友達の基準
「ごめんなさいね、手伝ってもらって」
図書室に入ると女性は机の上に荷物を置きながら謝罪の言葉を述べる。信夜は置かれた荷物の隣に自分が持っていた箱を置く。
信夜よりも身長が高く、眼鏡をかけた長髪のこの女性は図書室の管理を任されている前田順子先生だ。
信夜は図書室によく出入りをするため前田先生とはいつのまにかよく話すようになっていた。
今訪れているのは昼休みに廊下を歩いているとたまたま見かけたらしい前田先生が信夜を呼び止め荷物を運ぶ協力を呼びかけたからだ。
運んでいるのは箱が二つ。中は知らないがどちらも重要なものらしい。
前田先生はお淑やかで聞き上手なため学校内でもかなり人気のある教師らしい。
「ほんと、助かったわ。ありがとう」
「これぐらい良いですよ」
「そうだ!せっかくだし何か借りていく?」
前田先生は両手を合わせて信夜に尋ねる。
この学校で一度に貸し出してくれる本の冊数は最大三。新しく借りようと思うと借りた本を返さないといけない。
信夜は今一冊を借りている状態だからあと二冊は借りることができる。とはいえ、読みたい本はもうほとんど読んでしまったため今はこれというものがない。
「今はいいです」
「そう?あ、そうそう。この中にはね、新しい本も入ってるんだ」
前田先生は意気揚々と箱を開ける。信夜はそれを横から見た。
確かに中にはいくつかの本が並んでいる。他の箱も全てそうなのだろうか?
「これなんておすすめなんだけど」
前田先生は中から一冊だけ取って信夜に見せる。
タイトルは聞いたことのない本。表紙に和訳者の名前があるからおそらくもとは外国の本なのだろう。
「それじゃ、それをお願いします」
「はい、わかりました」
前田先生は明るく返事をすると軽い足取りで受付に入った。作業を簡単に済ませて戻ってくると信夜に本を手渡しする。
「良ければ感想聞かせてね」
「はい、失礼します」
信夜は会釈をするとそのまま図書室の外へ出る。図書室を出たすぐの廊下は人があまりおらず閑散としていた。
この辺りには部室がなく、教室も少し離れているからということもあるだろうがまだほとんどの人は昼食を取っているのだろう。
信夜は今日弁当を持ってくるのを忘れたから購買でパンを一つだけ買って食べた。パン一つだけなので時間はさほどかからず、食べ終わって廊下を歩いていると前田先生に会ったという流れだ。
(さて、あとどうやって過ごそう)
いつまであれば磯立と話して時間を潰しているが今日はその彼がどうやら休みらしい。
理由は詳しくはわからないが昨日のことが関係しているような気がしなくもない。
ちなみに昨日磯立は告白をしたわけだが、相手が相手だからか信夜が知る限りそんな噂は流れてはいないらしい。あれも数ある内の大したことない一つだと思われているのかそもそも気づかれていないのか。
そんなこんなで磯立がおらず教室で一人の状態、それで後から教室に戻っても居心地はそんなにいいものではなさそうだ。
昨日といえばもう一つ印象的なことがあったことを信夜は思い出した。その現場となるところがちょうどよく近くにある。
あの辺りにはあまり人も来ないだろうし、静かに本を読めそうだと信夜はその方向に向かって足を進める。
階段に着いた信夜は上へと足を進める。
踊り場まで来て体を回転させるとと信夜の目に昨日と同じ位置に女の子が座っているのが映った。女の子は一人で黙々とパンを食べている。
その女の子、星上は信夜が来たことに気づくと進めていた手を体ごと止めた。
「その・・・・・・こんにちは」
「あ、あ」
星上の顔が少し赤くなった気がする。
まさか今日この時間にもいるとは思っていなかった。いや、もしかするととは思っていたがまさかと気にしないようにしていた。
「ごめん、お邪魔だよね、失礼・・・・・・」
「だ、大丈夫です!」
星上は信夜の言葉を遮って振り絞るように声を出す。
