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 大陸の南端に位置するルトニアス王国は、かつて西方に広がる魔の森から放たれる瘴気に長きに渡り悩まされていた。瘴気は年月とともに濃度を増し、ついには魔獣を生み出す源となる。


 この禍を祓うため、王国では三百年に一度、異世界より「聖女」を召喚する儀式が執り行われてきた。聖女は聖なる力をもって瘴気を浄化し、王族と婚姻を結ぶことで王国との絆を深めていく。それが伝統として受け継がれてきたのである。


 前回の聖女召喚からちょうど三百年、現在のルトニアス王国は南方の豊かな海と肥沃な大地に恵まれ繁栄を極めている。忌まわしき魔の森も最後に召喚された聖女の圧倒的な力によって「聖なる森」へと姿を変え、脅威は遠い過去のものとなった。


 そして今回、議会は「もはや召喚は不要」と決断。聖女召喚の儀式は行われないことになった。





「それなら……俺の嫁はどうするんだーーー!!」





 わたしの目の前には、白銀の髪を乱し蹲って床を叩く青年。この部屋の主人である、王太子ヴィンセント・ルトニアス。


 わたしはそれを気にすることなく、テーブルの端に置かれた恋愛指南書を手に取り、表紙を眺めながら答える。


「国内の貴族令嬢の中から選べばいいじゃない」


 冷静に告げるわたしとは反対に、彼は声を荒げ反論をぶつける。


「どこに余ってる令嬢がいるんだよ!? 皆とっくに売約済みだ!! 残っているのは訳ありばかりだ!!」


 だが、わたしは冷静を保ったままパラパラとページを捲った。……この本、何冊目かしら。


「このまま童貞で死ねと!? そもそもおかしいだろ、王族は婚姻まで同衾禁止とか!! 俺が即位したら、まず最初にその制度を廃止してやる!!」


(また始まった……。このくだりも今月三回目よ)


 心の中でつぶやきながら、なおも嘆き叫ぶヴィンセントをよそに読み進めていると、突然彼の声が変わった。


「アナスタシア」


 名を呼ばれ顔を上げれば、立ち上がった彼に手を引かれ、気づけばベッドの脇へ連れて行かれた。グイッと腰を引き寄せられた次の瞬間、背中がふわりと沈み、柔らかな羽毛布団に押し倒される。


「え? ヴィンス、ちょっ……何して……」


 端正な顔がゆっくりと距離を詰め、その青緑の瞳に切迫した熱が灯る。


「ヤらせろ」


 バリバリバリッ!!


「ぎゃぁぁぁーーー!!」


 部屋に雷鳴が轟き、雷撃が彼を貫いた。プスプスと煙が立ち、焦げた匂いが漂う。ヴィンセントはベッドからずり落ち、ピクピクと痙攣している。


「いきなり何すんのよ。友人相手に見境いないの?」


 叱りつけると、ヴィンセントはよろよろとベッドに這い上がり、恨めしげな視線を向けながら唇を尖らせた。


「だって、お前……女だし。それにしても護衛対象に電撃を放つとは……」

「貞操の危機に護衛も何もないわ。次やったら、風魔法で窓から飛ばすからね?」


 そう言い放ち、ローブを整えながらベッドから降りるわたしに、彼は胡坐をかいて捲し立てた。


「ひどい話だと思わないか? 思うだろ!? 生まれた時からずっと召喚された聖女と結婚しろと言われてきたのに、いざその時が来たら召喚しませんって詐欺だろ!?」


 しばしの沈黙のあと、彼はうっとりと目を細めながら、夢見るように語り始めた。


「…………俺はな、海沿いの丘に建つ白い石造りのこぢんまりとした離宮に住むんだ。庭にはライラックの生け垣と噴水。テラスでは、怒ると怖いけど金髪で優しくて料理が得意で俺のわがままを『はいはい』って笑って流してくれる優しい妻が、澄んだ声で『あなたお茶にしましょう』って言ってハーブティーを淹れてくれて、俺はそれを飲みながら子供たちのけんかを止めるんだ。子供は三人で、上からしっかり者の長女とやんちゃな長男、そしておっとりした次女。長女は将来宮廷魔術師になって長男は騎士団長。次女は俺に似て勉強は苦手だけど明るくて皆に愛されるタイプで……。子供たちの喧嘩が治まった頃、部屋の中からは妻が奏でるピアノの音が響くんだ……」


「ツッコミどころ満載だけど、細かいところまで随分と具体的なのね」


 理想の家庭図を語り終えた彼は、バタンとうつ伏せになりジタバタと手足を動かして抗議し始めた。


「それ全部……聖女と結婚したら叶うって信じてたのに……なぜ!? なぜ召喚しないんだ!? 俺はこの夢で十六年生きてきたのにーーーっ!! 俺の将来設計は議会によって粉砕されたんだぞ!? これはもう国家賠償モノだろ!? 訴訟だ!!」


 羽毛布団に突っ伏す彼を、冷めた目で見下ろしながら問いかけた。


「……本音は?」

「今すぐヤりたい!!」


 パキパキと空気が凍り、部屋に冷気が漂う。すぐに察したヴィンセントが瞬時に顔を起こし、氷魔法の構えをとるわたしに必死に弁明を繰り出す。


「待て待て待て! 冗談だってば冗談! だってさアーシャ、お前は……異世界接続理論も召喚術の再編も子供の頃から研究してきて、ついには聖女返還魔法まで完成させた稀代の天才魔術師じゃないか。お前が努力してきたのを俺はずっと見てきたんだぞ? なのにその努力がちゃんと評価されないなんて、俺は悔しいんだよ……」


