乱暴に扱ってない」

「丁寧な嫌がらせってこともあるでしょ」

 澪が言う。

「それはそう。でも、だったら内容の変え方が中途半端すぎる」

 天文部への嫌がらせなら、星座をずらすなんて回りくどいことはしない。茶道部への悪意なら「見学可」なんて無難な言い換えにはならない。演劇部の公演日も、一日違いでは混乱は起きても決定的なダメージにはならない。

 相手を傷つけたいのなら、もっと分かりやすくやる。

 なのに、これは全部、少しだけ変だ。

「つまり、犯人の目的は『この三部活に困ってほしい』じゃない可能性がある」

「じゃあ何」

 演劇部の男子が苛立ったように言う。

 僕は答えず、掲示板全体へ視線を移した。

 三枚の位置を覚える。

 中央階段脇の大きな掲示板。

 上段の右、下段の左、下段の中央。

 並んでいるようで、実は連続していない。

 だが、別の共通点があった。

 どれも掲示板の端に近い。人通りの多い方角から風が抜け、角がめくれやすい位置だ。

「光一」

 澪が、僕の見ている場所に気づいた。

「うん。そこだ」

 僕はまず、最初にありがちな線から潰すことにした。

「この三つ、誰かに恨まれてる心当たりある?」

「ない」

 天文部の女子が即答する。

「こっちも」

 茶道部の一年女子が小さく首を振る。

「演劇部は恨まれててもおかしくないけど、天文部と茶道部を巻き込む理由がない」

 演劇部の男子が言った。

「正直で助かる」

 次に、作業可能な人間の範囲を考える。

 元のポスターを一度どこかでスキャンし、印刷し、夜のうちに貼り直す。

 プリンターかコピー機を使えること。掲示板の前で作業しても不自然ではないこと。部活動勧誘週間の掲示に触れる立場にあること。

「印刷室か図書室の複合機、かな」

「職員室前の印刷機は教師しか使わない」

 澪が言う。

「生徒会室の複合機もあるけど」

「それだ」

 僕は早足で廊下を離れた。澪が紙パックを握ったままついてくる。

「ずいぶん早いね」

「早いんじゃない。勢いがいいんだ」

「言い換えで誤魔化せてない」

 まず図書室。昼休みのカウンターの向こうで、司書の先生が返却本の仕分けをしていた。

 掲示用の大判印刷は昨日あったか、と聞くと、先生は少し考えてから首を振る。

「A3のカラー印刷なら、昨日は軽音部の子が来たくらいね。でも三枚も四枚も続けて出してはいなかったと思うわ」

「スキャンだけ使った人は?」

「それは記録を見ないと分からないけど、少なくとも放課後は利用者が多くて、三部活分のポスターを落ち着いて複製するのは難しいんじゃないかしら」

 図書室線は弱い。

 次に生徒会室へ向かう。扉は開いていて、中では副会長の久慈原 仁が書類を整理していた。相変わらず、廊下の空気を一段だけ整えてしまうような、やわらかな笑顔をしている。

