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中庭のベンチに腰を下ろし、わたしは膝の上に広げた書類に目を通していた。
「最有力候補としては、この二人かしら」
一人は領地に引きこもって王都に出てこない侯爵令嬢。もう一人は隣国の第二王女。
聖女召喚中止に伴い、議会は念のため王太子妃候補を複数用意していた。
わたしが事情を説明して候補一覧を見せてほしいと言ったとき、議長は何か言いたげな、実に複雑な顔をしていたが、わたしの気迫に押されたのか、結局は黙って資料を差し出してくれた。
ページをめくっていると、背後から軽い足音が聞こえた。
「アーシャちゃん。こんなとこで難しい顔してどうしたの?」
振り返ればコウキ陛下が陽光を背負い、人懐こい笑顔で近づいてきた。
「王太子殿下に『しばらく顔を見せるな』と言われたんです。この間に、彼の妃候補を整理しておこうと思いまして」
「ふーん」
コウキ陛下はわたしの隣に腰を下ろすと、当然のようにわたしの手を取った。
「アーシャちゃん、手冷たいね。疲れてる?」
彼はわたしの髪を指先でつまみ、柔らかさを確かめるように撫で、にこりと笑った。
「ね、ちょっと気分転換しよ? 同伴ってことで、俺と一緒に出掛けようよ」
「どうはん……?」
「俺の世界じゃさ、太客は昼から押さえるのが基本なの。締めも太客で決まるからね」
「たいきゃく……? しめ……?」
「俺、太客には全力なんだよねぇ。タクシー……は無理か。じゃあ、そこの子、馬車お願いね」
コウキ陛下が通りかかったメイドに声をかけ、あれよあれよという間に馬車が用意されてしまった。
「ええと、わたしまだ書類が——」
「書類なんて後でいいよ。今は俺を優先して? 昼同伴なんて、特別な子じゃなきゃ誘わないんだよ?」
そのまま強引に手を引かれ、わたしは馬車に押し込まれた。
「あの……これはいったい、どういう……」
「アーシャちゃんと二人きりになりたかったからさ。理由なんて、それで十分でしょ?」
石畳を進むたびに馬車がガタガタと揺れ、わたしの心まで落ち着かなくなる。対面のコウキ陛下はその動揺を見透かすように口角を上げた。
「ねぇアーシャちゃん。王太子くんのこと……好きなんでしょ」
「えっ!? ちがっ……いや……違、わない……ですけど……」
不意打ちの直球に胸がドキリと跳ねた。誤魔化そうとしても、コウキ陛下にはどうせ通じない。迷った末、聞き上手な彼に背中を押されるようにして、わたしは胸の内を余すことなく打ち明けてしまった。
「——仕方ないんです。わたしたちの間には王族と子爵令嬢という身分差があります。母が王妃殿下の侍女を務めていた関係で幼い頃から親しくしていましたが、本来なら気軽に接することなどできない相手なのです。だから、この想いが届くことはないと最初からわかっているんです」
コウキ陛下は慣れた様子で、相槌を打ちながら、わたしの話に耳を傾けてくれた。
「そっか。でもアーシャちゃん……身分差なんてさ、気持ちの前じゃ意味ないよ」
「でも……きゃっ!」
わたしが返答に詰まったそのとき、突然馬が嘶き、馬車が急停止した。
次の瞬間、馬車の扉が開き、破落戸のような格好をした男たちがぞろぞろと現れた。
「お嬢さん、無駄な抵抗はしない方がいい(棒)」
「大人しく俺たちについて来てもらおうか(棒)」
彼らの出現で、つい先ほどまでの神妙な空気は一瞬にして飛散した。
わたしは「はぁ……」とため息を吐いた。そして、見覚えのある彼らをじっと見つめた。
「皆さん、何してるんですか? 新しい訓練ですか?」
破落戸のわりには妙に小綺麗な彼らに冷静に告げると、彼らはあたふたと狼狽え始めた。
「いや、我々は殿下の命令で、あなたを連れ戻しに来た騎士ではないっ!」
「ちょっ、馬鹿! お前なに言ってるんだよ!」
(やっぱり……。ああ言ったくせに、しっかりわたしを監視していたのね)