 魔力を収め、わたしを真っすぐ見つめるヴィンセントに、少しだけ間を置いて告げた。


「……別にいいわよ、そんなの」


 聖女を召喚する必要が無いのなら、それに越したことはない。わたしが研究してきたそれらは、今回は必要なくても後世に必要となるかもしれない。そのときに役立ててもらえればそれで十分だ。


「それなら……お前が俺の嫁になってくれるのか?」

「無理ね」

「くっ……! 考える余地すらないのか……!!」


 ヴィンセントは再び羽毛布団に顔を突っ伏し、くぐもった声で言った。


「アーシャ、俺の俺は今が全盛期なんだ……。俺の俺に活躍の場を与えないつもりか……?」

「もういいわよ、そういうの。わかったわよ」

「えっ!? いいの!?」


 わたしの言葉を聞いた途端、ヴィンセントはパッと顔を輝かせベッドから跳ね起きた。わたしに駆け寄り両頬をガシッと挟むと、またもや顔を近づけてきた。


「アーシャ……んーーー」


 だが——


「あっぢーーーっ!!」

「懲りないわね、あんた」


 幻覚の炎(ただし、ちょっとだけ熱い)でお尻を焼かれたヴィンセントが、絨毯の上で悶えながら非難の声をあげた。


「わかったって言ったじゃないか!!」

「何か策を考えてあげるって言っただけよ。とっくに交代の時間は過ぎてるんだし、帰らせてもらうわ」


 床に転がったままの王太子を一瞥し、わたしは踵を返して彼の部屋を後にした。










 グリューネ子爵家王都別邸に帰ったわたしは、ローブのまま自室のソファーに腰を下ろした。


「ヴィンスのやつ、簡単に言ってくれちゃって!」


 背もたれに頭を預け天井を見上げると、先ほどのやり取りがじわじわと脳裏に蘇った。


『残っているのは訳ありばかりだ』


 わたしはヴィンセントと同じ十六歳、そして婚約者はいない。つまり、わたしも「訳あり」のカテゴリーに入れられているわけだ。


「悪かったわね、訳ありで!」


 それなのに……。


『お前が俺の嫁になってくれるのか?』


 あの言葉は、わたしの胸をチクリと刺した。たとえそれを望んでも、子爵令嬢のわたしでは身分的に釣り合わず、議会に認められるはずもないのだから。


 そんな胸の滞りを断ち切るように、扉の向こうから声が届いた。


「お嬢様、晩餐のご用意が整いました。入室してもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」


 そう言いながら部屋に入ってきたのは、赤髪をきっちりまとめ、いつも通りの隙のない身なりをしたメイドのヘルガ。彼女はわたしの姿を見た途端、目を細めてため息を吐いた。


「まあ……いつまでその野暮ったいローブを着ているんです? 宮廷魔術師の証だか何だか知りませんけど、お嬢様の美しい金髪と紫の瞳、魅惑的なボディライン、それらを隠してしまうものなんてヘルガは好きじゃありません。さっさと着替えてくださいな」


 幼い頃から我が家に仕えてくれている彼女は、口は悪いが面倒見のいい姉のような存在だ。わたし贔屓が激しいものの、それは今に始まったことではない。


 そして、正しくは宮廷魔術師の証ではなく、王太子付き護衛魔術師の証なのだが……。


「まったくあの王子ったら、気づかせたくないからってこんな冴えないローブを着させるなんて……」

「え? 何か言った?」

「いいえ、早く着替えましょう。セルジュ様がお待ちですよ」

「兄さまがもうお帰りに? 今日は随分早いわね」




 着替えを終えてダイニングルームに向かうと、わたしと同じ色を持つ美丈夫が、すでに席に着きグラスを手にしていた。


 彼はわたしの八つ上の次兄であるセルジュ・グリューネ。宰相補佐として王政の中枢に関わる文官で、冷静沈着なその姿はどこか人を寄せつけない雰囲気だが、わたしにはとても優しい兄だ。両親と長兄夫婦は領地の本邸に暮らし、王都の別邸には次兄とわたしだけが暮らしている。


「おかえりなさいませ、兄さま」

「ただいま、アーシャ」


 席に着いたわたしを見つめながら、セルジュ兄さまは静かに言葉を投げかけた。


「アーシャ、王太子殿下から話は聞いているか?」


(聖女召喚中止の話ね)


「はい」


 わたしが頷くと、彼の表情がわずかに緩み、安堵の息が漏れた。


「そうか。お前はそれでいいんだな?」


 わたしは彼を見返し、迷いなく答えた。


「ええ、構いませんわ」

「わかった。父上たちには私から報告しよう。お前の選択を、きっと父上たちも誇りに思われるはずだ」




 その夜の晩餐で、セルジュ兄さまはどこか上機嫌だった。口数が多いわけではないが、ワインのグラスを傾ける手がいつもより軽やかだった。


 やはり、妹が聖女召喚に関わるということは彼にとって少なからず気がかりだったのだろう。宮廷の重責をよく知る兄だからこそ、肩の力が抜けたような様子には、ほっとした気配が滲んでいた。








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