「どうしたの、雨宮くん」

「掲示板のポスター差し替えの件で」

「ああ、あれか」

 久慈原は少し困ったように目を細めた。

「さっき聞いたよ。勧誘週間にああいうのは良くないね」

「生徒会室の複合機、昨日の夕方から夜にかけて誰が使いました?」

「ずいぶん直球だね」

 そう言いながらも、久慈原は怒った様子を見せない。

 机の上の使用記録メモをめくって、すぐに答えた。

「広報委員が一回。あと、掲示係の三沢がポスターのラミネートで少し使ってる」

「三沢先輩は今どこです?」

「中庭の掲示板を見に行ったはずだけど」

 そこまで聞いてから、僕は生徒会室の隅に積まれた紙束に目を止めた。

 A3の厚紙が数枚。その上に、裏紙らしいコピー用紙の束。

「それ、掲示用の予備ですか」

「うん。勧誘ポスターの台紙が足りない部に回してた。新学期は何かと物入りだからね」

 久慈原は何でもないことのように言った。

「へえ」

「何か気になる?」

「まだ」

 本当に、まだだった。

 生徒会室を出ると、澪が小さく言った。

「今、あの紙の束、見てたでしょ」

「見てた。けど、それだけじゃ足りない」

「珍しく慎重」

「褒めてる?」

「半分」

 三沢は中庭にはいなかった。代わりに、掲示係の一年生が、洗濯ばさみみたいなクリップを箱に戻しているところだった。

「三沢先輩なら、さっき美術室の方に」

「ありがと」

 美術室へ行く途中、僕は一度立ち止まった。

 階段脇の掲示板へ戻る。

「戻るの?」

 澪が聞く。

「久慈原先輩のところへ行って、何か一個、抜けてる感じがしたんだ」

 さっきの三枚を、今度は真正面ではなく、斜め下から見る。

 紙の角、ピンの位置、厚み。

 そして――茶道部のポスターの右下に、ほんのわずかな浮きがあるのを見つけた。

「篠宮、ここ押さえて」

「また雑な頼み方」

「いいから」

 澪が角を持ち上げる。僕は覗き込んだ。

 そこには、複製ポスターの裏打ちに使われた白紙の端が見えた。

 だが、そのさらに奥、掲示板に残ったごく小さな紙片がある。元のポスターを剥がしたときにちぎれて残ったらしい。

 白地に、数字の列。

 その上に、薄く四角い印影。

 印字の端には、こう読めた。

『……旧校舎……移設……』

「何それ」

 澪が言う。

「裏紙の印字の一部だな」

 僕は紙片をそっと剥がした。ほんの爪の先ほどの大きさしかないが、コピーされた事務文書の一部らしい。ポスターそのものではなく、裏打ちに使われた紙の破片だ。

「台紙じゃなくて、裏打ちの紙」

「うん。しかも、ただの白紙じゃない」

 そこで、ようやく最初の仮説を捨てた。

 これは三部活への嫌がらせではない。

 ポスターの表は、どうでもよかったんだ。

 犯人が回収したかったのは、裏だ。

「光一」

 澪が言った。

「この三つだけ、掲示板の端なんだよね」

「そう。角が浮けば、裏が見える」

「じゃあ、狙われたのは部活じゃなくて、見えやすい位置に貼られたポスター」

「その通り」

 ようやく形が見えた。

 ただし、まだ足りない。

 誰がその裏紙を気にしたのか。

 そして、なぜ元のポスターを剥がしてまで、複製と差し替える必要があったのか。

 僕らは部活ごとの話を聞き直した。

 天文部の女子は、ポスターを作ったのは部室だと言った。ただし裏打ち用の厚紙が足りず、生徒会室でもらった余り紙を使ったらしい。

 茶道部も同じ。

 演劇部は、一年の部員が「ついでにもらってきました」と言った。

「じゃあ、この三つだけが同じ紙束を使ってた?」

「たぶん」

「他の部は?」

「軽音は自分たちで買ったボード。美術部も。吹奏楽は先生が準備してくれた」

 共通点が固まる。

 三部活のポスターだけが、生徒会室から出た余り紙を使っていた。

 その中に、裏返すと困る紙が混じっていた。

「でも、それなら表の絵柄まで少し変わってるのはなんで?」

 茶道部の一年が言う。

「そのままコピーしたら、色がずれたり文字が潰れたりするからだよ」

 僕は答えた。

「犯人の目的は中身の改変じゃない。元のポスターを回収して、同じように見える代用品を作ること。細部が変なのは、急いで複製したからだ」

「そこまでして、裏に何があったの」

 天文部の女子が眉をひそめる。

 僕は指先の紙片を見た。

『旧校舎』『移設』。その二語だけなら、学校の事務書類として何も不自然ではない。けれど、わざわざ夜のうちに差し替える程度には、誰かに見られたくなかった。

「未公開の会計資料とか、備品申請の下書きとか、その辺じゃないかな」

 僕は言った。

「まだ外に出すべきじゃない書類が、裏紙として混じってた。誰かがそれに気づいて、慌てて回収した」

「ずいぶん学校っぽい理由だね」

 澪が言う。

「学校の謎だからな」

 最後に残るのは、実行犯だ。

 複合機を使える。

 掲示板に触れても不自然じゃない。

 掲示用の余り紙を扱っていた。

 そして、「早く静かに回収したい」と考える立場にある。

「三沢先輩だ」

 僕は言った。

 ちょうどそのタイミングで、美術室の前から本人が現れた。二年の三沢は、生徒会の掲示係で、真面目そうな顔をした男子だ。腕にはラミネートフィルムの束を抱えている。

「雨宮?」

「先輩、ポスター、昨夜貼り替えましたよね」

 三沢の足が止まった。

「いきなりだな」

「でも否定しない」

 澪が横から言う。

 三沢は一瞬だけ口を結んだ。それから、廊下の人目を見て、ため息をついた。

「……場所、変えよう」

「当たり」

 僕は小さく言った。

 空き教室に入ると、三沢はフィルムの束を机に置いた。

「犯人扱いされるほどのことじゃないと思ってたんだけどな」

「じゃあ、何です」

「回収だよ。問題が起きる前の」

 三沢は観念したように言った。

「昨日の夕方、掲示板を見回ってたら、天文部のポスターの角がめくれてたんだ。裏に変な数字が見えた。よく見たら、去年の生徒会の試算表か何かのコピーだった。ああまずいなと思って」

