第29話 揺れる絆
別宅のアルフレートの部屋は、領地にある屋敷のそれよりもシンプルな造りになっている。
オフホワイトを基調とした壁に、深いブラウンの家具。
手彫りの細工が施された窓枠には、ベッドの天蓋と揃いの布で作られた、たっぷりとしたヒダが美しい空色のドレープカーテンがかけられていた。
アルフレート本人に似て、クールなのに甘さのある落ち着いた部屋だ。
アルフレートは窓際にいた。見える風景は闇しかないはずなのに何を見ているのだろう?
「アル?」
私の呼びかけにこちらを向いたアルは、どこか疲れた表情をしていた。
「座って」
ソファを勧めてもらうままに、私は羽を広げた形のハイバックな背もたれに体を預けた。
厚みのあるクッションが、私の緊張ごと体を支えてくれて心地いい。
そう、私は緊張していた。
だってアルに、
『これからのことを話したい』
なんて言われたことはなかったんだもの。
アルは、お茶の用意をしてくれていたエマに、外で待っているように指示を出すと、自らカップにお茶を注いでくれた。
「カモミールティーにしたよ。紅茶だと眠れなくなっちゃうから」
「あら、そんなにお子様じゃないわよ」
「大人でも夜飲むと寝つきが悪くなるらしいよ」
「そうなの? だからお父様たちはブランデーを垂らしてるのかしら」
なら、最初から紅茶を選ばなければいいのにね、と呟くと、アルは可笑しそうに私を見た。
淹れてもらったカモミールティーは、若いりんごのような香りもする。
嬉しくなって、
「「りんごの匂い」」
と口に出した言葉が、アルの声と被った。
こちらを見ていた優しい視線と目が合い、思わず口元が綻ぶ。
ふたりで同じことを口にするのは珍しくもなかったが、アルが遠くなってしまったような思いをした今では、それがとても尊く、愛しく感じたのだ。
なのに。
「僕たちの入れ替わりは、もう無理かもしれない」
アルフレートのその言葉に、温かかった指先が一気に冷たくなっていく。
すぐに返事ができなかったのは、びっくりしすぎたからだ。
いつもであれば、アルは結論を出すまでに色々可能性を考える。
そしてその中から一番いい案を提示してくれる。
だから、答えを一つしか提示されなかったことにも、悲観的な言葉にも心底驚いた。
「……どうして?」
やっと出せた私の声は、お茶を飲んだと思えないくらい掠れていた。
「いくつか理由はあるんだけど」
アルはソファから立ち上がって、私に向かって歩いてきた。
思わずつられて立った私は、あれ?、と思う。
アルの視線の位置が、いつもより高いのだ。
「アルフレート、あなた身長が伸びた……?」
「ここ最近……正確には十日で1ツォルほどね。遅れてきた成長期がやってきた気がする」
「それって魔法の兆しかしら!?」
反射的に聞いてしまった私に、アルフレートは静かに首を振った。
「いつも通り気配すらないよ。ただ……今月来るはずの発作が遅れてるのが、気にはなってる」
淡々と事実のみを告げるアルフレートからは、なんの感情も読めなかった。
「心当たりはないの?」
「え?」
「急に成長が始まった、きっかけみたいなものよ」
「それは……」
アルフレートは黙ってしまった。
「あるのね?」
「……でも、確証は持てない」
それは当然のことだろう。
アルフレートの体は複雑だ。貴族なら生まれ持っている筈の魔法を持っていないから。
前例が殆どないため、アルフレートに起こることに『確実なこと』はない。
魔法は魔力を具現化したものだ。
だけど魔力を魔法へと具現化できないアルフレートの場合は、行き場のない魔力が体内で暴走してしまう。
その暴走がひと月に一度の発作となって、幼い頃からアルを苦しめていた。
成長が緩やかで未だに声変わりをしないのも、身長が高くならないのも、魔力が放出できないせいだ、と言われていたのだが。
「もしこのまま成長し続けて、大人の骨格になったり、声が低くなっていったとしたら、」
アルの言葉に私は戦慄する。
「シャルロッテになることはできなくなる……」
「もしくは、」
