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第27話 移りゆく私たち

 その日の午後も、ヴィルヘルム王太子殿下は執務室で書類に向かっていた。


 護衛騎士隊も執務室での警護となるため、私も隊長のテオドールと二人で殿下と一緒に室内で待機している。

 扉の外にはノアとイーサンがいて、あと半刻もすれば、彼らと交代する予定だ。


 室内では定期的に、ぱらぱらと紙をめくる音やザッザッとナイフで封を切る音などが聞こえていた。

 待機といっても言葉通りにじっとしているわけにもいかず、テオは書類の仕分けを手伝ったり、必要な手紙を分類したりと忙しそうだ。


 一方私は、バルコニーから不審者がいないか確認したり……。

 

 バルコニーに出ると、室内の閉鎖的な空気から解放され、うららかすぎる陽気に肩の力が抜けるのがわかる。

 王太子宮の庭には薔薇をはじめとする美しい花々が咲き誇り、蝶たちも楽しそうにダンスをしているのが見えた。小鳥の囀りなどは、私を遊びに誘っているようだ。


 つまりは平和で危険などはない、ということ。

 実際はバルコニーからの警護などは必要なく、ただの私の気分転換になってしまっている。

 ヴィルさまもそれをわかっていて、目を瞑ってくれているのだ。その証拠に時々こちらを見ては、笑うのを堪えている姿が見えた。


 本来なら私は、こんなに甘やかされていい立場ではない。

 ヴィルさまが執務室に篭らなきゃいけなくなったのは、私のせいでもあったから。


 もう十日以上前の話になるが、城下街で人攫い達を討伐したことが城で問題になった。

 もちろん討伐自体は問題はない。恐れ多くも国王陛下からお褒めの言葉も賜った。

 

 問題視されたのは、殿下のお忍びを止めずに付き添ったこと、誰にも告げなかったこと。

 この二つだ。

 

 当然だろう。

 時期国王の継承権を持つ殿下を、危険な目に合わせてしまったのだから。

 でも結局それも、王太子殿下の説得で私のお咎めはなしとなった。


 先日、緊急の会議に呼び出された父から聞いた話になるが、

 

『城に戻るよう再三説得してきたアルフレートを、報告したら逃げると脅し、振り回して帰らなかったのは自分だ』


と、ヴィルさまは国王陛下ご夫妻と臣下の前で言い放ったそうだ。

 

 確かに言葉通りのことはされた、とは思う。

 でも、創作話術(口から出まかせ)が得意なヴィルさまであれば、そんな直接的に答えなくても、もっと上手くやれたのではないか、とも思う。


 けど。


 もしもヴィルさまが嘘で乗り切っていたとしたら。


 もう何度も想像してみた。

 そしてその度に、胸の中にぽっかりと穴が開いたような気持ちになった。


 あの日の一日が、まるでなかったことのように感じてしまって。


『行こう』

と私を共犯者に仕立てた冷たい手も。

 突然抱き上げて、私を不整脈にさせた温かい体温も。


 公爵邸(うち)に戻ってからひとりで食べた、私に似ていると押し付けられた胡桃味のリスパンはとても甘かったし、


『無事でよかった』

 

と傷を直してくれた殿下の魔法は……、なぜ教えてくれたのかは聞けないままだ。


 殿下の弱者に寄り添える強さ、私の体温を上げる甘やかな声。


 あの日に起こったことを無かったことにするなんて、私には難しく感じられた。


『ヴィルヘルム様はシャルロッテ(アルフレート)を庇ってくださったんだな』


と父は言っていた。

 きっとそれが正解なんだと思う。


 でも、もしかしたら。

 

(もしかしたらヴィルさまも、あの日のことを嘘で書き換えたくなかったのかな)

 

 ……なんていうのは、きっと私の自惚れなのだろう。

 

 しかし正直に申し出た代わりに、ヴィル殿下にはペナルティが与えられた。

 

 十日少しの外出禁止と、殿下管理下の領地に関する資料を前倒しに進めること。

 

 そのため殿下は毎日午後になると、執務室に籠ることを余儀なくされていたのである。

 

 その時コンコン、という強めのノック音が部屋中に響いた。

 ともすれば、ゴンゴン、とも聞こえる力強い音は、恐らくイーサンだ。


 書類から顔を上げたヴィル様を伺うと、その表情は心当たりがなさそうだ。

 すぐに察したテオドールが扉に近づき、

 

「どなたですか?」

 

と尋ねる。

 

 すると、

 

「ラインフェルデン公爵家の侍女殿と……」

 

いつもより上擦ったような、少しだけ高いトーンのイーサンの声。

 

 そして、その声を掻き消すかのような、


「お兄様!(わたくし)です」


幼い姫君の声が、扉の向こうから聞こえた。


 ヴィルさまが腰を上げたのを確認して、テオが扉を開く。

 すると一緒に登城している私付きの侍女、エマが扉から現れた。


「エマ!」

 私に呼ばれてエマは一瞬ニコッと微笑んだが、すぐに王太子殿下に挨拶をする。

 

