(3)
今回の依頼人は市民街に暮らすフリントという青年だった。普段は街の本屋で働いており、誰にでも分け隔てなく接する好青年だ。歳は二十一と若いが責任感も強く、周囲の人からの信頼は厚かった。
そんなフリントには恋人が居た。その恋人も同じく市民街に住む女性だった。しかしその女性はもう居なかった。フリントと知り合った時には余命宣告を受けており、時間は僅かしか残されていなかった。フリントはそれを知りながらも彼女と付き合った。残りの時間、彼女の人生が何よりも大切なものになるように、と願いながら。
そしてその年の冬に、その女性は笑顔でこの世を旅立ったそうだ。フリントはその女性が天国へ旅だったあと、親族と一緒に身辺整理を行った。その際、女性の親族から一つの箱型のオルゴールを受け取った。そのオルゴールは女性が死ぬ間際まで大事にしていたものだ。オルゴールは細かな細工がされており、中には小さな魔法石が埋め込まれており、箱を開けると音楽が鳴りだす仕組みになっていた。
フリントはそのオルゴールを受け取った日、家に帰ってからその箱を開けた。優しい音楽が家中に響くのを聴きながら、もう二度と会うことの出来ないその女性を想って泣き崩れた。
それからフリントは毎日のようにオルゴールの手入れを行いつつ、仕事を無理に詰め込んだ。夜は上手く寝付けず、その度にオルゴールを聴いて悲しむ心を宥めていた。女性がいたころから一変して、私生活は乱れ、周囲の人々が心配になるほどだった。
そしてある日の午後。夕方頃にそのオルゴールを持って家の近くにあるベンチに座っていた。女性が居なくなった痛みから立ち直れず、ずっと引き摺っていたフリントはオルゴールの音を聴きながらうつらうつらとしていた。女性を想いながら、少しでも彼女の面影を忘れないように。
そしてその時フリントは夢を見た。
こちらを見て笑顔で手を振る女性。待ってくれと手を伸ばすが彼女は遠ざかる一方で近づくことは出来なかった。そして夢から覚める直前、女性は口を開いた。
『私を見つけて』
***
「目が覚めた時には、オルゴールは音が止まっていました。もちろん蓋は開いたままで。普通なら魔法石で動くものはエネルギー切れなどは起こさないのに、音が聴こえないことに違和感を覚え、私はオルゴールの中を確認しました」
「そして、そこにオルゴールの魔法石はなかった、という訳です」
大凡の話の流れを二人から聞いたオリビアはなるほど、と頷く。
「今もそのオルゴールは持ち歩いていますか?」
「はい。ここにあります」
フリントは腰に巻いていたカバンからオルゴールを取りだした。それは掌に乗るくらいの小さなオルゴールだった。年季が入っているのかアンティーク調でシックな箱だ。
オリビアはフリントからオルゴールを受け取ると迷わず蓋を開けた。中は普通のオルゴールの機械が入っており、特別代わりはなかった。オルゴールの箱の底にもう一つ蓋がついており、そこを開けると動力源になっていたはずの魔法石が埋め込まれていた。
杖を小脇に抱え込み、オリビアは指でその魔法石をなぞる。魔法石は魔力がなくても使えるように調整されているが、稀に魔力を送り込むことで魔法石の痕跡を辿ることができるのだ。オリビアが指先から魔力を流し込むと魔法石は僅かに光を放つが直ぐに消えてしまった。
「魔法石からの逆探知は難しいですね」
魔法石をじっくりと観察しながら小さくつぶやく。核があったであろう場所を見落としがないように観察するとオリビアは魔力石のあるところの蓋を閉じ、オルゴールの箱を閉じる。
「この方は他に魔法石が組み込まれたものを持っていましたか?」
オルゴールをフリントに返しながら尋ねる。
「すみません。彼女の遺品の整理は僕も行いましたが、大事なもののほとんどは親族の方が片付けていて、よく分からないんです」
「そうですか」
「なら、親族の方に話を聞きに行けばいいんじゃないか?」
「そうするしかなさそうですね」
フリントはオルゴールを大切そうに撫でながら、申し訳なさそうに首を横に振る。それに対してノアは新しい提案をだす。オルゴールから痕跡がたどれない以上、ノアの案が一番妥当だと思われた。
そうして三人はオルゴールの持ち主だった女性の家に行くことにした。
市民街を少し歩き、中くらいの大きさの家にたどり着く。特別裕福でも、貧乏でもないといったごく普通な二階建ての家だった。フリントは入口の呼び鈴を鳴らす。しばらくして中からエプロンをつけた恰幅のいい夫人がでてきた。
「おやまぁ!フリントじゃないかい!」
夫人は両手を広げフリントを抱きしめながら歓迎する。そして充分抱きしめると体を離し全身をくまなく観察する。
「まぁまぁ!こんなにやせ細ってしまって……!それに目の下のクマも酷いじゃないかい…………おや?そちらさんは?」
