(1)
それは天地を揺るがすほどの衝撃だった。
ノアがたまたま通りかかった、学院の中庭には多くの人が集まっていた。どうやら何か揉め事があったようだ。人々の間から騒ぎの中心を覗き込むと、三人の上級生と二人の生徒が見えた。上級生の方は学院の中でも有名で、貴族の立場を利用して周りをいじめたりなど、ノアからすれば幼稚なことをする人達だった。その前には泣きながら座り込む生徒と背筋を正して凛と立つ生徒がいた。三人に目をつけられ絡まれていたところを他の生徒が助けに入った、そんな所だろう。そしてこの野次馬は刺激の少ない学院の中での揉め事に釣られて集まった人達だ。
ノアはいつものやつか、と思いその場を立ち去ろうとした。その時、大して大きな声でもなかったのに、その声はノアの所まで鮮明に聞こえてきた。
「くだらない。こんなくだらない事しかできないところだったなんて思いませんでした……ここにいる全員、低俗で愚かな人達です。たった一人の人をいじめて悦に浸ってるから、大した魔法も使えないんですね」
ノアはその声に引かれるように、その女生徒を見る。銀色の髪がふわふわと風になびく。髪の色と同じ色をした瞳は鋭く、軽蔑の感情がこもっていた。これまでこの学院でいじめを受けてる生徒は何人もいた。それは権力を持たない平民であったり、魔法の才能がない落ちこぼれだったり。閉鎖的空間で、楽しみが少ない学院で、少しでも刺激を味わおうとした結果だった。誰もそれに疑問を抱かず、誰もそれを問題としてみてこなかった。先生も生徒も、結局強いものの言いなりでしか無かった。
言い返されると思っていなかった三人の生徒は顔を真っ赤に染め、手を震わせる。そのうちの一人が懐から杖を取り出すと、衝動的に魔法を放った。集まった野次馬達があっと息を呑む。銀髪の生徒は冷静に、冷めた瞳で魔法の軌跡を見つめる。そして片手を前に出すと魔法が当たる直前に防御壁を展開する。ピンポイントに魔法が当たるところだけに展開されたそれは、相手の魔法を無効化する。杖もなく正確に魔法を使った金髪の生徒は軽蔑の眼差しで三人を見つめる。
「弱い……弱すぎます。これでは大した魔導師にはなれないでしょう。今ここで退学して別の道に進んだ方が身のためだと思いますよ」
そういうとその生徒は後ろで呆然としていた生徒に手を差し伸べる。
「あんなくだらないことをする人のために貴方が泣く必要はありません。さぁ、立って」
座り込んでいた生徒はその手を頼りに立ち上がる。そしてまだ体を震わせ怒った顔をしている三人の生徒を放置して、二人はその場を去っていった。野次馬をしていた人たちも、ヒソヒソと今の出来事をささやきあいながら散り散りになる。
人が居なくなり、いつの間にか問題を起こした生徒もいなくなっていた。それでもノアは動くことができなかった。今起きたことは大したことではない。この学院にいれば一度は目にするようなことだった。それなのにあの生徒は見て見ぬふりをする人たちを含め、全てに侮蔑の瞳を向けた。誰もが当事者にならなければ問題ないと思っていたのに、彼女だけがそれに異を唱える。
ノアは風に吹かれるさらさらの髪を思い出す。鋭く相手を射抜くように見つめる瞳が忘れられなかった。
***
魔法は魔力を使うことでその力を発揮する。ただ呪文を唱えても、魔力を持たない人は魔法を使うことができない。だからこそ、魔力がなくても使うことのできる魔法石は人々の生活には欠かせなかった。
魔塔には魔法石を研究する人達と、魔法石を運用するための仕組みを考える人達、そしてそれらを実際に使えるようにする人達がいる。今のところ開発されているのは日常的に使う魔法のことばかりだったが、より専門的な分野にいくと、あらゆる魔法を魔法石に落とし込めないか研究する人たちもいる。
オリビアの専門は魔法そのものの研究だったが、上司のコリンは魔法の研究と並行して攻撃系の魔法を魔法石で使えないかと研究していた。つまり、有事の際に誰もが攻撃魔法や防御魔法を使えるようにするための研究だ。コリンは純粋な興味で行っているが、それは言い替えるなら、戦争の道具の研究だった。