「ヴィルヘルム王太子殿下、それから皆様失礼致します」

「フロリアンかい?」

「はい。フロリアン王女殿下が皆様に差し入れをお持ちいたしました」


 その言葉を合図にエマの背後から、ぴょこん、と王女殿下が飛び出してくる。

 その後ろにはアルフレートと、アーレンベルク公爵家の令嬢、エデルガルトも一緒だ。

 

「お兄さま、クッキーをお持ちしましたわ」

「ありがとう、フロリアン」


 ヴィルヘルム様はフロリアン様を迎えに行くと、笑顔で抱き上げた。

 

「街に買いに行ってくれたのかい?」

 

とヴィルさまが尋ねられると、フロリアンさまは、

 

「いいえ、そうじゃないの」

 

と答えたあと、抱え上げられていた兄上の腕の中からストンと降りた。

 ヴィルさまの方は、可愛がっていた小鳥に逃げられたような残念そうな表情をしている。


 普段からヴィルさまとフロリアンさまは、一部貴族の思惑が馬鹿らしく思えるほど仲が良かった。

 

 王女宮からフロリアンさまが遊びにみえることも珍しくなかったし、王太子殿下が珍しいフルーツなどのお裾分けに、直接王女宮に向かうことだって少なくなかった。


 王太子殿下のお心が決まった今では、フロリアンさまを王太女に、といった考えの貴族も減っていくだろう。

 ……って、これはアルフレートの受け売りだけど。


 ともかく王太子と姫君が仲が良いため、私がアルフレートの顔を見る機会も頻繁にあり、また同じ回数だけエデルガルトとも顔を合わせていた。


 そのエデルガルトに駆け寄ったフロリアンさまは、

「私が自慢することではないですが」

と前置きをしたあとに、

 

「今日のクッキーはエデルガルトの手作りなのです」

 

と得意げに笑った。


「えっ?手作り!」

 

 私が思わず漏らした言葉に、エデルガルトはびっくりしたように目を見開いた。

 

 透き通るような群青色の瞳に射抜かれ、

 

(また、地雷を踏んだのかしら)

 

一瞬体が強張ってしまった私を責めないでほしい。

 

 エデルガルトには、

 

「淑女らしく」

「家名にに泥を塗りたいのですか」

 

と今まで何度お説教をもらったかわからないのだ。


 その淑女と家名を重んじるエデルガルトが、使用人と一緒に厨房に立ってクッキーを作ったなんて……。

 

 驚きでエデルガルトをまじまじと見つめてしまったら、彼女は恥ずかしそうに私から目を逸らした。

 

「王女宮の厨房をお借りして作ったんですの。私お菓子作りが好きで……あの……おかしいですわよね。淑女がクッキーを焼くなんて」

 

(なんでよ!)


 確かに一般の令嬢は、料理などはしないだろう。たとえお菓子作りだとしても。

 でも……、

 

「すごく素敵だと思います」

「えっ」

「好きなことがあるのは素敵だと申し上げたのです」


 私の言葉に、今度こそエデルガルトは驚いたようだった。

 びっくりしたように固まっている。

 そこで私はハッと我に返った。


(今のセリフはアルじゃなく私のセリフになってたわ……)


「出過ぎたことを申し訳ありません……」

 慌てて謝ると、

「いえ、シャルロッテにも同じことを言われたので」


 今度は私が驚く番だった。


(えっ!同じことを?というか、いつの間に名前だけで呼ぶ仲になったの?)

 

 シャルロッテ(アルフレート)を見ると、しれっとした顔をしている。


 そんな私たちを興味深そうに見ていたフロリアンさまは、

「双子って本当に面白いですわね」

と、クスクスと笑った。

 含みがあるように感じたのは穿ち過ぎだろうか。


(心臓に悪いったら……)


 ヒヤヒヤしていると、テオが、

 

「アルフレートは色男だねぇ。エデルガルト嬢、気をつけて。彼は王太子宮の侍女たちを……いや、男ども迄もトリコにしまくっているから」


楽しそうに口角を上げた。


 なぜそんなことを言うのか。

 ギョッとしてテオを見ると、完全に面白がっている視線とぶつかる。

 

「ちょっとテオ、誤解されるから……」


 恐る恐るアルフレートに視線を遣ると、ムダに素敵な笑顔をしていた。

 

(ほら、アルってば怒ってるじゃないの)

 

 怒るとにこやかになるのは、(シャルロッテ)の癖だった。

 

 あー……もう。

 なんて事してくれるのよ。絶望感が胸に迫る。

 ところがその時、


「きっと、アルフレートさまのお優しいところに、皆惹かれるのでしょう」


 意外にも、助け船を出してくれたのはエデルガルトだった。


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