心配そうに声をかけていると、ふと後ろにいた二人に気がついた夫人がフリントに声をかける。フリントは夫人の元気の良さに懐かしそうに笑みを浮かべながら半歩下がって後ろの二人を紹介する。
「お義母さん、こちらは魔導騎士のノア様と魔導師のオリビア様です」
「魔導騎士様に魔導師様…………?なんでまたそんな方々がフリントと一緒に?」
困惑した夫人に説明を重ねようとしたフリントを手で制してノアが前に一歩出る。
「本日はフリントさんが盗まれた魔法石の核の調査に伺いました。彼の持っている魔法石はオルゴールに埋め込まれており、元はこちらのお嬢様の物だと伺い、調査にご協力いただきたく思い参りました」
「はぁ……そうですか。なにやら込み入ったお話のようですね。良ければ中でお話を聞かせてくださいな」
まだ状況が理解出来ていないようだったが夫人はなんとか気持ちを取り直し、三人を部屋の中に入れた。招き入れるように扉を開ける夫人を横目にフリントは会釈して入っていく。ノアとオリビアも軽く会釈をして部屋の中に入る。
扉をくぐると玄関の先には廊下が続いており、途中に二階に行くための階段があった。一階は大きく四つの部屋に別れているようで、そのうちの食卓のある部屋に夫人は三人を通した。
「うちには何も無いですが……よければこれをどうぞ」
椅子へ座るように促しながら、手早く紅茶を入れてそれぞれの前に並べる。
「お茶菓子も出せずすみませんね」
「いえ、お構いなく」
「そうですよ、ご婦人。急に訪ねたのはこちらなのですから……どうか、気になさらないでください」
無表情で怒っているようにも見えるオリビアの言葉を爽やかな笑顔で人当たりよいノアが空気の悪さを濁した。夫人はオリビアに話しかけられた時はびくりと体を震わせていたが、ノアの甘い美貌にうっとりとしかけてハッと体を起こした。
「そうですか、そうですか。そう言ってもらえた方が、こちらとしてもありがたいですね」
安心したように微笑む夫人にノアはニコリと笑い返す。そしてフリントに目配せを送る。フリントは腰にある鞄からオルゴールを取り出すと机の上に置く。夫人は「あぁ、これのことかい」と呟いた。
「たしかにこれはうちの娘が持ってたオルゴールだね。娘の遺言にオルゴールはフリントにってあったから渡したのさ」
「娘さんは他に魔法石で動くものを持っていましたか? もしくはそれに近いなにかでも構いません……私たちはこの魔法石と繋がっているものを探しています」
懐かしむようにオルゴールを撫でる夫人にオリビアが尋ねる。夫人は困ったように眉を下げる。
「あの子が持っていたものかい……大半はあの子が生前に自分で処分してしまったからね。何が残っていたか……少し見てくるよ」
夫人は立ち上がり部屋から出て行った。外から階段を上る音が聞こえてくる。オリビアたちはそれを見送り、話し始める。
「もしも何も残っていなかったらどうするつもりですか?」
フリントがおずおずとオリビアに尋ねる。オリビアはフリントの目をジッと見つめ、口を開く。
「あまりやりたくは無いのですが、魔法石に核の痕跡が残っていないかを調べます。私は魔法石の構造自体にあまり詳しくは無いので、上手くいくかはわかりませんが……上手くいけば魔法石が核の場所を教えてくれるはずです」
「最初からその方法で調べたらいいんじゃないのか?」
ノアの言葉にオリビアは首を横に振る。
「現実的ではありません」
「核を追跡するのと何が違うんだ?」
「……貴方、分って言ってるでしょう」
仮にも魔導騎士として働いているのに、聞いてくる内容は素人同然のものばかりだった。魔法石の構造や核との関係性は魔法を扱うものなら誰だって知っていることだというのに。
不機嫌そうに睨むオリビアに、ノアはバレたか、と肩を竦めながらチラリと横目でフリントを見る。
「たしかに、これらの話は魔導院時代に嫌という程学んだよ。だけど俺やオリビア殿に分かってもフリントさんには分からない」
「それが何か問題でも? 核が見つかればそれでいいはずです」
「それじゃあダメだよ、オリビア殿……別に、何も彼に魔法石が何たるかを教える必要は無い。だけど、手がかりが少ない今、フリントさんにも一緒に考えてもらう必要があるだろう? なら、やっぱり彼が分かるようにする方がいいと思わないか」
「……わかりました」
たっぷり時間を置いてからオリビアは頷いた。大分不服そうな雰囲気を漂わせているが、一応は納得したようだった。そして、オリビアは一呼吸するとフリントに向き直る。フリントは二人のやり取りに慌てる様子を見せながら、オリビアの目をしっかりと見つめ返す。
「魔法石には様々な情報が刻まれています。それは小さな命令式から大きな枠組みになる命令式まで、多種多様に渡ります。あの小さな石に、単独で作用するようにと本当に多くの情報が刻まれているのです」