今は隣国との関係も魔法石の存在があるため均衡を保てている。しかしその均衡もいつ崩れてしまってもおかしくないことだった。そのいつかに備えて、魔塔の魔導師は研究を重ねる。
つらつらと魔法にまつわることを考えながら、オリビアは休憩のために作った紅茶を飲む。目の前には鎧を外してラフな格好をしているノアが座っていた。オリビアはノアの存在をないものとして扱っているが、ノアはそれでも何が楽しいのかニコニコと笑っている。
「オリビアくん?」
すると後ろからコリンが話しかけてくる。彼は困ったような顔をしており、ちょいちょいとノアの方を指さして、あれはどういうこと、と聞いてくる。オリビアは目を細めながら心の中で、私だってなんなのか知りたい、と呟く。
「あー、ノアくん? 依頼は無事に終わったと聞いているがまだ何かあるのかい?」
みかねたコリンがオリビアに変わって尋ねる。するとノアは構ってもらえた子供のように笑みを深くすると口を開く。
「いえ、今日は非番なので。そうだ、この間はありがとうございました。おかげで無事に解決しました」
「そうか……それは良かったよ。それで、今日は……?」
「オリビアに会いに来ました」
敬称の無い呼び方にオリビアの眉がぴくりと動く。しかしノアは気がついていないようだった。
「オリビアくんに……?なにか約束していたのか?」
「いえ、全く。何もありません」
コリンの問いかけにオリビアは即答する。そしてカップを机に置くとスっと冷めた瞳でノアを見る。
「お帰りはあちらです」
オリビアはノアの後ろの扉を指さしながら言外に『早く帰れ』と伝える。しかし相手には微塵も伝わらなかったようで、逆にその手を奪われる。
「オリビア、良ければこの間の返事をくれないか?」
「何のことでしょう?」
「とぼける君も可愛いけど、できたら焦らさないで欲しいかな」
困ったように眉を下げるノアの様子はまるで捨てられた子犬のようだった。体の大きさを考えれば、とても仔犬とは形容し難いが。ノアはうるうるとわざとらしく瞳を揺らす。その手を振り払おうとしてもノアの力が強く振り払えない。オリビアは苦虫を潰したような顔をしてコリンの方に助けを求める。その瞳はまるで『早くこいつを何とかしろ』と言わんばかりだった。
その様子を見ていたコリンはなんだか面白いことになっているな、と内心おかしく思う。
「まぁまぁ、せっかく来てくださったのにおもてなしもせずに返す訳にはいかない」
コリンの言葉に正気かと言わんばかりの視線を向けてくる。コリンは楽しそうに笑いながら頷く。そして珍しくノアの分の紅茶をコリンが自ら用意し始める。手を握られたままのオリビアにそれを止めるすべはなかった。
「どうだろう? 返事はやっぱり……」
「丁重にお断りさせていただきます」
即答したオリビアに「そうか」と言ってようやくその手を離す。
「そもそもこの間もお断りしたはずです」
この間、無くなった魔法石の核を探した日の帰り道、ノアはオリビアに唐突に告白をした。なんの前触れもなく行われたそれにオリビアは意味がわからずすぐに断った。ノアは分かっていたように、少しだけ悲しそうに笑うと先程と同じように「そうか」と呟いた。残念そうにはしていたが、それ以上その話を続けることは無かったため、一時の気の迷いか何かだったのだろうとオリビアは結論づけていた。しかし、こうやって何度も会いに来るのを見るとそれすらも疑わしくなる。
なんで、どうして。そんなことばかりがオリビアの頭に思い浮かぶ。そもそもオリビアとノアは先の依頼で初めて顔を合わせ、話したのだ。ノアに好かれるようなところなんてなかったはずだ。
そこでふと、ノアにまつわる噂話を思い出す。
曰く、ノアは複数の女性と情を交わしている。そして、珍しいものに目が無い、と。
