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 カーテン越しの光が瞼の裏にじんわりと滲み、わたしはゆっくりと目を開け——


「きゃぁぁぁーーーっ!!」


 ——ると同時に絶叫した。だって……。


「おはよう。お目覚めかな? お姫さま」


 視界いっぱいに広がるのは、キラキラしい笑顔を浮かべるヴィンセントの顔。彼はわたしの上に覆いかぶさり、両手をしっかりとベッドに押さえ付けていた。


「んーーー」


 目を閉じ、顔を近づけてくるヴィンセント。


 一瞬で状況を把握し彼を突き飛ばそうとしたが、両手を押さえ付けられたままのわたしは動くことができない。


「ちょっ、やめなさいっ……」


 焦りつつも一気に魔力を開放すると、バタンと勢いよく窓が開き、ヴィンセントの体がぶわっと浮きあがった。


「え?」


 次の瞬間、彼は風に煽られながら、全力で窓枠にしがみついていた。


「うわぁーーー!!」

「次やったら、窓から飛ばすって言ったわよね?」

「悪かった! 出来心なんだ! 許してくれーーー!!」


 必死に言い訳を叫ぶヴィンセントに、わたしはベッドの上から冷めた視線を送った。起き抜けに魔力を使ったせいで、心臓がうるさい上に頭もクラクラする。


「次はほんとに飛ばすからね」

「わかった! もうしないから! 約束はできないが……」

「なんで約束できないのよ!」


(聖女への操を立てる必要がなくなった青年を、わたしは甘く見ていたのだろうか……)


 わたしは半分呆れながら、徐々に魔力を収め枕を抱えた。ヴィンセントは窓からなんとか室内へ這い戻り、四つん這いになって「はぁはぁ……」と肩で息をしていた。


「で? 朝っぱらから何してんのよ? わたしは今日は非番なのよ?」

「知ってる。だから夜這い……いや朝這いを少々……違うっ!軽い冗談だ! ……その、相談があるんだ!」


 ヴィンセントはフラフラと立ち上がり、言葉を選ぶように口を開いた。


「今回聖女召喚を見送ったことで、陛下が『平和記念パーティー』を開くんだ。それで、アーシャには俺の護衛じゃなくて、パートナーとして参加してほしいんだ」

「なんで?」


 問いを返すと、彼は一瞬だけ視線を逸らし、それから急に真剣な顔でわたしを見つめた。


「お前が好きだから」


 ドキリと跳ねた心臓は、次の言葉で鈍く沈んだ。


「…………という体で、ノルヴェリクの末王女との縁談話を回避しようと思うんだ。だから、俺とお前が昔から相思相愛だったって“ふり”をしてくれれば、って」

「そんな縁談話、初耳なんだけど……」


 部屋の空気がピキピキと凍り、ヴィンセントは慌てて続けた。


「違う! まだ正式な話はない! だけど、パーティーにはノルヴェリクの王族も来るんだぞ!? きっと噂の性悪王女を俺に宛がおうと目論むはずだ!」


 ヴィンセントの言葉に魔力を抑え、冷静に考える。


 その噂の真偽は定かではないが、隣国ノルヴェリク王国の末王女に関しては芳しくない話ばかりが耳に入る。とはいえ、聖女召喚の中止を口実に、王女を押し付ける形でヴィンセントとの縁談を持ちかけてくる可能性は十分にあり得る。


「……わかったわよ」


 そう答えると、ヴィンセントは嬉々とした表情を浮かべわたしに飛びついた。


「やった! じゃあ約束のキスを……痛ぇっ!」

「しつこいわね」


 魔力が弾けヴィンセントの額に小さな閃光が走る。彼は床に崩れ涙目で抗議した。


「減るもんじゃないだろぉ……」

「減るわよ」


 わたしは風魔法でヴィンセントの身体を浮かせ、そのまま扉の方へ運んだ。「え? まだ話は……」と言いかけた彼を無視して、部屋の外へ追い出した。


「俺とお前は今から恋人だからなーーーっ!」


 扉越しに叫びながら、ヴィンセントは王城へと帰っていった。





 ***





 翌日登城したわたしは、いつものように訓練場へと足を運んだ。朝の空気は澄み陽光が眩しく照らす中、ヴィンセントが剣を振るっている。


 汗に濡れた髪が額に張りつき、鍛えられた体がしなやかに動く。鋭い踏み込みに無駄のない剣筋。相手の騎士が一瞬たじろいだ隙を逃さず、ヴィンセントは喉元寸前でピタリと剣先を止めた。


(こういうところは、ほんと尊敬するのよね)


 現在のルトニアス王国は、魔物もいなければ周辺国との関係も良好。戦争なんてもう何年も起きていない。それでも彼は、模範を示すように毎朝欠かさず鍛錬を続けている。


(先日の「朝這い王子」と同一人物とは思えないわね)


 見ている分には、まるで英雄譚の主人公みたいだ。 黙っていれば、きっと王城の誰もが彼に憧れるだろう。黙っていれば、ね……。


(……あれ?)


