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 ぼんやりとした意識の中で揺れながら、ゆっくりと目を開けたわたしの視界に映ったのは、金糸の刺繍が施された天蓋ベッドの天井だった。


「ん……」


 掠れた声を漏らすと、すぐそばの影がガバッと身を乗り出してきた。


「アーシャ……! 良かった、気が付いたんだな!」


 その声の方に顔を向ければ、不安げな顔をしたヴィンセントが、ベッド脇の椅子に座りわたしの手を握っていた。


「ここは、城の客間……?」

「ああ、お前は帰還したと同時に倒れたんだ。魔力枯渇寸前だったんだぞ!」

「そう……ね……。さすがに休憩なしの往復はきつかったわ」

「もうあんな無茶はするな! 絶対にだ! お前が倒れて、俺は気が気じゃなかった……!」


 ヴィンセントは手を握ったまま、額に押し当て目を閉じた。祈るような仕草が、彼の揺れる心を抑え込んでいる様だった。


「わかったわ。心配かけてごめんなさい」

「……水、飲むか?」

「ええ、ありがとう」


 わたしが頷くと、ヴィンセントは立ち上がり、テーブルの水差しからグラスに水を汲んで自分の口に含んだ。そのままわたしを覗き込むように顔を近づけ、そっと頬に手を添えた。


「ねぇ、まさか口移しで飲ませようとしてる? その必要はないわ。グラスでちょうだい」


 ——ゴクッ


「……遠慮するな」

「遠慮じゃないわ。休んだら魔力もある程度は回復したもの。気が気じゃなかったと言う割に、そういうことは平然と出来るのね」

「俺はチャンスを逃さない男なんだ!」


 わざとらしくいつもの調子で軽口を叩くヴィンセント。わたしの気持ちを軽くしようとする不器用な気遣いに、彼の優しさが滲んでいる。


 そのとき、扉の向こうから控えめなノックの音が響いた。ヴィンセントが舌打ち混じりに立ち上がり、扉を開けて対応する。


「アーシャ、マルグリット王女が来ている。話せるか?」

「ええ、大丈夫よ」


 体を起こして乱れた髪を整えると、ヴィンセントが背にクッションを添えてくれた。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 緊張を含んだ声と共に、マルグリット王女が部屋に入ってきた。背筋はまっすぐに伸び、姿勢も崩れていない。けれど、指先だけが落ち着かず淡いラベンダー色のドレスをなぞっていた。


 彼女の後ろには、フォートグレン副団長が控えていた。黒い騎士服に身を包み、無言のまま静かな圧を放っていた。


「お加減はいかがかしら」

「ええ、問題ありません。マルグリット王女殿下は、お身体の方は……?」

「わたくしは平気。先日は取り乱してしまって……ごめんなさい」


 眉をわずかに下げ視線を落とす彼女。その姿は言葉以上に後悔を伝えていた。


 異世界で彼女を見つけたとき、フォートグレン副団長と彼女は「帰る」「帰らない」の押し問答を繰り返した。埒が明かず、結局わたしが術式を展開し、半ば強引に連れ帰ってきたのだ。


 フォートグレン副団長が一歩前に出て、深々と頭を下げた。


「アナスタシア嬢、この度はマルグリット王女殿下を無事に連れ帰ってくださり、心より感謝申し上げます。殿下の御身を守るべき立場にありながら、あのような事態を招いたこと、深くお詫び申し上げます」

