表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/18

合宿編 第四章 三日目の夜

夕食の席では、部屋割りの話題が何度も浮かんでは消えた。

 教師が同じテーブルの近くを通るたびに話は途切れる。離れると、また小さな声で再開する。そういう繰り返しだ。誰も大声では言わないが、だからこそ余計に広がる。

 僕は食堂の隅で、配膳の流れを眺めながら水瀬凪の動きを見ていた。

 彼女は普段通りにふるまおうとしていた。友達に相槌を打ち、スープを配り、時々笑う。けれど、何度か視線が三一一の方角へ向かっている。建物の中に方角も何もないはずなのに、そうとしか言いようのない見方だった。

「見すぎ」

 向かいの澪が言う。

「ばれてる?」

「ばれてはいない。でも前より分かりやすい」

「成長が足りないな」

「その自己評価の低さは少し成長してる」

 褒めているのかいないのか分からない。

 僕は食事を終えてから、食堂を出る水瀬の背中を目で追った。彼女は途中で振り返りもせず、そのままラウンジの方へ消える。直接、倉庫へ向かう気配はない。

「ねえ」

 澪が箸を置いた。

「今のうちに施設の人の話を聞く」

「もう当たりをつけてるのか」

「去年のことを直接訊いても、たぶん口を閉ざす。でも部屋替えの管理の方から入れば、誰がどこに触れたかは出る」

 その手際に、思わず笑いそうになる。

「相棒って感じだな」

「今さら?」

 澪はそう返したが、少しだけ目を細めた。

 食後、僕らは分かれた。

 澪は施設の事務室へ。僕は三階のラウンジへ向かう。二手に分かれる時、前なら『任せた』と軽く言っていたところで、今は足が止まる。

「澪」

「なに」

「一人で抱え込むなよ」

 そう言うと、澪は一瞬だけきょとんとした顔をした。

 それから、いつもの平坦な顔に戻って言う。

「それ、先に言うんだ」

「悪いか」

「別に。……ありがとう」

 短い返事だった。

 でも、以前の僕らなら、ここでそんな言葉は出なかった。

 ラウンジには、去年の合宿写真が何枚か掲示されていた。

 年度ごとに、班ごとに、色褪せた笑顔がコルクボードへ留められている。去年のものもある。だが三日目の夜以降らしい写真だけ、不自然に枚数が少ない。夕食、レクリエーション、朝の散歩。あるはずの流れの一部が欠けていた。

「そこ、気になる?」

 後ろから声がした。

 振り返ると、水瀬凪だった。

 飲みかけの紙コップを持っている。自販機のミルクティーの匂いがする。

「少し」

 僕が答えると、彼女はボードを見上げたまま言った。

「去年、途中で色々あったらしいから。貼る写真、選んだんじゃない」

「らしい、ね」

「私、去年はいないし」

 声は平坦だ。けれど、その平坦さ自体が少し作られている。

 僕はボードの端に目を留めた。画鋲の跡がひとつだけ新しい。最近まで何か貼ってあったのを外したような跡だ。

「これ、最近抜いた?」

「知らない」

「でも見たことはある顔だ」

 そう言うと、水瀬の指先がわずかに止まった。

 たったそれだけの反応で十分だった。彼女は知っている。

「雨宮って、前からそうやって人の顔ばっかり見てたっけ」

「前より広く見るようにはなったよ」

「ふうん」

 水瀬はそれ以上続けず、紙コップを捨ててラウンジを出ていった。

 追うべきか迷ったところで、ポケットのスマホが震えた。澪からの短いメッセージだ。

 **現地の部屋割りデータ 夕方に一度だけ修正**

 **入力端末は一階教材室**

 **教師じゃなくても触れた可能性あり**

 僕はすぐにラウンジを出て、一階へ向かった。

 教材室は玄関脇の小部屋で、コピー機とプリンタが並んでいる。施錠はされていない。夕食後の今は誰もいないはずだったが、ドアがわずかに開いていた。

 中に入ると、机の上に部屋割り表の試し刷りが何枚も残っていた。

 その中の一枚だけ、倉橋伊吹と水瀬凪の名前が手書きで入れ替えられている。赤ではなく鉛筆だ。消し跡もある。誰かが、最初から決まっていた交換ではなく、一度迷ってから書き直したのだと分かる。

