この感情を分類するとするならば
「そういうことだけど、今日時間ある?」
信夜は目の前にやって来た西平の言葉に首を大きく傾けた。
ここにやって来て開口一番がこれなのだから一体なんの話なのかがわからない。逆に誰かわかる人はいるのだろうか。
信夜が首を傾げても説明の言葉を出さない西平の横に磯立がやって来た。
「すまん。それまだ言ってないんだよ」
磯立は西平に一言謝罪を入れる。
どうやらこの件には磯立も関わっているらしい。
磯立は信夜の方を向いた。
「今日、久しぶりにどっか行かないかって誘うと思ってたんだよ」
信夜は納得して小さく頷く。
そういうことがあって「時間があるか」と聞いてきたらしい。磯立とどこかに行くのは確かに久しぶりなような気がする。
今日は放課後は特に予定もなく、期末テスト終わりの四限で終わりの日なので時間もある。断る理由は見つからない。
しかし・・・・・・。
「それは構わないんだけどさ、それってこのまま行くのか?」
信夜はそこが気になった。
帰ってからは予定はないが帰るまではそうでもない。このまま行くのだとすればおそらく今日も来るであろう星上についてくるか、別で帰ってもらうかの二択を迫ることになる。
星上はこの二人とあまり交流はないだろうし、この二人もいきなりそんな女子が来るとなると困るだろう。それに星上の場合は遠慮して断りそうだ。しかし、後者も信夜はなぜか心のどこかで引っかかった。
「ああそうか、一緒に帰ってる人が気になるのか」
磯立は的確に信夜の考えを当ててきた。信夜はそれに少し驚きながら小さく頷く。
「まぁ、そんなところだな。いきなりじゃ困るだろうし」
「ああ、それは問題ない。帰ってから集合にしようと思ってたし」
磯立の言葉に信夜はほっとした。しかし、その理由は自分でもよくわからなかった。
「それに・・・・・・」
磯立はどこかよくわからない方を向く。信夜はその様子を見て同じような事情があることを思い出した。
「どうかした?」
信夜がそんなことを考えているとちょうどその本人が姿を現した。
「いや、ちょっと話してただけだけど、何かあった?」
磯立は振り返ってその当人、雲川に返答するがその様子はなぜかどこか取り繕うようだった。
「なんの話をしてるのか気になっただけだけど。今日も一緒に帰らない?」
「ああ、そうかごめん。待たせてたんだな。ほんとごめん。それじゃ、二人ともまた」
磯立が信夜達の方に返るとその後ろで雲川が信夜に対して目を鋭くする。
信夜はなぜそんなことをされるのかわからなかった。こんな感じのことは出会うたびにやられている気がする。しかし、その理由は探しても見つからない。
それに不思議なことに雲川は西平に対しては特にそんな様子を見せず、じっと同じ人を見ている。
「またな」
「気をつけてな」
西平に続いて挨拶すると磯立は「なんだよ、それ」と軽く笑いながら歩いていった。それにはもちろん雲川も続いた。
今日は朝から雨が降っているから足元に気をつけてという意味だったのだが、そんなに変だっただろうか。
「なぁ、西平」
「どうした?」
「集合時間と場所ってわかる?」
「それについては後で教えるってさ」
西平からこの話を知った上、誘われている様子だったから知っていると思ったがあてが外れたらしい。
いつ、どこであろうともそんなに変なものでなければ問題はないができるだけ早く知っていると助かるのでできれば聞いておきたかったが、仕方がないだろう。
「俺も行くか」
信夜は荷物を持って席を立った。
「あ、そうだ」
西平が一旦周りを見渡してから少し顔を信夜の耳元に近づける。教室内にはまだ数人だけ人がいるが、周りにはもう帰ってたのか人はいない。
「お前がいつも一緒に帰ってる人、星上さんだったんだな」
信夜は少し驚いて一歩退き、西平の顔を見た。
「気づいたのか」
「ああ、声でわかった。というより確信したな」
確信した、ということは多少はそうだと思っていたのだろうが、どこでそのように思うようになったのだろう。
「たまに一緒にいるところ見たしな」
信夜はその言葉に納得した。
覚えがあるかと言われると正直ないが、そんなところを見られていてもおかしくはないだろう。声に関しては知っていたのか不思議だったが、もしかしたらその時声を聞いていたのかもしれない。
信夜は西平の方をじっと見る。
「それで、なんなんだ?」
「なんだよ、怖いな。安心しろって言いふらしたりしないから。あの人もたぶん嫌がるだろうし」