「いいえ、王女殿下がご無事でなによりです。それに、今回の件を通じて、魔法陣の管理体制について改めて見直す必要があると感じました」


 わたしがそう告げると、マルグリット王女は「ありがとう」と言いながら腰を折り、フォートグレン副団長はその場に膝をつき、騎士の礼をもって頭を垂れた。


 彼らの敬意に礼を返し、隣に立つヴィンセントへ視線を送った。彼は短く目を合わせると無言のまま頷き返した。


「では、我々は少し席を外そう」


 ヴィンセントが歩き出し、フォートグレン副団長もそれに続く。扉が静かに閉まり、部屋にはわたしとマルグリット王女だけが残された。


 マルグリット王女はベッド横の椅子に腰を下ろすと、膝の上で手を握りしめ、伏し目がちに言葉を継いだ。


「改めて謝罪を申し上げます。わたしの身勝手な行動であなたたちに迷惑を掛けてしまって……本当に、ごめんなさい。それと……」


 マルグリット王女はそう言ったきりしばらく黙っていた。わたしはその沈黙を待ち、やがて口を開いた。


「マルグリット殿下はフォートグレン副団長がお好きなんですね。だから、敢えてご自身の悪評を流し、縁談を遠ざけててこられたんですね?」


 その問いに、彼女は彼らが出て行った扉の方へ視線を向け、寂しげに笑った。


「ええ、彼がまだ若い頃、わたくしの護衛任務に就いたことがあって……そのときからずっと彼が好きなの。でも、彼はわたしを“守るべき対象”としか見ていないの」


 噂に聞いていた高慢で気性が荒い王女の姿は、そこにはなかった。目の前にいるのは、恋に臆病なひとりの少女。守られる立場に甘んじながらも、彼への想いを譲ることなく。


「……でも、もう潮時かしら。デイビットはあなたに惹かれたみたいだもの。パーティーで彼と踊ったでしょう? あの人、普段は誰とも踊らないの。……どうかしてるわよね、他国の、それも王太子の恋人に心を向けるなんて」


 感情を押し込めたような声に、わたしは首を傾げ彼女に告げた。


「それは違うと思います。パーティーでのあれは、社交辞令というか……違和感? がありましたし、それに、フォートグレン副団長は異世界でも常に王女殿下のことを気に掛けていましたよ?」


 マルグリット王女の瞳にわずかに期待めいた光が差した。わたしはクッションに背を預け、少しだけ口元を緩める。


「マルグリット殿下は、フォートグレン副団長に気持ちを伝えないのですか?」


 わたしは自分を棚に上げ、彼女に問いかけた。彼女は首を振り、小さな声でつぶやいた。


「デイビットに伝えたとしても、彼がわたしを意識することはないと思うわ……」


 彼女のその言葉は、傷つくのを恐れ踏み出せない言い訳のように聞こえた。


「……ねぇ、あなたたちはどうやって恋人同士になったの? ヴィンセント王太子殿下はいずれ召喚される聖女との婚姻が決まっていたでしょう? でもあなたたちは以前から恋人同士だったのよね? 聖女が現れたら別れる覚悟で愛し合っていたの?」

「えっ!?」


 突然話がこちらに向き、わたしは言葉に詰まりそうになりながらも、誤魔化すように話題を切り替えた。


「わ、わたしたちの話は、置いておいて、マルグリット王女殿下、フォートグレン副団長の気持ちを確かめてみませんか?」


 彼女にそう提案したときだった。廊下の空気がざわつき、扉の向こうで交錯する複数の足音が聞こえた。緊張に身を強張らせた直後、扉が叩かれ息を切らした宮廷魔術師が顔を覗かせた。


「火急の報せにつき、マルグリット王女殿下には無礼を承知で失礼いたします!! アナスタシア様、大変です!! 王国に異世界人が現れました!!」

「なんですって!?」










 応接の間に向かったわたしたちが見たのは、シルバーブロンドに細身の黒衣を纏った男性だった。


 柔らかそうな髪はふんわりと、しかし風を拒絶するかのように整えられ、長めの前髪を左右に流している。片耳には銀のピアスが連なり、はだけた胸元からは細い銀のネックレスが覗いていた。細い指には複数の指輪が光り、腰のラインを強調する黒衣が足を現実味のないほど長く見せている。


