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第11話 解決者の敗北

呼び出されたのは、放課後の図書室だった。

 閉館十分前。窓の外は、昼の明るさを捨てきれずにいるくせに、校舎の中だけが先に夕方へ沈んでいる。閲覧席には誰もいなくて、返却台の奥で司書の先生が書類を揃える音だけが小さく響いていた。

 篠宮 澪は、いちばん奥の長机に座っていた。

 机の上には、紙が並んでいる。

 整然と。几帳面なくらい、きっちりと。

 それを見た瞬間、胸の奥が、嫌な形で冷えた。

「何だよ、それ」

 僕がそう言うと、澪は顔を上げた。

 いつも通り、静かな目だった。

「座って」

「用件を先に言えよ」

「長くなるから」

 言い方が、妙に事務的だった。

 僕は椅子を引いた。金属の脚が床を擦る音が、自分でも苛立っていると教えるみたいに長く鳴った。

 机に並べられていたのは、見覚えのあるものばかりだった。

 提出箱から抜かれた申請書の控えのコピー。

 旧校舎資料室の貸出記録。

 文化祭ポスターの裏紙に使われていた会計資料の断片。

 保健室の施錠棚から消えた封筒の複写。

 花壇から出た鍵の写真。

 体育倉庫に置かれていた告発メモ。

 そして、小さなUSBメモリ。

「……何のつもりだ」

「順番にいこう、光一」

 その言葉で、背筋が強張った。

 それは、僕の言い方だった。

 僕がいつも、誰かに推理を聞かせるときの言い方だった。

 澪は、それをわざと使った。

「まず第1話。消えた提出箱」

「話数で呼ぶなよ」

「その方が分かりやすいから」

 澪は僕の不機嫌を見ても、少しも速度を変えなかった。

「箱を隠した一年生は、たしかにいた。提出遅れを誤魔化したかった。それは本当」

「だったら解決してるだろ」

「してない」

 澪は一枚のコピーを指先で押さえた。

「箱の中から抜かれていたのは、生徒会備品の申請書の控え。旧校舎第二資料室の鍵管理に関する書類」

「……それは、ただの事務書類だ」

「そう思って、あなたはそこで止まった」

 喉の奥が、ひどく乾いた。

「第2話。夜の音楽室」

「旧校舎の、あれか」

「うん。音が鳴る仕掛けは単純だった。窓の隙間と録音。あなたの推理は正しい」

「なら――」

「でも、その騒ぎの間に資料室から持ち出された記録簿があった」

 澪は、別の紙を引いた。

 古い貸出台帳のコピー。端に、かすれた印がある。

「事故の前後、旧校舎に誰が出入りしていたかが分かる記録」

「そんなもの、僕は見てない」

「見えないようにされてたから」

 言われて、思い出した。

 あの日、音楽室の前に人が集まっていた。教師も、生徒も、僕も。騒ぎの中心は、ずっと音の方にあった。

 その隣に資料室があったことを、僕は知っていた。

 知っていて、見なかった。

「第3話。すり替えられたポスター。あなたは実行委員同士のいざこざを暴いた。綺麗に片づけた」

「それで実際、揉め事は収まった」

「収まったね。だから誰も、その裏紙が何だったか見なかった」

 澪は文化祭ポスターの写真を裏返した。

 裏面に貼られた紙片。その一部に、生徒会会計の印字が見える。

「会計資料のコピー。しかも、通常配布分じゃない。内部照合用」

「待てよ」

 思わず身を乗り出した。

「そんなの、どうしてお前が持ってる」

「及川先輩」

「……及川先輩が?」

「第9話で、あなたに『使われてる』って言ったでしょ。あのときにはもう、かなり集めてた」

 胸の内側に、細い針を何本も刺されるみたいな感覚が走る。

 僕は及川 真奈美の顔を思い出した。

 あの人は、僕に警告した。

 なのに僕は、それを自分への当てつけくらいにしか受け取らなかった。

「第5話。保健室の嘘つき目撃者」

「第4話は」

「あと」

 ぴしゃりと切られて、言葉が詰まった。

「二重存在の騒ぎそのものは、証言の時差と見間違い。そこもあなたは合ってた。でも、騒ぎの間に保健室からなくなった封筒が一通ある」

「柏木 栞、だろ」

 自分で口にした名前が、重かった。

 澪はわずかに目を細めた。

 僕がそこだけは覚えていたことを、意外に思ったのかもしれない。