その言葉に信夜は胸を撫で下ろす。しかし、これまたなぜかはわからなかった。
西平がそう言うのならおそらくそうはしないだろう。
それに直接そう言われなくても西平の言動は広めるようなものではなかった。そんな気があるならいちいち周りを気にしたり、あの人とにごしたりもしないだろう。
「まぁ、それだけだ。仲良くな。じゃあ」
西平は軽く手を振って教室を去る。信夜はその姿が見えなくなってからその場を動き始めた。
今日はクラスが解散となるのがいつもより遅かったのも相まってか、廊下にはあまり人がいない。信夜はその道をただまっすぐ歩いた。
昇降口まで来ると靴を履き替えて外に出た。外では朝と同じようにまだそれなりの強さの雨が降りしきっている。信夜は傘を差していつもの場所へと向かおうと手前の階段を降りた。
すると一人傘を差して佇んでいる大雅がいた。階段を降り切る前に大雅は信夜に気づいて振り向く。
「あなた、何やってるの?」
「いや、そっちこそどうかした?」
信夜はいつものように待とうと定位置に来ようとしただけだが、一人ここで立ち止まっている方が珍しいだろう。
「いつもの人でも待ってるの?」
「いつものって、麻由理のこと?今日はあの子はいないわ」
麻由理というかどうかはわからないがおそらくそうだ。いないということは休みか何かなのだろう。それならばなおさらここで何をしているのだろう。
「ただちょうど帰るタイミングだったってだけ」
大雅は校門の方を見て言う。
「それにしては完全に足を止めてたけど」
大雅はその場で足を止めて動き出そうという気配がなかった。何か考えでもしているかのようでまっすぐすぐに帰ろうという人のあれではなかった気がする。
「別にいいでしょ」
「それは、そうだ」
信夜はいつもの場所へと歩く。大雅とは反対側にあるので信夜は大雅の前を通る。
「悩みなんて誰にでもあるだろうしな」
過ぎ去る直前に信夜は小さく呟く。
悩みはきっと誰もが持つもので、誰もが持っていたことがあるものだろう。悩みがないなんて人は完全にはいないとまでは言い切りはしないが、もしそうであるのならきっとそれはものすごく恵まれているのか全てを諦めているのかの二択だ。
「あなたにも悩みはあるの?」
大雅の前を通って数歩歩いたところでその大雅から声をかけられる。信夜は足を止めて振り返った。
「そりゃ、・・・・・・あるよ」
意識せず、語尾が弱くなってしまった。
正しくはあったなのかもしれない。しかし、それは時々思い出し、信夜の心を苦しめていた。
悩みであり、トラウマ。もしくはコンプレックスにも近いかもしれない。
今ですら、思い出すのなら、こんなこと言わなければよかったと少し後悔している。
「まぁ、俺も場合は悩みっていうより克服できず、引っ張ってるだけなのかもな」
そう思っていても簡単には振り切れない。まだ怖がっている。それにまだそれは完全に遠ざかっているとはいえないであろう状態だ。
だからこそ、怖い。思い出したくなどない。
いつまでも忘れることができない。忘れてしまえば楽なのに。それが今の大きな悩みだろう。
「そう、その、ごめんなさい」
「別にいいよ。謝られるようなことじゃない。まぁ、悩みがあるなら相談した方がいいよ。俺もその時は力になるから。できる範囲で保証はなしだけど」
こうは言ったが大雅は麻由理?という人もいるようだし他にも友人なり家族なりがいるはずだから力になれるような場面などきっとないだろう。
「じゃあ」
信夜はそう言って続きを歩く。そしてそこに着くといつものように同じ方向を向いた。
しかし、不思議なことに今日はいつもと違う風景が見える。そこに先ほど見たばかりの女子生徒とそれなりに近くで目が合う。
「どうかしたの?大雅さん」
「あなたに聞きたいことがあるの」
大雅はおもむろに近づいてくる。そしてそのまま真横まで迫ってきた。
「何?」
信夜が訝しげな表情を浮かべると大雅は目を鋭くする。
「あの子とはどんな関係なの?」
「あの子?麻由理さんって人なら」
「違う」
信夜が言い切る前に大雅は割って入ってくる。
違うというのなら誰の話だと言うのだろう。一度話題に上がったから信夜は麻由理という人のことだと思った。
それにしてもなぜこんなにもわかる前提で話し始める人が多いのか、あまりにも自分の理解力がないのか信夜は自身が心配になる。
「じゃあ、誰の話?」
「それは」
大雅は言いづらそうに言葉を詰まらせる。ここで察して話を繋げるのがベストなのだろうが残念なことにそれはできなかった。