そう考えると、ノアのこの話はきっと遊び感覚に近いのだろうなとオリビアは考える。滅多に笑わず、人々の噂の種になりやすいオリビアのことをどこかで聞き付けて、物珍しさから囲いたいだけのようにもみえる。そこまで考えると、身構えていた自分が急にアホらしく感じた。そしてより一層冷たい瞳でノアを見る。ノアはその視線の冷たさに気づいているのか分からないがにこりと笑い返してきた。
「なら、君に依頼しよう」
考え込んでいるとノアはポケットから一枚の紙を取り出す。ハッとして意識を戻すと、オリビアはその紙を見た。その紙は一枚の写真だった。写真には年若い男性がこちらに向かって微笑んでいた。オリビアは写真とノアの顔を見比べる。
「この男は先日、隣町に出かけたっきり帰ってこなくなったそうだ。だから探して欲しいとのことだ。そして依頼人はこの男の婚約者だ」
「……人探しの依頼なら五階上の階に専門がいますが…………」
「もちろん、君にお願いしたい」
またか、とため息を吐きながらオリビアは胡乱げな視線を向ける。すると横から手が伸びてきた。お茶を準備していたはずのコリンが写真を持っていっていた。
「おや、ターナーくんじゃないか」
そしてその写真を見ると懐かしそうにしながら言った。ノアは少しだけ驚いたように目を見開く。
「ご存知ですか?」
「もちろん。ターナーくんは学生時代の後輩だよ。とても優秀で、細やかで繊細な魔法を使うのに長けていた……だけど、彼は途中で杖を置いてしまった」
杖を置く、つまり魔導師としての道を諦めたということだ。一般的に魔力を備えた人は大なり小なり魔法の道に進む。魔塔に所属していないフリーの魔導師も中には存在しており、魔導師はどこに行っても重宝される。そう考えるとわ魔力を持った人達は自然と魔導師への道に進み、その道を途中で諦めることは珍しいと言っても過言では無い。
「何か原因があったんですね」
それを踏まえた上で、オリビアはコリンに尋ねる。コリンは残念そうな顔をしながら頷いた。
「彼は生まれた時から魔力生成機能に欠陥があったんだ。ある一定の時期までは生まれついて持った魔力で魔法を使うことは出来た。だが、学生時代のある時、その魔力が底を尽きてしまった」
「魔力生成機能異常……本来であれば魔導師は自分の中で魔力を作り蓄えることが出来ます。けど、まれにその機能に問題がある人が生まれることがある」
「それがたまたまターナーくんだったってわけ」
魔導師の魔力は、例えるなら、魔法石の核と同じである。魔導師は自身の魔力を作り、効率よく循環させることが出来る。そうすることで、魔法を使用することができるとされている。また、魔法石の核はこの魔導師の魔力の流れを模しているともされている。
魔力の起点となる生成機能に異常があれば、いくら循環させるといってもいつか底を尽きる。
つまり、魔法が使えなくなるのだ。
「それで、ターナーくんに何かあったのかい?」
コリンが写真を机に戻す。そして淹れたての紅茶をノアに振る舞う。
「隣町に行ったっきり帰ってこないそうで……探して欲しいとの依頼です」
「なるほど、それは心配だね……うん、オリビアくん」
「担当は上にいます。私たちの仕事ではありません」
オリビアに話を戻すがオリビアはピシャリと言い放つ。取り付く島もない様子に男二人は肩を竦める。しかしコリンは諦めなかった。
「これは僕からもお願いするよ……どうか彼を探してくれないか?」
「だから、こういのは専門の人達に任せた方が……」
「お願いだ、オリビアくん」
いつもは見せない真剣な顔でコリンはオリビアに言う。おちゃらけた雰囲気を無くしたその様子にオリビアは言葉を詰まらせる。そしてたっぷり数刻考え込んでから、仕方がなさそうに息を漏らす。
「コリンさんに免じて……」
そう返事をすると二人は顔を見合せて、笑った。してやったりと言わんばかりの笑顔に騙された気持ちになりながらもオリビアは引き受けてしまったものは仕方がないと気持ちを切り替える。