「うん。宛名は柏木 栞。中身は、事故当日の相談記録の写し」

「事故って、お前……」

「旧校舎階段転落事故」

 図書室の空気が、すっと冷えた気がした。

 一年前。

 旧校舎の階段から落ちて、長期療養になった女子生徒。

 学校は事故だと発表した。

 噂はすぐに消えた。

 消された、という方が正しいのかもしれない。

「第4話。図書室の貸出カードの空白」

 澪の指が、古いカードの複写をなぞる。

「あなたは、人気本を黙って借りたかった生徒の改ざんだって結論づけた」

「実際、改ざんしてたのはそいつらだった」

「そう。でも、抜かれていたのは学校史、寄贈記録、旧校舎改修記録、それに……柏木 栞が最後に借りていた本」

 僕は何も言えなかった。

 あのとき僕は、改ざんの手口にばかり気を取られていた。

 消されたタイトルの共通点を、澪は見ていたのだ。

「第6話。花壇の鍵」

「資料室の予備鍵」

「そう。あなたはそこまで辿った。でも、『昔なくした鍵が出てきただけ』で終わらせた」

「だって、他に――」

「事故の前後、資料室の鍵は管理簿上は一度も外に出てないことになってる」

 澪は第1話の控えを指し、第2話の記録簿へ、さらに第6話の鍵写真へと順に指を移した。

「書類、記録簿、予備鍵。全部つながる」

「……」

「旧校舎第二資料室に、事故の前後だけ不自然な空白がある。そこに触れるものが、ずっと消されてる」

 心臓がうるさかった。

 うるさいくせに、体の先は冷えていく。

 嫌な予感は、とっくに形になっていた。

「第8話。体育倉庫の密室メモ」

 澪が、あの紙を持ち上げた。

 僕が「密室じゃなかった」と得意げに言い切った、あのメモ。

「あなたは、どうやって置いたかを解いた」

「それが謎だったからだ」

「違う。あなたが解きたかったのが、そこだけだった」

 静かな声なのに、頬を打たれたみたいに熱くなった。

「メモの中で唯一、具体的だった一文を覚えてる?」

 覚えている。

 忘れられるわけがない。

 ――事故の日、生徒会室の時計は二十分進んでいた。

「デマの中に本物を混ぜる。古いやり方。全部嘘だと思わせるための一文」

「そんなの、後からなら何とでも言える」

「言えるね。だから裏も見た」

 澪はメモを裏返した。

 裏面の隅に、かすかな青い線が見える。

「生徒会会計で使ってた内部帳票の裏紙。第3話の裏紙と同じ」

「……」

「偶然だと思う?」

 言い返せなかった。

 いや、言い返したかった。

 偶然だ、こじつけだ、そんなふうに切り捨てたかった。

 でも目の前に並んだ紙の列は、そのどれもが僕の記憶と、気持ち悪いほど正確に噛み合っていた。

「第9話。放送室から流れた告白」

 最後に、澪はUSBメモリを見た。

「あなたは音声の編集と予約送信を解いた。犯人も当てた」

「……囮だった、って言うのか」

「うん」

 澪は一拍置いて、言った。

「本命は、生徒会室から持ち出されたUSB」

「中身は」

「旧校舎事故の日の会計データと、備品移動の記録。及川先輩が取り返した」

 僕は息を吸った。

 うまく入らなかった。

 喉の途中で、空気が引っかかる。

「じゃあ、何だよ」

 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどかすれていた。

「言いたいことは何だよ、澪」

 澪は、机いっぱいに広げた紙の列を見下ろしたまま答えた。

「全部つながってる」

 短い言葉だった。

 でも、その一言で十分だった。

「提出箱も、音楽室も、ポスターも、図書室も、保健室も、花壇の鍵も、体育倉庫も、放送室も。全部、旧校舎の事故の周辺を掃除するための動き」

「掃除……」

「証拠の回収。記録の隠蔽。噂の誘導。関係者の牽制」

 澪は、そこで初めて僕をまっすぐ見た。

「そして、あなたの利用」

 胸のどこかで、何かが嫌な音を立てて割れた。

「……ふざけるな」

「ふざけてない」

「僕は、ちゃんと解いてきた」

「うん。ちゃんと解いてきた」

「なら」

「でも、いつも一番小さい答えで満足してた」

 その言葉は、あまりにも静かだった。

 静かすぎて、逃げ場がなかった。