信夜はなんだか気まずくなって校門の方を見た。
言いたくないのなら最初から話題になんてしなければいい。そうも思うが例えそうでも気になってしまったら程度にもよるが簡単には抑えられないだろう。
大雅はきっと抑えられないほど気になってしまったのだ。
「大雅さんは、麻由理さんとはどんな関係なの?」
沈黙に耐えきれなくなって信夜は尋ねる。
「麻由理は幼馴染よ。幼稚園からずっと一緒の」
少し間を置いて返事が来た。
幼稚園から高校までずっと一緒というのはあまり多くはないだろう。そうではないのかもしれないが少なくとも信夜はそう言える人があまりいない。それに幼馴染と言ってももう関わりのない人ばかりだった。
「大事にしなよ。友達はとても大事な宝物みたいなものだから」
信夜は伏目がちに言う。
大人になって離れて関わりが無くなってしまう友達もきっといるだろう。しかし、例えそうでもきっとまた仲良くなるのは前よりも簡単だし、いざとなれば頼ることだってできるだろう。関わりがなくならないのが一番いいとは思うが。
「そうね。大事にするべきだよね」
何かを悔やむように言う大雅を信夜は不思議に思った。
この言い方ではまるで大事にしなかったことがあるような感じがした。でも、二人は今も一緒にいる。不満を隠しているのか、それとも違う人を思い浮かべているのか。
その時、大雅の後ろでべしゃっと何かが水溜まりの中に落ちるような音がする。
見てみるとそこには星上が立っている。しかし、なぜかとても張り詰めた顔を浮かべていた。
ゆっくりと大雅が振り返る。そして、星上の方を見て固まった。
大雅の顔は見えないが星上の目はどこか光を失っているように感じる。数秒経って、星上は傘を拾わず、そのまま走り去る。
「ま、待って!」
信夜の停止の言葉も聞かず星上はただ走り去る。
まともな状態には見えなかった。この一瞬間の出来事だがきっとこの中に何かがあった。でも、それがなんなのかわからない。
「ごめん。俺、もう行くよ」
信夜は星上の背中を追って走り出した。大雅には一声だけかけて、横を通してもらう。
星上に何があったのかはわからないがとても放ってはおけなかった。気がつけば足はもう動き出そうとしていた。
急いで校門を抜けるが星上の姿はない。分かれ道を全て見るがそのどれもが星上の姿を含んでいなかった。
信夜はまた走り出す。きっと家の方だと信じて。信夜は人目も気にせず走った。そこまで人もいないような気がするが。
(走りづらいな)
信夜はそう思って傘を閉じる。
雨に濡れるのは構わない。今はただ、早く星上に追いつきたかった。
◆
全ての授業が終わって教室を出ると美麗はいつもの場所で髪を結っていた。
しかし、そうは言っても髪を結うのはあまり時間がかからない。終わると美麗はその場で待機していた。
移動際に空松の教室を覗くとまだ連絡をしていたし、あの教室もまだ終わっていなかったので今日はいつもよりも待たないといけないかもしれない。
美麗はいつも待たせてしまっているのは申し訳ないと思っている。それで嫌われてしまうのではないのかと思ってしまうほど。
それでも待たせてしまっているのは完全にわがままだった。独りよがりなわがまま。今はただ空松の優しさに甘えているだけ。
本当に自分でも酷いと思った。しかし、それでも怖かった。あの人と出会ってしまうのが。
自分の勝手でこんなことをしているのに嫌われたくないなんてどれだけずるいのだろう。
絶対に嫌われたくはない、それでも怖い。ならどうすればいいのだと美麗はいつも悩んでいた。
あの人であれば嫌うことはないとは思う。しかし、だからと言ってやっていいことではないと思う。
こんな苛む気持ちと一緒に帰るということが楽しみな気持ちが混じったまま美麗は時間を待った。
(そろそろいいかな?)
そう思って移動をし始める。
今日はあの二クラス以外は同じ時間ぐらいで終わったからか人が少なく感じた。
昇降口まで来てもあまり人の姿は見えない。そこには空松の姿も見えないがきっといつもの場所でまってくれている。
そう思って靴を履き替え、外に出るが急にあの人がちゃんと帰っているか不安になった。いつもであればこれぐらい待てばほぼ確実だが、今日は勝手が違う。
なぜか嫌な予感がする。
そもそも雨なのに待たせてしまって今日こそ嫌われたのではないかと不安が押し寄せてきた。
手前の階段を降りて横を見る。そこはいつも空松が待ってくれている場所。
(・・・・・・え?)