その様子を見ていたコウキ陛下は、腕を組み、ふむと頷いた。
「へぇ、王太子くんやるじゃん。なんだかんだ言ってアーシャちゃん取り返しに来るとか、そういうの嫌いじゃないよ。うちの店だと太客の担当替えってガチでタブーなんだけど……ま、今回は特別ってことで」
わたしたちは誘拐未遂の茶番が終わるや否や、何事もなかったかのように王城へ引き返す羽目になった。
王城に戻ると、応接の間には、マルグリット王女とフォートグレン副団長。そして鬼の形相のヴィンセントが待ち構えていた。
「アーシャ! 俺に黙ってどこに行くつもりだ!!」
「え? どこって……」
コウキ陛下に視線を向けると、彼はヴィンセントに顔を向けニヤリと笑った。
「ねぇ、王太子くん。アーシャちゃんは君の彼女じゃないんでしょ? なら俺が狙うのも当然アリだよね?」
「アリじゃねぇ!!」
ヴィンセントは今にも噛みつきそうな勢いで怒鳴った。
「アーシャちゃんのことが大事なら、ちゃんと指名しないと。じゃなきゃ俺が本指で貰っちゃうよ?」
コウキ陛下は、感情をむき出しにするヴィンセントを面白がるように、わざと挑発めいた調子で返した。
「ほんし……? とにかくアーシャは渡さん!! アーシャは……アナスタシアは俺を好きにならなきゃ駄目なんだ!!」
ヴィンセントはわたしに向き直り、何かを振り切るようにさらに声を荒げた。
「お前もいい加減に気づけよ!! この、鈍感女っ!! 俺はお前が好きなんだ!! 俺の妻になるのはお前しかいないんだ!!」
「え……?」
ヴィンセントの告白に、わたしは目を見開いた。
(今、何て言ったの……? わたしを、好き……?)
胸が縮み、ローブの胸元をぎゅっと掴む。息が詰まり、呼吸が整わない。
「……そんなこと、今まで一度も言ったことなかったじゃない。それに、わたしは子爵令嬢で、身分が違うわ……そんなの、許されるはずがない……」
期待と戸惑いが交錯する。素直に受け止めたいのに、踏み出せずに立ちすくんでしまう。
ヴィンセントはわたしに近づくと、真剣な表情で語り出した。
「よく聞けアナスタシア。俺は召喚された聖女との結婚が決まっていた。それこそ生まれる前から。だから、お前に気持ちを告げるなんてできなかった。でも、俺はずっとお前が好きだった。だから、聖女召喚なんて必要ないって、何度も議会に掛け合った。剣も鍛えた。騎士団も強くした。仮に魔物が出ても俺たちで討伐できるように。ようやく聖女召喚中止が決まって、お前に気持ちを伝えようとした。けど、お前に好きな男がいるんじゃないかと様子を探っていたんだ。仮にそうだとしても他の男に渡すつもりはなかったから、先に外堀を埋めて、ついでに既成事実を作ってしまおうとあれやこれを……」
ヴィンセントは一度言葉を切り、わたしを安心させるように小さく笑った。
「それに、お前は不可能と言われていた聖女返還魔法を完成させた天才魔術師だ。その上、疑似とはいえ、王家直径にも使えない聖属性魔法を使える。身分差なんてあってないようなものだ」
ヴィンセントは表情を引き締め、わたしに向き直った。
「アーシャ、俺はお前じゃなきゃ嫌だ。俺と結婚してくれるよな?」
気づいたときには、わたしは決して叶わない恋をしていた。彼は生まれたときから、いいえ、彼が言うように、生まれる前から伴侶が決められていたから。
なのに……。
召喚された聖女と王族の婚姻は、元の世界に帰れない聖女に対し、国が責任を持ち聖女の身分を補償するための制度だ。だから、わたしは聖女が帰れるように、返還魔法の研究を死に物狂いで続けた。
ヴィンセントを聖女に奪われたくなかったから。
今回の聖女召喚中止が決定し、わたしは研究してきた異世界接続理論も召喚術の再編も返還魔法が評価されないことより、聖女が——ヴィンセントの伴侶が召喚されないことを、何よりも喜んでしまった。
それがわたしの答え。