「その、平気なので」
「いやでも」
「その・・・・・・」
星上は持っていたパンを袋越しに膝の上に置いて口籠る。
信夜は特に用があってここに来たわけじゃない。先客がいたのなら譲ることになんの躊躇いもない。
「また、少しお話ししませんか?」
顔を逸らしながら星上は小さめの声で言う。
信夜は昨日自分が座った位置と同じところに座った。横を向いて星上の姿をじっと見る。
「それで、何の話する?」
星上は明らかに戸惑いの表情を見せた。
それもそうだろう。具体的に何を話すなんて急に言われても困るのは共感できる。昨日の信夜がまさにそんな状態だった。
今星上に問いかけたのは信夜自身も詳しい理由は説明できない。
「その、本、なんですか?」
星上は信夜が持つ一冊の本に目をやる。先程借りたばかりの本だ。
「さぁ?お勧めされて借りたんだけど、内容は全然知らないんだ」
まだ裏表紙にあるあらすじなんかも読んでいない状態でわかるのは作者とタイトルぐらいだ。
本を目の前に持って来てじっと見る。
タイトルからも表紙の絵からもおそらく純文学なのだろうということしかわからない。
「本、好きなんですか?」
「それなりに」
信夜にとって本を読むことはかなり好きな部類だ。趣味と言って申し分ないぐらいには。
きっかけは家の中にそれなりに本があって読んでみたら面白かったからというとても普通な理由だが信夜にとっては十分な理由だと思っている。
「星上さんは何が好きなの?」
「わ、私は・・・・・・わかりません」
星上は随分と溜めてから否定の言葉を放つ。その表情には申し訳ないという気持ちが見て取れた。
「そっか」
彼女がどんな人物なのか信夜はまだ理解しきれていない。そのため何と言えばいいのかわからなかった。
信夜は軽率なことを聞いたと少し申し訳なく思った。
「ねぇ、部活とかって入ってる?」
「入ってないです」
「委員会は?」
「ないです」
「そっか、俺と同じだ」
信夜は帰宅部で委員会なんかは中学の頃から何もやっていない。
部活は特にやりたいものがなく、委員会は全く立候補者がいなかったらやってもいいかなぁ、なんて思っていたらやることなんて一度もなかった。
別にやりたくなかったわけじゃない。でもやりたいとも思わなかった。
話すことが思いつかないからってなんの話してるんだと信夜は小さく頭を振る。
「ごめん、変なこと聞いて」
「大丈夫です。その、私も質問していいですか?」
「なに?」
「その・・・・・・あなたは私のことどう思ってるんですか?」
「え?」
信夜はいきなりの質問で戸惑ってしまった。
自分と相手の関係を聞かれるなんて予想だにしていなかった。自分の自己紹介の補足的なものを聞くのかと予想していたから肝を抜かれた。
「そうだな・・・・・・友達?」
「っ‼︎」
星上は驚きをあらわにする。
「ごめん。嫌だった?」
「ち、違います。そうじゃなくて」
慌てて否定した次は星上は俯いてしまった。
いきなり友達なんて言って失礼だっただろうか。でも、知り合ったわけだから他人ではないし、クラスメイトでもない、知り合いというのがよかったのだろうか。
「私のことなんとも思ってないんですか?」
「思うって、何を?」
不思議な質問だと信夜は反射的に思う。
星上に対して思うことなんて特出したものはない。あるとすればきっと人と関わるのが苦手なんだろうなってことぐらいと優しい人なんだろうなということぐらいだ。
苦手なところとか悪い印象なんて抱くところはなかった。
「君に対しては今のところ良い印象はあっても悪いところはないよ。それともやっぱり俺が友達は不満?」
「ち、違いますって」
「じゃ、俺たち友達ってことで良いのか?」
星上は顔が少し赤くなった気がするがすぐに顔を逸らした。逸らしたまま小さく頷く。
どこからが友達かなんて基準はわからない。でも、自分と彼女の関係は友達になる基準は満たしていると信夜は思う。