美麗はいつもと変わった景色に立ち止まってしまった。手からも力が抜けていく。
空松が誰かと一緒にいる。そして傘で顔が見えないがあれはおそらく女子生徒だ。そしてもしかするとあの姿は。
空松が気づいて美麗を見る。そして女子生徒も振り返った。
(・・・・・・っ‼︎)
美麗はその姿を見て少し硬直したのちに走り出した。
少し走ったのちに髪が顔に張り付いてきたことで自分が傘を持っていないことに気づいた。
きっとあそこで落としてきた。しかし、今はそんなことはどうでもよかった。
できるだけ考えないようにしてきた。だからこそ忘れていたのかもしれない。
きっと彼もあの人を選ぶ。こんな卑劣な自分なんかよりもあの人を。
無我夢中で走って疲れたからか足が止まってきた。
一度止まると全身から力が抜けていった。
待たせておいてなんの説明もなく走り去るなんて最低だろう。でも、きっとこれでよかった。もう関わらない方がきっといい。
そう思うとなぜか目が濡れてきた。それが雨なのか涙なのかももうわからない。もう考えたくもなくなってきた。
「ちょっと、待ってって」
声が聞こえてきた。今一番求めていた声が。しかし、これは幻だろうと美麗は思う。そしてそのまま一歩進んだ。
「なんで、待ってくれないんだよ」
また声が聞こえたと思ったら美麗は肩を掴まれた。そしてゆっくりと振り返る。
そこにはいるはずがないと思っていた人物がいた。
「なん、で?」
「なんでって、あんなの誰だって心配するでしょ」
真剣な眼差しで返事をしてくれる。
その人物は傘を差さず、畳んで手に持っていた。息の切具合からも察して、傘も畳んで走って追いかけてきてくれたのだ。
彼は手に持っていた傘を広げて自分の方ではなく、美麗の方へと差す。
「どうしたの?急に」
彼は心配そうに尋ねてくる。
美麗はやめてなんて言いそうになってしまった。
これ以上、希望を見せるのはもうやめて欲しかった。勝手に無意識に歯止めをかけていた感情が押し寄せてくるのがわかる。
「その、ごめんなさい。私のせいで」
彼はキョトンとした顔を浮かべてから少し自分の様子を見る。そして、納得したような表情を浮かべた。
「濡れてるのなら気にしなくていいよ。それに星上さんだって濡れてるし」
そもそもこうなってしまった原因は彼にはないというのに嫌味一つ言わず、傘さえ差し出してくれている。
どうしてここまでしてくれるのかわかろうとしてもできなかった。
「何かあったなら相談して?俺でよかったら、できることはするからさ」
優しく告げられたその言葉と同時に目がまた一層濡れた。美麗はすぐには返事ができなかった。
「・・・・・・ありがとう、ございます」
振り絞って伝える。精一杯出したつもりだが自分でも小さいぐらいで伝わったかどうかはわからない。美麗はちゃんとお礼も言えない自分がさらに嫌になった。
「どういたしまして。今日はもう帰ろう。雨にもこんなに濡れてるし」
優しい笑顔を向けてくれる。あまりに眩しくて美麗は直視できなかった。
「・・・・・・どうして、私を」
言いかけて口が止まる。その続きを紡ぐことができない。
「さっきも言ったでしょ。心配だったからだよ」
「なん、で」
「俺の大切な友達だから」
考えもせず、すぐさま言葉が返ってくる。
大切なんて聞いて美麗は耐えられそうに無くなってきた。いや、もともと耐えられるはずもなかったのかもしれない。とめどなく気持ちが溢れてくる。
「あ、あなた、は。私を嫌いになりませんか?」
その言葉に一瞬彼は戸惑ったように見えた。こんなことをいきなり聞いてきて変なやつとでも思ったのだろう。
きっと思われて当然だ。それにもともと思われていたのかもしれない。
「そうだな、出会ってからそんなに経ってもいないし、詳しく知ってるっていうわけじゃないから言い切れないけど」
それはそうだ。まだ出会って何年も経っているわけじゃない。それにいつも奥手で自分を見せられてきたわけでもない。美麗はそれなのに言い切れるはずなんてないと思う。
だから、知ってきっと嫌いになる。美麗はそう思ってやまなかった。
「でも、嫌いになるなんてことはないよ、きっと。そんなところ全然見つからないし」
美麗は顔を上げた。その言葉が嬉しく感じた。
彼は決して言い切りはしていない。でも、その笑顔が嘘のようには感じない。本当にそう信じているかのようだった。例え言い切りなどしなくても嫌いと言われなくて心から安心した。