「ヴィンス……大好き」
ヴィンセントに気持ちを告げると、彼は首を傾げながら、確かめるようにわたしの体をペタペタと触った。
「幻影じゃ……ないよな? 本物のアーシャ……だよな?」
「なに……してるの?」
「だってさ、お前なら俺に魔法をかけて、一生お前の幻影と暮らすように仕向けるとかやりかねないだろ? 幻影の精度も高そうだし」
「そういう魔法かけられたいの?」
「嫌だっ!! 幻影とはセックスできないっ!!」
バリッと錬成しかけた雷魔法は、満面の笑みを浮かべたヴィンセントに抱き上げられた瞬間、ふっと消えた。
「やったーーーっ!! セルジュ、聞いたか!? アーシャが俺を好きって言ったぞ!! アーシャをくれるよな!?」
「えっ?」
兄さまの名にギョッとして振り返ると、いつの間にか後方に立っていたセルジュ兄さまが、臣下の礼を取っていた。わたしが疑問の顔を向けると、ヴィンセントは潤んだ瞳で笑った。
「セルジュが、アーシャが俺を好きなら結婚を許すって言ったんだ! アーシャ、好きだよ。やっと、やっと届いた……!」
ヴィンセントの瞳が真っすぐにわたしを捉え、ゆっくりと近づいてくる。
「アーシャ……」
だが……。
「痛ぇっ!」
小さな雷撃が彼を貫いた。
「何でだよ!? 俺を好きって言ったろ!?」
「だって……みんな見てるし……」
周囲に目を向ければ、皆がニヤニヤしながらこちらに顔を向けていた。マルグリット王女は目を覆っているようでいて、指の隙間からまじまじと見ていた。
「見てなきゃいいんだな?」
ヴィンセントはニヤリとした笑みを浮かべると、わたしを抱えて応接の間を出て行った。
ちらりと視界に映ったコウキ陛下は、セルジュ兄さまとヴィンセントの側近たちに、全力で胴上げされていた。
「それでは、次元接続式転移魔法陣を発動させます。コウキ陛下、準備はよろしいですか」
「オーケー! よろしくね」
数日後、魔法陣の調整を終え、コウキ陛下が元の世界へ帰る日がやってきた。
「コウキ様、短い間でしたが、あなたの存在はわたくしにとって大きな意味を持ちました」
マルグリット王女が、静かに頭を下げる。
「コウキ陛下、あなたのおかげで、私は……いや、私たちは気持ちを通わせることができました。あなたに心からの感謝を」
フォートグレン副団長は騎士の礼を取り、深い敬意を示した。
「貴殿には我らの不手際により多大なご迷惑をかけた。これはささやかながら謝意と礼の印だ。“だいがく”への道が実りあるものであることを願う」
ヴィンセントは重そうな木箱をコウキ陛下に手渡した。
「土産ありがと〜。あ、マリーちゃんアーシャちゃん、ウチ初回三千円で飲み放題だからさ。暇な時来てよ」
コウキ陛下はそう言いながら、魔法陣の中心に立ち軽く手を振った。その笑顔は晴れやかだったけれど、ほんの少しだけ寂しそうにも見えた。
「コウキ陛下、心より謝罪と感謝を……。あなた様の夢が叶うようお祈りしております。それでは……次元接続式転移魔法陣発動!」
わたしが魔力を流すと、魔法陣が光を放ち空間が揺れた。彼の姿は、ゆっくりと光の中に消えていった。
「開けた瞬間に白い煙が……なんてことないよな?」
新宿区某所。皇帝陛下と呼ばれた彼は、家賃四万九千円の格安1Kで恐る恐る木箱の蓋を持ち上げた。
中にはぎっしりと金貨が詰まっていた。宝石も混ざっている。ゴクリと唾をのんだ陛……いや彼は、しばらくの間動けずにいた。
「……これ、個人で持ってたらアウトじゃね? ……てか、換金できんの? 質屋? メ○カリ? いや、まず祖母ちゃんに電話……?」
彼はスマホを取り出し、検索窓に「異世界 金貨 バレずに換金」と打ち込み、そっと木箱に布をかけた。
「とりあえず……押し入れ行き、だな」
そうつぶやいて、彼は慎重に木箱を抱えた。
——おわり——
多くの作品の中から、この物語を読んでいただき、ありがとうございました。