「あなたの答えは、毎回正しかった。だから皆、そこで安心した。ああ、ただのいたずらだったんだ。単なる行き違いだったんだ。噂で大きくなっただけなんだって」

「……」

「そのたびに、本当に見られたくないものから人の目が逸れた」

 やめろ、と言おうとした。

 声にならなかった。

「久慈原先輩は、たぶん最初からあなたを見てた」

「やめろ」

「こういう小さな謎を撒けば、あなたは飛びつく。気持ちよく解いて、きれいに収める」

「やめろ!」

「そのたびに、周りは納得する。『雨宮が言うならそうなんだろう』って」

 立ち上がった拍子に、椅子が倒れた。

 司書の先生が遠くで何か言った気がしたが、耳に入らなかった。

「僕が、隠したって言うのか」

「違う」

 澪も立ち上がった。

 それでも声は、少しも上がらなかった。

「あなたは隠したんじゃない。見つけたつもりで、見えなくした」

 胸の中で、何度もその言葉が反響した。

 見つけたつもりで、見えなくした。

 それは、僕が一番言われたくない種類の否定だった。

 間違っていた、ではない。

 足りなかった、でもない。

 僕のやってきたことの形そのものが、誰かの役に立つどころか、逆の働きをしていたと言われたのだ。

「どうして……」

 何に対する問いか、自分でも分からなかった。

 どうして今さら。

 どうして黙ってた。

 どうして僕なんだ。

 その全部が混ざっていた。

「どうして、今まで言わなかった」

 澪の睫毛が、ほんの少しだけ揺れた。

 でも、返ってきた言葉は優しくなかった。

「言っても、あなたは聞かなかったから」

「そんなこと」

「聞かなかったよ」

 澪は即答した。

「あなたは、自分で間違えるまで止まらない」

「……」

「自分がどれだけ他人の痛みを踏んでたか、ちゃんと自分で落ちないと分からない」

 その一言は、さっきまでの論理より、ずっと深く刺さった。

 僕は、怒ればよかったのだと思う。

 勝手だとか、残酷だとか、そう言えばよかった。

 でもできなかった。

 澪の言葉の中に、否定しきれないものがあったからだ。

 思い返せば、いくらでもあった。

 僕が気持ちよく謎を片づけて、相手が助かった顔をしたと思っていた場面。

 本当は、ただこれ以上面倒になるのを避けたかっただけの顔。

 僕の説明を聞いて、納得したふりをしていた教師。

 安堵じゃなく、打ち切れてよかったと思っていた生徒。

 僕はそれを、全部、自分への賞賛だと勘違いしていた。

「……じゃあ」

 喉の奥で、声が擦れた。

「じゃあ僕は、何だったんだよ」

 澪は、少しだけ目を伏せた。

「便利だったんだと思う」

「……」

「誰よりも早く気づいて、誰よりもきれいに小さく畳んでくれるから」

 便利。

 その二文字で、頭の中が真っ白になった。

 探偵気取り。

 解決者気取り。

 皆が見ていないものを見ているつもりでいた僕は、ただ都合よく使える道具だったのか。

「及川先輩は、柏木さんの事故を追ってた」

 澪の声だけが、遠くで続いていた。

「生徒会の会計不正と、旧校舎の備品移動。その両方が事故の前後で不自然に消えてる。久慈原先輩が中心にいた可能性が高い」

「可能性、って」

「直接手を下した証拠までは、まだない。でも、事故のあとに記録を消したのはほぼ間違いない」

 僕は机に手をついた。

 視界が揺れていた。

 紙の端が、白く光って見えた。

「……久慈原先輩は」

「うん」

「僕を、知ってて」

「たぶん」

 たぶん、という言葉が、かえって残酷だった。

 断定よりも余白があって、自分でそこを埋めてしまうからだ。

 あの人の顔が、ひとつひとつ思い出された。

 ――さすがだね、雨宮くん。

 ――助かったよ。

 ――君がいてくれると話が早い。

 褒められていたんじゃない。

 使いやすいから、手入れされていただけだ。

 胃の奥がひっくり返るような吐き気がこみ上げた。

「光一」

 澪が僕の名前を呼んだ。

 ずっと一緒にいた声なのに、そのとき初めて、別のものみたいに聞こえた。

「ここから先は、私が――」

「触るな!」

 気づけば、振り払うみたいに声を上げていた。

 澪の手が止まった。

 その一瞬だけ、彼女の目に何かが差した。

 傷ついたのか、違うのか、判別できなかった。