例え、お世辞でもただただ嬉しかった。
「どうして、そう言えるんですか?」
「どうしても何も、星上さんのどこにそんなところがあるの?俺はそんなところ見つけられなかったし、ないと思う」
「でも、まだわからないかも」
「俺たち、そんなに長く一緒にいたわけじゃないけど、そんなに短くもなかったと思うんだ。それで俺が星上さんに思ったのは優しい人だなってこと。俺はそんな星上さんのことが好きだよ」
「好っ‼︎」
美麗は勢いよく顔を伏せた。顔が一気に熱くなっていっているのを感じる。
「ごめん。言い切らなくてさ。俺の悪い癖なんだ。でも、本当に嫌いにはならないと思ってるよ」
言い切らないのはきっと本心を語ってくれているからだ。例え嘘でも言い切ってくれた方が嬉しいなかもしれない。でも、言い切れないその気持ちが美麗にはわかるからこそ、それで十分だった。
彼が言うのならきっとそうなのだ。美麗は深くそう信じる。
「・・・・・・ありがとう」
「うん。よかった。ちょっとは元気出たかな?よかったらこれからも仲良くしてくれると嬉しいよ」
美麗は目から涙がさらに溢れ出た。その瞬間初めてずっと流れていたそれが涙だとわかった。
これからも仲良くできると知って嬉しくてたまらない。
この感情は何度か本で目にしたことがある。テレビで見たことがある。でも実際にはどんな感じなのかわからなくて名前をつけるのを後回しにしていた。
これがきっと好きという感情なのだと美麗は思った。
一度そう思うともう止まらなかった。止めようとも思わなかった。
好きで好きでたまらない。もうそれだけが自分の中を埋め尽くしていた。
「それじゃ、そろそろ帰ろう」
美麗は少し名残惜しくもありながらゆっくり歩き始めた。空松はそれに合わせて歩いてくれる。
傘は空松が持ち、美麗の方へ偏っていた。美麗は傘を持っている手を持って少し空松の方に力を加える。
「大丈夫だよ。それより星上さんの方が」
「だめ」
空松が遠慮しようとするが美麗ははっきりと断る。
自分のことよりも空松の方が心配だった。こんなことで風邪でも引いてしまったらどうしようかと不安になっていた。
空松は少し不本意そうながらも納得したようで前を向いて歩く。しかし、美麗は依然として手をまだ空松の手に乗せていた。
「あの、さ。星上さんよかったら傘貸すけど」
「どうして?」
「いや、家の場所あんまり知られたくないかなって」
遠慮がちに空松は言ってくる。
そんなところまで気遣ってくれるなんて一体どれだけお人好しなのだろう。
「あの、大丈夫、ですから。それにもうちょっとですから。もうちょっとだけ」
空松は「そっか」と言って前を向いて歩き続ける。
美麗はこの時間が幸せだった。できることならもう少し長く、家がもっと遠くだったならそれも叶ったのかなと思っていた。
歩き続けてやがて美麗の家に着いた。
「その、よかったら、シャワー使いますか?びしょびしょですし」
「ああ、大丈夫だよ。俺の家、ここからあんまり遠くないし。じゃあ、また明日」
「あ、はい。また明日」
空松はそのまま帰ってしまった。
そりゃ相手からしてもいきなり家に上げると言われても困ってしまうだろう。だから仕方ない。
鍵を開けて中に入る。
「あら、びしょびしょじゃない。どうしたの?」
たまたま玄関にいた母さんが驚いたように告げた。急いで歩いてタオルを持ってきてくれる。
「ありがとう」
「それで、何かあったの?」
「何もなかったよ」
「それで何もなかったは無理があると思うけど?」
それは美麗もそう思った。
軽くタオルで体を拭いて中へ上がる。
「とりあえず、シャワー浴びてらっしゃい」
「うん」
軽く返事をして部屋へと向かう。部屋に入ると鞄を置いてベッドに倒れ込んだ。
軽く拭いただけだからベッドは濡れてしまっているだろう。
ついさっきのことを思い返すだけで顔が熱くなる。きっと赤くもなっていることだろう。
欲を言えばもう少し一緒にいたかった。いや、もっと一緒にいたかった。
また会えるであろう明日が待ち遠しくて仕方ない。
でも、わかっている。結局今は嫌われていないだけでこれから先嫌われる可能性は消えていないこと。結局自分はひどい人なこと。
それでも、もう離れることは無理だと思った。
一緒にいたくて仕方がない。そばにいたくて仕方がない。
これからは空松に嫌われないように精一杯生きていこうと美麗は心に決めた。