 その時、廊下側でかすかな足音がした。

 僕は反射的に電気を消し、ドアの影へ身を寄せる。通り過ぎると思った足音は、教材室の前で止まった。

「……ない」

 女の声だった。

 小さいが、聞き覚えがある。水瀬凪だ。

 彼女は中へ入らず、扉の隙間からだけ覗いたらしい。次の瞬間、早足で遠ざかる。僕は数秒待ってから廊下へ出た。追うことはできた。でも、その背中を今ここで掴めば、彼女はもう戻れなくなる気がした。

 代わりに、机の上の紙を全部まとめて写真に撮る。

 その最中、教材室の棚のいちばん下に黒い封筒が落ちているのに気づいた。拾い上げると、宛名はない。中には折りたたんだメモが一枚。

 **三日目の夜 西側倉庫**

 **同じことを繰り返したくないなら来て**

 僕はメモを見つめたまま息を止めた。

 三日目の夜。さっきの写真の裏と同じ言葉だ。

「……最悪だな」

 思わず声が漏れる。

 誰かが去年の出来事を『再現』しようとしているのか。

 それとも去年と同じ場所へ、同じ人間関係を連れていこうとしているのか。

 澪と合流したのは、点呼十分前だった。

 渡り廊下の窓は、もう夜の色になっている。外では風が強まり始め、ガラスに細い枝が当たる音がしていた。

「顔が悪い」

 澪が開口一番に言う。

「そっちもな」

「褒めてない」

「僕もだ」

 僕は写真、ケーブル、教材室で見つけたメモを順に見せた。澪は最後の一枚を見た時だけ、ほんの少し眉を寄せた。

「西側倉庫」

「外にあった小さい建物。窓から見えた」

「去年の夜の写真、そこが背景に入ってる」

「やっぱり気づいてたか」

「あなたが気づく前にね」

「はいはい」

 軽口を挟んだあとで、僕はすぐに真顔へ戻る。

「凪は何か知ってる。たぶん部屋割りの修正にも触ってる。でも、それだけで『犯人』にはしたくない」

「同感」

 澪は即答した。

「やってることは軽率。でも誰かを壊すための動きには見えない」

「伊吹を呼び出す?」

「今はだめ。あの子はもう限界に近い」

 数秒、沈黙が落ちる。

 外の風がひときわ強く窓を鳴らした。館内放送が、まもなく点呼だと告げる。

「行くの?」

 澪が訊く。

「西側倉庫」

「行く」

「一人で?」

 その質問に、僕は一瞬だけ言葉を失った。

 以前なら、答えは半分自動的に出ていた。僕が先に行く。危ないなら止める。そういうつもりで。

 でも今、そう答えると何かが決定的に間違う気がした。

「……いや」

 僕はゆっくり首を振った。

「一緒に行こう」

 澪は、それを待っていたみたいに小さくうなずいた。

「うん」

「でも伊吹は巻き込まない」

「それも同意」

 点呼の時間、僕らはちゃんと部屋にいた。

 消灯までの一時間を、何も知らないふりで過ごす。杉浦がくだらない話をして、同室のもう一人が歯磨き粉を忘れたと騒ぎ、廊下の向こうで教師が歩く音がする。どこにでもある夜の合宿だ。

 けれど僕の頭の中では、秒針だけが妙に大きく進んでいた。

 そして消灯後。

 僕と澪は、それぞれの棟を抜け出して一階の非常口前で合流した。

 外へ出ると、山の夜は想像以上に暗かった。

 曇天で月もない。懐中電灯の円だけが地面を照らし、その周りは全部、深い影だ。西側倉庫までは、舗装もされていない細い通路が続いている。風に混じって、また焦げたような匂いがした。

「光一」

「ん?」

「今日は、先に走らないで」

「分かってる」

「本当に?」

「……たぶん」

 それが返事としてあまり良くないことを、僕も分かっていた。

 澪は呆れたように息をつく。

「たぶんでいい。止めるから」

 その言い方に、少しだけ救われる。

 倉庫の前まで来た時、中から小さな物音がした。

 金属が触れたような音。続いて、誰かが息を呑む気配。

 僕と澪は視線を合わせる。

 次の瞬間、倉庫の扉が内側から勢いよく開いた。

 飛び出してきたのは、水瀬凪だった。

 彼女は僕らを見た瞬間、目を見開く。その右手には、細長い銀色のレコーダーが握られていた。

「……来ないで」

 凪は、追い詰められた声でそう言った。

 それが、この夜の本当の始まりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