第31話 エデルガルトとシャルロッテ3 後編
エデルガルトたち三人がいつも刺繍をしている部屋、客間の静寂を破ったのは、やはり王女宮の主人であるフロリアン王女だった。
「フェイスベールですね。とてもお似合いですよ」
フロリアン王女はいつも通りの涼やかな声で、シャルロッテに笑いかける。
エデルガルトは王女の対応に驚いてしまった。
自分などはシャルロッテを見るなり、絵本で眺めたような異国の呪い師のようだ、なんて思ってしまったというのに。
「このような無作法な格好で申し訳ありません。お恥ずかしいお話なのですが、昨夜弟と大喧嘩の末、喉を痛めてしまって……」
シャルロッテは珍しく恥ずかしそうに顔を伏せた。
言われてみると、確かにいつもより声が掠れている気がする。
それにしても。
「大声を張りあげるような喧嘩をなさったの?」
最近では、以前の彼女と比べると見違えるような令嬢になった、とシャルロッテに対して感じていたのだが……。
シャルロッテは、上目遣いでエデルガルトを見つめた。
「幻滅なさいました?」
エデルガルトは一瞬考えたが、答えは、
「いいえ」
だった。
なぜかしら。
「少しだけほっとしましたわ」
以前なら口うるさく、『令嬢らしく』『家名に恥じないように』と言っていたはずなのに。
自由で強い、闊達な赤髪の少女。
(また、あの頃の貴女に会えたようで嬉しいだなんて)
エデルガルトの答えを聞いたシャルロッテは、小さく笑ったように見えた。
「もう、喉はよろしいのですか?」
フロリアンが小首を傾げると、薄紅色の髪がさらさらと肩から滑り落ちる。
「医者からは喉を温めるようにと、それと潤いを与えるように、と言われまして。急遽こちらを求めに街へ……」
シャルロッテは繊細なレースがあしらわれたフェイスベールと、レース柄にフリルで飾られたハイネックを指で触れた。
エデルガルトの記憶が正しければ、今までシャルロッテがハイネック型のドレスを着て来たことはなかったと思う。
余程喉を痛めてしまったのだろうか、エデルガルトは自分に何かできないか考える。
そして、ひとつだけ思い当たった。
「シャルロッテ、貴女ハチミツはもう試されました?」
「ハチミツ……?」
「ええ。ハチミツです」
(シャルロッテのお役に立てるかもしれないわ!)
エデルガルトは喜びのあまり彼女らしからぬ、淑女からは程遠い勢いでフロリアンを振り返った。
「フロリアンさま、厨房のハチミツを少し分けていただいてもよろしいでしょうか? ハチミツは喉に良いそうなのです」
「もちろんですわ。お好きに使ってくださいな」
フロリアン王女は、嬉しくてたまらない、そう顔に書いてあるエデルガルトに目を細めた。
「シャルロッテも。エデルガルトについて行って差し上げて」
「はい」
フロリアン王女の言葉にシャルロッテは頷いた。
……が、そのあとすぐに、思い詰めたような顔でフロリアン王女とエデルガルトに告げた。
「おふたりに、近々ご相談があります」
♢
(相談、ってどのような内容かしら)
王女宮の厨房で、エデルガルトは小さく息を吐いた。
隣でりんごをむいているシャルロッテには、もちろん気づかれないように。
思えば今日は、彼女に振り回されてばかりだ。
冗談から派生したものだというけれど、朝は兄からの『シャルロッテと王太子殿下の婚約話』に驚かされ、王太子宮に着いた後は、彼女がいつ来るのかで気を揉んだ。
シャルロッテが王女宮に到着すればするで、いつもと違う様子に驚かされて。
そして、極め付けは、
『おふたりに、近々ご相談があります』
悪い相談じゃないと良いのですけど……。
エデルガルトが目を伏せたままそっと隣を伺うと、シャルロッテは器用にりんごの皮を処理していた。
ナイフを右手に、左手でりんごをくるくると回しながら、途切らせないように皮を皿の上へと落としていく。
『直接聞いてみたらどうかしら? 何を悩んでいるの? って』
それを聞くことができればどんなに楽か。
躱されるのも悲しいけれど、他人のことをずかずかと尋ねるのも、エデルガルトの中では淑女らしくないことなのだ。
淑女って面倒くさいものだわ。
今になって、シャルロッテの気持ちがわかるなんて。
レモンを輪切りにしながらエデルガルトがふっと笑みをこぼすと、シャルロッテはそのことに気付いたようだった。
「エデルガルト? どうかされましたか?」
「いえ、なんでもないのです……あら?」
まさか淑女を面倒くさいと思ってしまった、などとは言えないエデルガルトだったが、顔を上げてしっかりシャルロッテの瞳を見つめた時、気付いたことがあった。
「シャルロッテ、貴方背が伸びましたか?」
シャルロッテの瞳の位置が高い。
少し前まではシャルロッテを見下ろす形で合っていた瞳が、今ではほんの僅かだが彼女を見上げる形になっている。
それに心なしか、しっかりとした体格になった気もする。
……といってもシャルロッテは、今までが痩せ過ぎていたのでちょうど良いくらいなのだが。
