第3章:夜会と、婚約破棄の言葉
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金糸で縁取られた重厚なカーテンが揺れ、広間にかすかな香の煙が漂う。王都でも最高級の香木を焚いたというその香りは、薄く甘く、どこか仄かに鼻をつく刺激を含んでいた。
王宮の大広間では、今宵、春の夜会が開かれていた。
「……豪奢すぎて笑えてくるわね」
リュシエル・フェルナンデスは、白と青の刺繍が美しい、異国風のドレスをまとって扉をくぐった。そのデザインは、この国の伝統的な貴族衣装とは一線を画しており、会場に集う人々がざわめいたのは無理もない。
──ドレスが手元に届かなかったのは、いつものことだった。
王子から贈られるはずの衣装。けれど何度確認しても、届けられる気配はなかった。
(もともと期待してなかったけれど……これは明らかに“意図的”ね)
結局、外交先で懇意にしていた商会に連絡を取り、急ぎ届けてもらったのが、この異国風のドレスだった。
背中を大胆に開いたカッティングに、襟元には瑠璃の宝石。高貴で、けれど他国の気配が濃く漂うそれは──この国の保守的な貴族たちには、異物に映ることだろう。
それでもリュシエルは堂々としていた。
(私に恥をかかせるつもりなら、残念だったわね)
真珠のような白い肌に、淡い赤のルージュ。磨き上げられた瞳で会場を一瞥するその姿は、まるで外交の舞台で敵国に立ち向かう女騎士のようだった。
だが──
「……なんだ、その格好は」
怒気をはらんだ声が、背後から降りかかる。
レオンハルト・グランゼル、第2王子。リュシエルの婚約者でありながら、ほとんど接点を持たず、偏見だけを募らせていた男。
「そんなドレスで現れるとは、常識がないんじゃないか」
「そうでしょうか。こちらは隣国で最先端のドレスですの。それに、ドレスも何も届かなかったものですから」
淡々と返すリュシエルに、王子の表情が歪んだ。
「……届かなかった?そんなはず──」
「ええ、もし届いていれば、今頃この国の伝統衣装を着ていたでしょうね」
皮肉を込めた笑みを浮かべたその瞬間、王妃が背後から近づいてきた。
「リュシエル嬢。そのような異国の格好で、我が国の夜会に現れるなど……品格を疑いますよ?」
「申し訳ありません、王妃殿下。婚約者様よりドレスが届かなかったもので、急遽、他国の知人にお願いしましたの」
「……本当に、そうなのかしら?」
「事実です」
場が静まりかえる中、王妃の目が細められる。そして──その横に立っていた一人の少女が、口を開いた。
「リュシエル様って、いつも謝罪の言葉より先に“言い訳”をなさるんですね」
イリーナ・グレイス。
リュシエルの“親友”を名乗っていた少女。その声は、思いのほか響き渡った。
「私、ずっとご一緒してきましたけれど……授業にもあまり来られませんし、贈り物にお礼の手紙も書かれていないようで……王子殿下も寂しい思いをしておられました」
「……」
(ああ、そう……もう、ここまで来たのね)
心の中で小さくため息をついたリュシエルに、レオンハルトは宣言した。
「──リュシエル・フェルナンデス。お前との婚約を、この場で破棄する」
会場が凍りついた。
何人かの貴族が、小さな声でざわめく。
「王子が……婚約破棄……?」
「お披露目の夜会で……まさか……!」
注がれる視線は冷たいものばかりだった。軽蔑、嘲笑、そして距離を置くような空気。
だがその中で、ただ一人。リュシエルは、凛とした声で返した。
「……そうですか。では、破棄を受け入れますわ」
「なに……?」
「むしろ、ようやく肩の荷が下りました」
涼やかに微笑むその顔に、レオンハルトは一瞬、言葉を失った。
「お前……この場がどういう場かわかっているのか!?」
「ええ。王族が正式に縁を切るという、なかなか貴重な舞台ですもの。ですから──お父様、お母様。
正式に婚約破棄をお願いいたします」
その声に呼応するように、人の間から2人が現れた。
堂々と入ってきたのは、フェルナンデス侯爵夫妻。外交の最前線に立つ名門であり、王族とも対等に渡り合う存在。
「……では、正式にお受けしましょう。娘を辱めた上、贈り物一つ送らず、このような場で婚約破棄を宣言するぬなど──あなた方は我が家の名誉を何と心得る?」
王妃の顔がさっと青ざめる。
レオンハルトは唇を噛みしめ、何も言えなかった。
(……このまま黙っていれば、沈むのは彼ら)
──そして、まだ“逆転劇”は終わらない。
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