「それで三枚とも」

「同じ束の紙を使ってたからな。あのままにしたら、他もめくれて見える」

「でも、剥がして裏紙だけ替えれば良かったんじゃないですか」

 僕が言うと、三沢は首を振った。

「スプレーのりで裏打ちしてあった。剥がしたら表まで歪む。新入生の目につく時期に、三部活分のポスターがぐしゃぐしゃになる方がまずい。だから表をスキャンして、似たやつを作って、夜に差し替えた」

「似たやつ、ね」

 澪がぽつりと言う。

「かなり急いだでしょ」

「……悪かったよ。絵が得意じゃないんだ」

 それで星座はずれ、文言は微妙に変わり、日付も一日間違えたのだろう。複製の目的は偽装であって、完成度ではなかった。

「誰の指示です」

 僕は聞いた。

 三沢はほんの少しだけ、答えるのをためらった。

「指示ってほどじゃない。久慈原先輩に相談したら、騒ぎになる前に直しておいた方がいいって」

「久慈原先輩が」

「余計な誤解を呼ぶ紙らしいからって。まあ、その通りだと思ったよ」

 僕は澪と目を合わせた。澪は特に驚いた顔をしない。

「元のポスターは?」

「生徒会室。丸めて保管してる。部にはちゃんと謝るつもりだった」

「先に謝ってくださいよ」

 天文部の女子が、いつの間にか空き教室の入口から覗いていた。三沢は肩を落とした。

 話が表へ出れば、空気は一気にほどける。

 三部活への私怨ではなかった。少なくとも、表向きは。

 ポスターはのちほど返却、必要なら作り直しの手伝いもする。勧誘週間の掲示も午後には元へ戻す。そういう実務の話に落ち着いた。

 そして、そこで終わるなら、実に学校らしい小事件だ。

「さすがだね、雨宮くん」

 廊下へ戻ると、久慈原がちょうどこちらへ歩いてきた。事情はすでに三沢から耳に入ったらしい。穏やかな顔で、しかし周囲の騒ぎだけは手際よく鎮めている。

「三沢が先走って悪かった。部の子たちには生徒会からも説明するよ」

「先回りが過ぎますけどね」

「そうだね。でも、放っておくよりはましだった」

 久慈原はそう言って、僕の手元の紙片へ視線を落とした。

「それ、もらっていい?」

「これですか」

「うん。たぶん事務用の廃棄書類が混じったんだろうから、こっちで処分しておく」

 僕は少しだけ考えてから、紙片を渡した。

 久慈原は礼を言って、それをポケットに滑り込ませる。

「助かったよ、雨宮くん。君がいると、話が早い」

「どうも」

「また何かあったら頼りにしてる」

 そう言って去っていく背中は、相変わらず感じがいい。

 感じがいいからこそ、周りは逆らいにくいのかもしれない、と、そのとき少しだけ思った。

「満足?」

 澪が聞いた。

「一応は。犯人も理由も出たし」

「本当に?」

「何が言いたいんだ」

 澪は、生徒会室の方を見た。

 久慈原が入っていった扉は、すぐに閉まる。

「あの紙、光一は『未公開の会計資料』って言った」

「うん」

「じゃあ、どうして『見つかった三枚だけ』じゃなくて、『同じ束を使った分まで全部』、そんなに急いで回収する必要があったんだろうね」

「だから、誤解を呼ぶからだろ」

「そうかも」

 澪はそこで言葉を切った。

「でも、誤解って、普通は放っておいても広がらない。誰かが本当に困る内容じゃない限り」

 言い終えてから、彼女はもうその話を追わなかった。

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。廊下の人だかりはほどけ、三部活の部員たちは返してもらう元のポスターの相談を始める。

 僕は中央階段の踊り場で一度だけ立ち止まり、さっきの紙片にあった文字を思い出そうとした。

『旧校舎』

『移設』

 たったそれだけだ。

 それだけなら、何でもないはずだった。

 けれど、その日の放課後、教室で鞄を閉じるときになっても、なぜか紙の手触りだけが指先に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