「本当に、成長痛でしたのね」
「え?」
「あっ」
思わず手のひらで口元を押さえたが、すでに遅く……、エデルガルトは自身の口から滑り落ちてしまった言葉に、すぐに後悔した。
「あのっ……貴方が言っていた言葉を、疑っていたわけじゃないのです。ただなんとなく、はぐらされたような……そんな気が……」
言葉にすればするほど、礼を逸していく気がする。
それに、何を言っても言い訳がましく聞こえて……。
「ごめんなさい。失礼なことを」
エデルガルトは、説明することをあきらめて俯いた。
入れ替わるようにして、二人だけの厨房にシャルロッテの声が響く。
「信用できない、と思われても仕方がないのです」
シャルロッテらしからぬ自虐的な言葉に、エデルガルトは顔をあげた。
「フロリアンさまに呼ばれる前までは、あなたの言葉に反発してばかりでしたから」
フェイスベールで口元が隠れているため、シャルロッテが今どんな表情をしているかは読めない。
ただ翠玉色の瞳が、何だか寂しさを滲ませている気がして。
その瞳を見ていたエデルガルトは、突如不安に押しつぶされそうになった。
シャルロッテの『ご相談』が、王女宮を去る話なのでは、という予感がしたのだ。
だからだろうか。
「わたくしは、貴女が好きですわ!」
気付いたら口からこぼれていた。
さっきまであんなに『淑女らしく』、にこだわっていたのが愚かに思える。
比較する価値もないではないか。
なぜならエデルガルトにとって、シャルロッテは。
「貴女はわたくしの大切なおともだちです。何度も子供じみた言い争いもしましたが、今ならわかります。わたくしは貴女のことを、もっと知りたかったんだ、と」
「エデルガルト……」
「わたくし、わかったことがあるのです。貴女のように自由であろうとするのも、勇気が必要なのですわ。わたくしにはまだ難しいことですけど……、でも」
エデルガルトは自分の中に生まれつつある、小さな勇気を振り絞るように、両手をきゅうっと握りしめた。
「わたくしだって、貴女の力になりたいのです。貴女を寂しくさせているものは一体何なのか。困っていることがあれば、わけてもらいたい……のです……」
あまりにシャルロッテがエデルガルトを見つめてくるので、エデルガルトは言葉を最後まで紡ぐことに苦労してしまった。
なおもシャルロッテは、澄んだ瞳でエデルガルトを見つめ続けている。
エデルガルトは、恥ずかしさでいっぱいになった。
(どうしましょう。やっぱり『おともだち』だなんて厚かましかったかしら)
「そんなに見つめられると穴があいてしまいま……」
「私も、エデルガルトが好きです」
いつもより低い声……シャルロッテの声は、少し掠れたようなハスキーボイスだった。
フェイスベールで顔のほとんどは隠れているが、彼女の瞳から先程の寂しげな色が消え去っていることはわかる。
その代わりに甘やかな瞳が、エデルガルトを優しく見つめていた。
好きです、と先に言ったのは自分のはずなのに。
どくん、どくん、と。
早鐘のように打ち付ける自分の心臓の音に、エデルガルトは驚いていた。
シャルロッテが、わたくしを余りにも優しく見つめるから。
そう、シャルロッテの『好き』という言葉が甘すぎるせいだわ。
エデルガルトはすっかり温度があがってしまった両頬を、手のひらで押さえる。
そんな何気ないエデルガルトの仕草を見ても、シャルロッテは目を細めるのだ。
まるでエデルガルトを慈しむかのように。
(静まりなさい、わたくしの心臓! 誰にときめいているの? 相手はシャルロッテですわ!)
「エデルガルト」
「なんですの⁉︎ ……あ、」
気合いを入れる相手を間違えてしまい、エデルガルトは今度こそどん底まで落ち込んだ。
俯いた時に顔に被さってしまったプラチナブロンドを、シャルロッテはそっとエデルガルトの耳にかける。
「ありがとうございます。あなたの気持ち、とても嬉しかったです」
いつものシャルロッテの声だった。
「今は、私だけの判断ではできないことがあるのです。でもそちらが片付いたら、一番にエデルガルトに話に行きます。待っていてくれますか?」
エデルガルトにとっては、それだけで充分だった。
シャルロッテが自分を助けてくれたみたいに、エデルガルトも彼女の力になれそうなのだから。
「もちろんですわ!」
意気込んで答えたエデルガルトの瞳の端に、皿の上で忘れ去られたままのりんごが映り込んだ。
「まあ、わたくしったら!」
慌てて半分残しておいたレモンを、変色しつつあるりんごへと搾りかける。
作るものはコンポートだ。見た目に影響は出ないと思うけど。
「そちらのミルクパンを、取っていただいてもいいかしら?それから……」
白い壁に掛けられた、幾つかの調理道具をシャルロッテに用意してもらっているうちに、自身はハチミツを探すことにする。
王女宮のパティシエはきっちりした人物だ。
いつも通りの場所であれば、
(ありましたわ!)