 でも、その確認をする余裕は僕にはなかった。

 逃げるみたいに図書室を飛び出した。

 廊下へ出ると、もう外は薄暗く、窓に映る自分の顔だけがやけにはっきり見えた。

 ひどい顔だった。

 青ざめて、目だけが落ち着きなく動いている。

 自分が思っていた「謎を解く側の人間」の顔じゃなかった。

 ただ、遅すぎるところで初めて盤面に気づいた、愚かな駒の顔だった。

 階段を下りる途中、生徒会室の前を通った。

 扉は半開きで、中に灯りがついていた。

 久慈原 仁が、一人でいた。

 机の上の書類を整えていた手が止まり、こちらを見る。

 その穏やかな顔は、今までと何も変わらなかった。

「あれ、雨宮くん。どうしたの」

 どうしたの。

 よくそんなことが言えるな、と一瞬だけ思った。

 でも次の瞬間には、その台詞さえ僕を試しているように思えて、背筋が冷えた。

「……先輩」

 声が、うまく繋がらない。

「旧校舎の事故のこと、知ってましたよね」

 久慈原先輩は驚いた顔もしなかった。

 ただ、小さく瞬きをしただけだった。

「急だね」

「答えてください」

 僕の声は震えていた。

 怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からなかった。

 久慈原先輩は、しばらく僕を見ていた。

 それから、ため息とも笑みともつかない息をこぼした。

「君は、本当に優秀だ」

「……っ」

「でも、少し遅かったかな」

 足元が崩れるような感覚がした。

「何を」

「そんなに大きな声を出さない方がいいよ。誰かに聞かれたら困るのは、今は君の方かもしれない」

 意味が分からなくて、すぐには反応できなかった。

 久慈原先輩は静かに続けた。

「今さら騒いでも、君がこれまで何をしてきたかは消えない。皆、君の説明で納得してきたんだ」

「僕は……」

「助かったよ、本当に」

 その一言で、最後の何かが切れた。

 助かったよ。

 何度も聞いたその言葉が、今度ははっきり別の意味で届いた。

 感謝ではない。

 利用価値への評価だ。

 僕は一歩下がった。

 それ以上、近づけなかった。

 殴ることも、怒鳴ることも、できなかった。

 そんな資格が、自分にあるのか分からなくなっていた。

「君は悪くないよ」

 久慈原先輩は、やさしい声で言った。

「ただ、見える範囲で頑張っていただけだ」

 慰めの形をした、その言葉が一番残酷だった。

 見える範囲。

 そうだ。

 僕はいつも、見える範囲だけで勝ったつもりになっていた。

 それより外に、最初から誰かの痛みも、悪意も、助けを求める声もあったのに。

 僕は踵を返した。

 生徒会室から逃げるように離れて、昇降口まで一気に走った。

 外へ出ると、雨が降っていた。

 いつから降っていたのか分からない。

 細かい雨粒が、熱を持った頬に触れて、すぐ冷えていく。

 傘を持っていなかった。

 でも取りに戻る気になれなかった。

 旧校舎の方角が、雨の向こうに黒く沈んで見えた。

 あの階段で、誰かは落ちた。

 誰かは傷ついた。

 誰かはずっと、その痕跡を消してきた。

 そして僕は、そのたびに「解いた」と胸を張っていた。

 笑いたくなった。

 笑えるはずがないのに、喉の奥がひきつって、変な息が漏れた。

「……最悪だ」

 雨音に消えるくらいの声で言った。

 僕は、探偵なんかじゃなかった。

 真実に近づいていたつもりで、真実から人を遠ざけていた。

 解決者ですらない。

 ただの、掃除係だ。

 雨の中で立ち尽くしたまま、その言葉だけが何度も頭の中に落ちてきた。

 もう、何を見ても、どう考えても、自分の思考が正しい方へ向かう気がしなかった。

 解けば解くほど、また誰かを傷つけるんじゃないか。

 そう思った瞬間、胸の真ん中に、深くて暗い穴が開いた気がした。

 そこにはもう、これまで自分を支えていた熱がひとつも残っていなかった。

 あるのは、遅れてやってきた理解だけだ。

 僕はずっと、誰のためにも解いていなかった。

 雨は、やまなかった。

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