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 王城の大広間は、夜の帳が降りるとともに光の海へと変貌していた。天井から吊るされた無数の魔導灯が、金糸のカーテンと宝石を散りばめた装飾を照らし、貴族たちの笑い声と音楽が、祝祭の空気を満たしていく。


(……歩きづらいわ)


 慣れないヒールに足を取られながら、わたしは妙な居心地の悪さを感じていた。普段は王太子付き護衛魔術師の証である紺色のローブ姿でヴィンセントの背後に控えているわたしだが、今日は彼から贈られた青いドレスに身を包み、「パートナー」としてその腕に手を添えている。


 大広間に足を踏み入れると、周囲の視線が一斉にこちらへ向けられた。


 年若い令嬢たちは扇子の陰からこちらを見て、悔しそうに唇を噛んだ。中年の貴婦人たちは顔を寄せ、何やら耳打ちを交わす。令息たちは顔を赤らめ、わたしとヴィンセントの間で視線を往復させている。老齢の貴族たちでさえ、グラスの手を止めてこちらを注視していた。


 召喚される聖女との婚姻が前提だったため、ヴィンセントはこれまで夜会に誰も伴わなかった。そんな彼がわたしをパートナーとして連れていることで、過剰な注目を集めているのだろう。


 大広間の奥、壇上に立った陛下がゆるやかに手を掲げ、場のざわめきが静まる。陛下が開宴を告げ、楽団が序曲を奏で始める。


 ヴィンセントがわたしの前に立ち、手を差し出した。


「レディ、踊っていただけますか?」

「ええ、喜んで」


 わたしが手を取ると、彼は満足げに微笑み、ゆっくりとステップを踏み始めた。


 ヴィンセントのリードに身を委ねながら、彼の横顔をちらりと見る。


 シャープな顎のラインは、柔らかさを拒む輪郭。無駄のない意図的に削ぎ落とされたような造形だ。唇は薄く、感情の痕跡を残しにくい。笑えば柔らかく、結べば冷酷に見える。


 スッと通った鼻筋は、顔の中心を縦に貫く一本の線。光が当たると陰影が生まれ、全体の構造が引き締まる。


 伏せたまつ毛は長く濃く、瞳に影を落とす。その青緑の色は光の加減で印象を変える。見惚れるほど美しいのに、視線が合えば静かな圧に息が詰まる。


 周囲の令嬢たちは、それぞれのパートナーを隣に従えていながら、ヴィンセントの美貌に惚けていた。視線は逸らせず、言葉は宙に浮き、彼が動くたびに息が漏れ、笑えば頬が緩む。



(選ばれし美の民とは、よく言ったものだわ……)



 曲が止まりヴィンセントがわたしの手を離すと、周囲から大きな拍手が沸き起こった。わたしは軽く礼をして一歩下がり、息を整える。


 そのとき、大広間の奥からひときわ華やかな一団が近づいてくるのが見えた。先頭に立つのは、淡いピンクブロンドの髪をゆるく巻き上げた、水色の瞳の女性。ノルヴェリク王国のマルグリット第五王女殿下だ。


 年齢はわたしより一つ下のはずだが、豊かな胸元と引き締まった腰のラインが年齢以上の成熟を感じさせる。ドレスはノルヴェリク王国の伝統様式を取り入れたもので、淡い水色の生地に銀糸の刺繍が施され、彼女の肌を一層白く見せていた。


 その隣に立つのは、ノルヴェリク王国騎士団の礼装騎士服を纏ったフォートグレン副団長。先日の雷撃事件の被害者である彼は、王女のエスコートとして、無言のまま周囲に威圧感を放っていた。


「ヴィンセント王太子殿下、ノルヴェリク王国より参りました、マルグリットです。今宵の祝宴、心より楽しみにしておりました」


 マルグリット王女は優雅に歩み寄り一礼する。噂では高慢で気性が荒いと聞いていたが、そんな様子は見られない。むしろ言葉遣いも丁寧で、所作も礼儀正しく美しい。


「それは光栄です、マルグリット王女殿下。ルトニアス王国へようこそ」


 ヴィンセントが礼を返すと、マルグリット王女はふわりと花が咲くように微笑んだ。その瞬間、彼の視線が滑るように彼女の胸元へと落ち、鼻の下が見事に伸びた。


「コホン」


 わたしが冷ややかな視線を向けると、ヴィンセントはサッと目を逸らし、わざとらしく天井を見上げた。


 マルグリット王女は何も見なかったかのように一歩前へ進み、スッと手を差し出した。


「王太子殿下、もしよろしければ一曲お付き合いいただけますか?」

「仰せのままに」


 王族同士が踊るのは義務だ。ヴィンセントは迷うことなく彼女の手を取ると、舞踏の輪へと入っていった。


(何よ、あんなこと言ってたくせにまんざらでもない顔しちゃって。そのまま婚約でも発表したらいいじゃない)