三段ある壁付け棚の中段に、陶器でできた蜂蜜の壺を見つけた。
そのままだと届かないので、そばにある木製のスツールを移動させ、その上に静かにのぼる。
一瞬ヒールは脱ごうかとも思ったエデルガルトだったが、脱いでしまうと高さが届かない。
(少し不安定だけど、気をつければ大丈夫)
この時のエデルガルトは、高揚感の中にいた。
シャルロッテと心が繋がったことも、頼ってもらえたことも、エデルガルトに勇気を与えていた。
だから、
「エデルガルト、私が取りますよ」
というシャルロッテの申し出を断ったのだ。
「このくらい、わたくしでも取れますわ……きゃっ!」
それはヒールが揺れて、ほんの少しバランスを崩しただけだったのに。
ぐらり、と揺れる自身の体に、
(落ちる!)
エデルガルトは目をぎゅっと閉じる。
「エデルガルト!」
シャルロッテの叫び声が聞こえ、その瞬間。
部屋中が、白いベールのような輝きに包まれた。
もしもエデルガルトが目を開いていたら、キラキラと自分を取り巻く強い輝きと、その輝きがシャルロッテから溢れ出している光景を見られたことだろう。
いつまでも体に衝撃がやってこないことを不思議に思って、エデルガルトはゆっくりと瞳を開く。
(浮いてる……?)
言葉通り、エデルガルトは宙にふわふわと浮いていた。
「シャルロッテ……?」
呼びかけた相手は、エデルガルト以上に呆然としていて……。
そんな中でもシャルロッテはエデルガルトの位置を確認しながら、慎重に腕を伸ばしてきた。
大切なものを抱きとめるかのように。
やがてエデルガルトはシャルロッテの腕の中に無事着地し、重力が戻った途端。
「「!」」
支えきれなかったシャルロッテがバランスを崩し、今度こそ二人一緒に倒れ込んだ。
エデルガルトはシャルロッテに包まれる形のままだったので、殆ど痛みなどはなかったのだが。
「シャルロッテ! 大丈夫ですか⁉︎」
エデルガルトは、自分のせいでシャルロッテに怪我をさせてしまったのでは?とそのことに真っ青になる。
「大丈夫です」
シャルロッテは肘で体を支え、慎重に半身を起こすと、エデルガルトに不思議なことを尋ねてきた。
「今のはあなたの魔法ですか?」
と。
エデルガルトの答えはもちろん、
「いいえ」
だ。
「わたくしの魔法は……」
デビュタントを迎えていない子供たちは、自分の持つ魔法を家族以外に知らせてはいけない、それがこの国のルールだ。
だがエデルガルトは、躊躇した上で破ることにした。
ルールなどより大切なことが恐らく今、目の前で起こっている。
「わたくしの魔法は氷魔法ですから。シャルロッテ、今のは貴方の魔法ではないのですか……?」
「私の魔法……」
『ラインフェルデンの双子は、どちらかが魔法を使えない』
エデルガルトの頭の中に、その言葉が響き渡る。
(もしかしたら、)
「あなた、まさか魔法を使うのが……」
「初めてだったんだ。あなたを守りたくて咄嗟に」
シャルロッテの声は震えていた。
掠れるような声と、まるで人が変わってしまったような話し方に、エデルガルトは違和感を覚える。
(「だった」とおっしゃいました⁇)
「そんな、魔法が使える日が来るなんて……! エデルガルト、あなたのお陰です!」
シャルロッテはエデルガルトの戸惑いにはまったく気づかず、両手を握ってきた。
見たことがないほど嬉しさを爆発させているシャルロッテを見ていると、エデルガルトまで胸がいっぱいになってくる。
(シャルロッテったら、今まで平気な顔をしていたけど、きっと本当はとても辛かったのね。孤独を感じたこともあったのかもしれないわ)
自分などには計り知れない苦しみだったろうと、エデルガルトは目の前の友人を見つめ、そして、あることに気づき愕然とする。
「シャルロッテ! あなた!」
エデルガルトは、つい先程自身が考えていたことを再び思い出していた。
『今日は、彼女に振り回されてばかりだ』
目の前のシャルロッテの胸元が、片方ぺしゃんこにひしゃげていたのだ。
まるで、もともとの体にはなにもなかったかのように。
その場所は恐らくエデルガルトを受け止めた時に、強く当たった部分だろう。
だが当たってもへこむことはないはずだ。
何か詰め込んでいたのではない限りは。
シャルロッテからは、先程まであった笑顔は消えていた。
紙のようにまっ白い顔色をして、見開かれたままの翠玉色の瞳だけがキラキラと輝いていた。
きっと、彼女にとっては聞かれたくないことだ、とエデルガルトはわかっていた。
それでも、エデルガルトは尋ねる。
「あなたは、誰ですの?」
と。