 そう言えば異世界で辺りが暗くなったころ、ああいった風体の民がチラホラと現れ始めていた。


 ヴィンセントがわたしに近づき、耳元でこそりと囁いた。


「アーシャ、どうやらこの者は俺たちが異世界から帰還する際に、うっかり一緒に連れてきてしまったらしい」

「えぇっ!?」


 わたしは異世界から戻る際、わたしたちの痕跡を完全に消し去るため、微細な魔力残滓や関わった人々の記憶など、すべてを術式に組み込んで帰還したはずだ。


「つーか、ここどこ? 電波死んでんだけど。Wi-Fiねぇの? インスタ更新できねぇじゃん。フォロワー減るってマジで災害なんだけど」


 異世界から連れてきてしまった青年は、その場の空気など意に介さず、光る板を振り回しながら、何やら呪文のような言葉を口走っていた。


 ヴィンセントとわたしは目を合わせ、無言のまま状況を探った。そのとき、ふと青年の指輪から微量の魔力が揺らいだのを感じた。


「あの指輪は殿下の……」


 フォートグレン副団長が低くつぶやくと、彼の背後からマルグリット王女が顔を覗かせ、驚きの声をあげた。


「まあ! あなたは……!」

「おっ! マリーちゃんじゃん! こんなとこで再会とか……運命、今日も俺に寄ってきちゃった感じ?」


 彼らの会話に、皆がマルグリット王女に視線を向けた。


「マルグリット王女殿下、彼をご存じなのですか?」

「ええ。あちらの世界で、わたくし空腹に耐えかねておりました。けれど金子もなく、どうすればよいのか分からず立ち尽くしていたところを、あの方が助けてくださったのです。香ばしい香りのする温かい鶏肉を渡してくださって……それで、お礼に指輪を差し上げましたの。とても美味でしたわ」


 わたしが尋ねると、マルグリット王女はそれを思い出したのか、目を細めうっとりと語り出した。


「あ、そうだマリーちゃん。これ、君に渡したかったんだよねぇ。受け取った瞬間から……君、俺の特別だから」


 彼はそう言い、マルグリット王女に小さな紙片を渡した。


「俺、『Culb(クラブ )Celestial(・セレスティアル・) Empire(エンパイア)』でナンバーワン(皇帝)張ってる『煌貴(コウキ)』。姫の夜に俺という流星、落としていい?」


 彼が片目を閉じた笑顔を見せると、マルグリット王女はほんのり頬を染め、それを受け取った。


「「「こ、皇帝……!?」」」


 わたしとヴィンセント、そしてフォートグレン副団長は同時に目を見開いた。


 その場にいた全員が息をのむ中、わたしは気が遠くなりかけ足元がぐらついた。ヴィンセントが咄嗟に肩を支え、顔を覗き込むようにして問いかけた。


「アーシャ、まさか……」

「ええ……。あの方を連れてきてしまったのは、あの指輪にマルグリット王女殿下の魔力が残っていたせい。それを身につけていたあの方が、術式に巻き込まれてしまったのよ……」


 この世界の物を身につけた異世界人がいるなんて、完全に盲点だった。術式の確認を怠ったわたしのミス。しかも、よりにもよって“皇帝陛下”だなんて……。


「わかった」


 ヴィンセントは頷くと、皇帝陛下に向き直り姿勢を正した。


「私はルトニアス王国王太子、ヴィンセント・ルトニアス。貴殿を我が術式に巻き込んでしまったこと、深くお詫び申し上げる。皇帝陛下のご滞在が少しでも快適なものとなるよう、王国として最大限の配慮を尽くす所存だ」


「え、王太子? 術式? ご滞在? ちょっと待ってよ〜。俺さっきまで同伴確定の流れだったんだけど~。これドタキャン扱いになったら、店にガッツリ寄付コースじゃ〜ん」


 コウキ陛下が焦った様子でうろたえていると、マルグリット王女がパンッと両手を打ち、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「でしたら、わたくしがお相手させていただきますわ!」


 その申し出に、コウキ陛下は一瞬の間を置いたあと、軽く指先で前髪を払い、マルグリット王女に視線を流し甘く微笑んだ。


「……じゃあ姫、今夜は俺が君の隣に入るね。逃げないでよ? 星は並んで輝く方が綺麗だからさ」

「光栄に存じますわ……」


 マルグリット王女が顔を真っ赤に染める中、それまで黙っていたフォートグレン副団長が、低い声で問いかけた。


「アナスタシア嬢、あの皇帝の滞在期間はどれほどを見込んでいるだろうか?」


 わたしは気を取り直し、即座に思考を整え答えた。


「魔法陣の調整や、わたしの魔力回復も含めると……しばらくはかかるかと……」


 フォートグレン副団長はわずかに眉を動かし、短く息を吐いた。


「可能な限り早急に帰還できるよう協力は惜しまない。私にできることがあったら何でも言ってくれ」







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