 胸の奥に小さな苛立ちを覚えながら、わたしはその場に立つフォートグレン副団長に向き直った。


「先日の件につきまして改めてお詫び申し上げます。わたくしの魔法制御が至らず、危険な目に遭わせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」


 黙ったままマルグリット王女を見つめていたフォートグレン副団長にそう告げると、彼ははっと我に返り、わたしに顔を向けた。


「いいえ。謝罪はもう十分いただいております。どうぞお気になさらず」


 先日の厳しい表情とは違い、彼は屈強な外見に似合わぬ人懐こい笑みを浮かべた。どこか照れを含んだ表情が、思いのほか親しみやすく見える。


 わたしが笑みを返すと、彼は礼装の襟元をいじりながら、落ち着かない様子で口を開いた。


「その、先日も可愛らしい方だと思いましたが、着飾った今宵の貴女はとても美しい……。周囲が貴女に見惚れるのも無理はありませんね」

「普段はローブ姿なので、今日は珍しいだけです」

「それでも、目を奪われるのは事実です。……私は目だけでなく、心まで奪われてしまいました」

「ふふ、お上手ですね」


 彼はこういった台詞は言い慣れていないらしく、言葉の端々が浮いていた。その不器用さがかえって印象に残る。彼は一瞬視線を外したあと、わたしに手を差し出した。


「私と……踊っていただけますか?」

「謹んでお受けいたします」


 わたしたちが舞踏の輪へと入っていくと、背後にチラチラと視線を感じた。さりげなく目を向けると、ヴィンセントが焦った様子でこちらを見ている。


 しかし、それだけではなかった。マルグリット王女が真剣な表情で、わたしとフォートグレン副団長を見つめていた。


 その瞳にはわずかな緊張が宿っていた。彼女はわたしとフォートグレン副団長の距離を測るように、静かに視線を注いでいる。


 フォートグレン副団長とのダンスを終えて礼を交わすと、周囲の空気がざわついているのに気づいた。視線を向ければ、令息たちが次々とわたしに声をかけた。


「次は僕と踊っていただけますか?」

「いいえ、俺と一曲!」

「どうか私にあなたと踊れる栄誉を!」


 わたしが返答に迷っていると、フォートグレン副団長がすっとわたしの肩に手を添えた。


「あなたの美しさによからぬ虫が湧いてしまったようだ。こういった虫は一匹いたら三十匹はいるという。退治して差し上げましょうか?」

「虫違いだ。そしてあんたもそのうちの一匹だ」


 そのとき背後から冷ややかな声が飛び、振り返るとヴィンセントとマルグリット王女が立っていた。ヴィンセントは無言でフォートグレン副団長の手を払い、わたしたちの間に割って入った。


 令息たちは空気を察し、気配を消すように散っていった。


 ヴィンセントは眉間に皺を寄せてフォートグレン副団長を睨みつけ、フォートグレン副団長は笑みを崩さず余裕の構えだが、その視線は鋭くヴィンセントを射抜いていた。


「なによ……わたしとは踊ってくれないくせに……」


 わたしが戸惑っていると、マルグリット王女の小さな声が漏れた。


 彼女は俯き、ドレスをぎゅっと握りしめていた。感情を押し殺すように白い指がわなわなと震えている。


 けれど……。


「デイビットの馬鹿ーーーっ!!」


 彼女はそう叫ぶと、ドレスの裾を翻し足音荒くその場を走り去っていった。


「貴殿は王女の護衛だろ? 追わなくていいのか?」


 ヴィンセントが顎で促すと、フォートグレン副団長はわたしに向き直り一礼した。


「アナスタシア嬢、また改めて」


 その言葉を残し、彼は王女の後を追い会場を去っていった。


「アーシャ、来い!」

「え? ……わっ!」


 ヴィンセントが苛立ちを含んだ声をあげたのと同時に、腰に腕が回され体がふわりと持ち上がった。わたしはヴィンセントに担がれ、そのまま庭園のガゼボへと連れて行かれた。


 ベンチに下ろされたわたしは、何も言わずに目の前に立つヴィンセントを見上げた。腕を組み仁王立ちでわたしを見下ろしている。わかりやすく不機嫌だ。


「お前の恋人は俺だろ!?」

「そういう設定だったわね」

「俺は浮気は許さん!!」

「躍っただけじゃない」

「見つめ合ってたじゃないか!!」

「そっぽ向いて踊れって言うの?」


 不機嫌さを隠そうともせず、ヴィンセントは「フンッ」と鼻を鳴らして顔を背けた。


「お前がそういう態度なら…………実家に帰らせていただきますっ!!」

「あんたの実家ここだし、わたしの職場よ?」

「くっ……! こう言われたら折れるしかないって父上が言ってたのに! 俺は——」


 ヴィンセントがまだ何か言いかけたところへ、庭園の入口から宮廷魔術師が走ってきた。息を切らし、顔は真っ青だ。


「アナスタシア様、大変です!! ノルヴェリク王国の王女殿下が、次元接続式転移魔法陣を発動させました!」


「えぇっ!?」







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