今まで見たことのない深刻さで、アルフレートは私を見据えた。
「シャルロッテ、キミが騎士を辞めて|本来の位置《フロリアンさまの話し相手》に戻るか、もしくはキミだけ騎士として王太子宮に残るか」
「アルは……?」
「入れ替わりをやめる場合は、護衛騎士を返上することになる。元々体が弱いのは周知のことだし、無理して体が持たなかったんだな、と思われるだけだろうし」
「そんな……」
「フロリアンさまの話し相手を辞する場合は……」
アルフレートは、瞳に影を落とした。
口を開くのを逡巡しているようにも見えて、私はその様子に違和感を覚える。
そのうち、私の視線を感じたのだろう。
「どちらにしても、ロッテをひとり王宮に残すのは心配だけど」
答えは言わないまま、茶化すようにアルフレート笑った。
アルが私を心配してくれてるのは、嘘じゃないのはわかってる。
でもそれだけじゃない、わよね。
だって、
「なんでそんなに悲しそうなの?」
アルフレートの体が一瞬、小さく震えたのがわかった。
「悲しい……?」
呆然としたアルの口から、言葉が溢れ落ちる。
アルフレートの気持ちは、私にも痛いほどわかっていた。
ただし、それは双子だからじゃない。
私も悲しいからだ。
軽薄に見えて実はおせっかい焼きの隊長、テオドール。
お調子者だけど寂しがり屋のノアに、優しくて不器用なイーサン。
たったひと月だけど、いつの間にか私の日常になっていた彼ら。
そしてなにより、心残りになるであろうこと――。
アルフレートとの入れ替わりをやめる場合、私はヴィルさまの傍にいられなくなる。
今までのように、殿下の背中をお護りできなくなってしまう。
ヴィルさまとフロリアン王女が仲が良いといっても、毎日お互いの宮を行き来するわけではないのだ。
私に向けられる優しい意地悪にも、私を導く冷たい手にも、会えなくなってしまうということ――。
それを思うと、寂しさで胸が張り裂けそうになる。
だからアルも同じなのかも、と思った。
昼間の仲が良さそうな三人を、私は思い出していた。
私の知らないアルフレートが、私のいない場所で編み上げてきた絆。
あの場所から離れるのが、アルも辛いのではないかと、思ったのだ。
それに、どちらの選択肢を選んでも王宮に残れる私と違って、アルフレートは王女宮を去らなければならない。
「……」
アルフレートは寂しいとも、そうでないとも言わなかった。
きっと今は、答える気がないのだろう。
残されたのは、私たちにとって初めての、深い深い沈黙だけだった……――。
♢
結局答えは出せないまま、私は自分の部屋に戻ることになった。
ただ、なるべく早いうちにラインフェルデンの屋敷に戻って、家族で相談しよう、という約束はした。
明日からのことを思うと、心がずっしりと重くなる。
こんなもやもやした気持ちを、アルはひとりで抱えていたのだろうか。
私の前ではなんともないふりをして。
ひとり、窓の外の闇を見つめるほどに。
誰よりも近くにいた筈の、アルフレート。
幼い頃にアルを守ると誓った約束は、今だって覚えている。
なのに私は……!
私は、アルの身長が伸びたと聞いたあの時、彼の成長を手放しで喜ぶことができなかったのだ。
(皆と、ヴィルさまと離れたくない! そう思ってしまった)
本来であれば、発作が来ないことを喜び、成長を祝い、アルフレートの魔力の可能性に、未来を視ていた筈なのに。
(サイテーだわ)
ぎゅうっ、と両手を強く握りしめる。
そうでもしないと自己嫌悪で立っていられそうもなかった。
(せっかくアルが、カモミールティーを淹れてくれたけど、)
「今日は寝られそうにないわね……」
恐らくアルフレートも同じだろうか。
その時の私は、自分の半身に思いを馳せ、後悔の海に沈んでいた。
だから思い出してもみなかったのだ。
私に、入れ替わり中止の理由を尋ねられたアルフレートが、
『いくつか理由はある』
と言っていたことを。
そのいくつかを聞きそびれてしまったことにさえ、まったく気付けずにいたのだった。