 訓練場の端に立ち、騎士たちの動きを眺めていたわたしは、ふと違和感を覚えた。


 見慣れた王国騎士団の制服の中に、ちらほらと異なる騎士服が混じっている。色合いも違えば、胸元の紋章も王国のものじゃない。


(新しい部隊? でも、そんな話は聞いてないし……)


 疑問に思っていると、鍛錬を終えたヴィンセントが、額の汗を拭きながら歩いてきた。


「ねぇヴィンス、あの騎士たち……ルトニアスの騎士じゃないわよね?」


 彼はタオルを首にかけたまま、ちらりとそちらに視線を向け答えた。


「彼らはノルヴェリクの随伴騎士団だ。平和記念パーティーに先駆けて、王族の護衛として到着したんだ」

「ふーん」


 何気なく視線を流したその先、わたしの視線は、ひときわ目を引く人物に留まった。


 ノルヴェリク王国の騎士たちの中で、ただひとり腰下に黒鉄の鎧を纏った男がいた。背筋を伸ばして直立する彼は、周囲の騎士たちとは明らかに空気が違った。黒髪は短く刈り込まれ、日焼けした肌に刻まれた傷跡と鋭く光る黒い瞳が、戦場を生き抜いてきた男の証を物語っているようだ。


 年の頃はセルジュ兄さまと同じくらいだろうか。けれど、兄さまの細身の体つきとは対照的に、彼の体はひと目で鍛えられたものだとわかる。肩幅が広く胸板も厚い。袖から覗く腕は今にも布を裂きそうなほどに太い。


「ヴィンス、あの黒鉄の鎧の方は……?」

「彼はノルヴェリク王国騎士団のデイビット・フォートグレン副団長だ。平民の出身だが戦場で功績を重ね、実力だけで副団長にまでのし上がった男だ。後に叙爵し、今回随行騎士団の責任者……って、アーシャ……?」


 フォートグレン副団長を見つめるわたしに、ヴィンセントが顔を引きつらせた。


「まさか…ああいうのが好み……なのか……!?」

「は?」


 眉をひそめると、彼は焦ったように叫び、咄嗟にわたしの目元を覆った。


「駄目だ! 見るな!」

「もう! こないだから何なのよ」


 そのとき、ヴィンセントの腕から逃れようと雷魔法を錬成したが、彼がわたしを引き寄せた拍子にその軌道が逸れ、フォートグレン副団長めがけて小さな雷撃が弾け飛んだ。


「「あっ!」」


 バチィィンッ!!


 わたしたちが声を上げるのと同時に、フォートグレン副団長の剣が閃いた。雷撃は刃に弾かれ訓練場の端に置かれた木製の武器棚へと直撃し、細い黒煙と微かに焦げた匂いが漂った。



 一瞬にして静まり返った訓練場に、針を落とす音すら響きそうな緊張が走った。



「も、ももも、申し訳ございませんっ!」


 わたしは慌てて彼に駆け寄り、深々と頭を下げた。


「わたくしは王太子殿下の護衛魔術師、アナスタシア・グリューネと申します。先ほどの雷撃は、わたくしの魔法制御の不手際によるものです。本当に……心よりお詫び申し上げます!」


 そう言って恐る恐る顔を上げると、フォートグレン副団長は、微動だにせずこちらを見下ろしていた。


(ひぇぇぇ! 近くで見ると、迫力が桁違いだわ……でも、すごく……男らしい顔立ち……)


  思わず見入ってしまったその瞬間、横からヴィンセントがスッと前に立ちふさがった。


「申し訳ない。今のは私にも非がある。決して貴殿に攻撃しようとしたわけではない。そして彼女は私の護衛魔術師兼恋——むぐっ!? んぐぐ……!」


 余計なことを言い出す前に、わたしは魔法で彼の口を封じた。


「いえ、大丈夫です。それより……」


 低く落ち着いた声が降ってくる。


  フォートグレン副団長はわたしを見つめ、わずかに顎を引いた。


「王太子殿下の護衛魔術師……というと、“聖女返還魔法”を完成させた……」

「ええ。ご存じとは光栄です」

「なるほど。優秀な方だと聞いていましたが……まさか、こんなに若く可憐な方だったとは」

「んぐぐっ!?」


 ヴィンセントが声を上げるが、魔法で封じているのでくぐもった音しか出ない。


 フォートグレン副団長は、そんなヴィンセントを一瞥しただけで、再びわたしに視線を戻した。


「雷撃の件は気にしていません。あの程度なら避けられます」

「寛大なお心に、感謝いたします」


(落ち着いてる……というか、器が大きい方なのね)


「んぐーっ! んぐぐっ!!」


 彼の気遣いに胸をなで下ろすと、ヴィンセントがくぐもった声のまま、勢いよくわたしの腕を引っ張った。


「え、ちょっと、待ってってば!」


 ヴィンセントに引きずられながらも、わたしはもう一度フォートグレン副団長に頭を下げた。彼は微動だにせず、ただ冷静な眼差しでこちらを見送っていた。







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