魔導師らしく魔法石の解説を始める。
魔法石はその石に刻まれていない動きはできない。全てその石に刻まれた命令に沿って動いている。魔法石を使用している時からしていない時まで、ありとあらゆる場面に想定して命令式が組みあげられている。それこそ全ての源である核を紛失した時のための緊急予防策まで組み込まれている。
魔法石の解析は魔法を扱うもの全てが行うことができるとされている。魔導師が通う学校、魔導院で魔法石の基礎を学ぶ機会があり、そこで必ず一度は魔法石の解析および組みあげを行う。だが、行うのはその一度のみで、ノアのように魔導院を卒業してその道に進まないものたちには、より詳しい魔法石の解析はできなかった。
一方、核は大部分の命令を魔法石自体に刻むこともあり、そこに刻まれる命令式は必要最低限のものだけだった。核が魔法石の動力源になるのはその少ない命令式の大半が魔力の運用について担っているからだ。核そのものに魔力を貯め、循環させることで半永続的な使用ができる仕組みになっている。
つまり、核と魔法石では刻まれている情報量が違いすぎるのだ。単純なスイッチとしての役割をする核を調べて追跡するよりも、大量にある命令式から特定の命令式を見つけ出し核を追跡することでは、単純な作業量が違った。その事から、多くの人は魔法石に元から備わっている緊急予防策を使うより、他の魔法石とリンクさせて紛失した時に追跡できるようにしているのだ。
一通りの説明が終わると、フリントがわかったようなわかってないような顔で頷いた。
「つまり、魔法石と核では効率が違うということさ」
オリビアの話を締めるようにノアが言う。
「なるほど……扱い方も全然違うのですね。ずっと身近にあるものなのに、全然知りませんでした」
「一般的に公開されていない内容なので、知らなくても仕方が無いと思います」
話が一段落したところで、夫人が帰ってきた。その手には小さな指輪を持っていた。フリントはその指輪を見つけて、僅かに目を見開いた。
「色々と探してみたけれど、魔法石が使われているもののほとんどはもう無くなっていたよ。やっぱりあの子が生きてる時に処分してしまったみたいだ……残っていたのはこれだけだったよ」
「その指輪はなんですか?」
「これは……」
「それは僕が彼女にあげた物です」
夫人の言葉を遮って、フリントが話す。震える唇と力強く握る手が感情の荒波に耐えているようだった。そんなフリントの様子を夫人は痛ましいものを見るように見ていた。
「彼女に……約束したんです」
フリントの脳内で、褐色の長い髪を風に揺らした女性が微笑む。女性の調子がまだ良かった時、フリントと一緒に街の近くにある花畑まで出かけたことがあった。その時に、フリントと彼女はひとつの約束を交わした。
「『次の春が来たら、結婚をしよう』と」
顔を伏せて、身体を震わせるフリントの言葉に夫人は息をのみ口に手を当てる。どうやら夫人もその事までは知らなかったようだ。
「そうだったのかい……だけどあの子は……」
「……はい。彼女は次の春が来る前に、亡くなりました」
静まり返った部屋の中にフリントの嗚咽だけが響く。ノアも悲しげにフリントを見て、隣のオリビアの様子を伺う。オリビアの表情は変わらず何も感じていないようで、何故フリントが泣いているのか分かっていないようだった。
「それで、その指輪には魔法石が使われているんですか?」
泣いているフリントに慰めるように寄り添う夫人を交互に見ながらオリビアが尋ねる。ノアはオリビアの肩に手を乗せて、首を横に振る。オリビアは不思議そうにノアを見つめ返した。
「オリビア殿、今はそっとしておこう」
「どうしてですか? 今はオルゴールの核の行方を探しているのですよね? なら……」
「……オリビア殿。思い出に浸る時間があったっていいじゃないか。特に、フリントさんはまだ気持ちの整理ができていないようだし」
ノアの言葉に眉をひそめたオリビアは訳が分からないという顔をする。女性がつい最近亡くなったのならまだ想像できるが、その人が亡くなってからもう一つ季節が巡っている。それならとっくに気持ちの整理くらいできているものだろう、とオリビアは考えた。
しかしノアはまた首を横に振る。そしてオリビア手を取り強引に部屋の外へと連れ出す。
「こういうのは時間が解決するって言うが、その時間がどれだけかかるかは人それぞれだ」
もっと早くに立ち直ることが出来ていたのなら、フリントはくたびれた様子で今日来たりはしなかっただろう。目の下に濃いクマを作ることも、危なっかしくふらついて歩くこともしなかった。
だけど、彼は未だに亡くなった女性のことを想い、苦しんでいる。だからこそ、唯一の繋がりともいえるオルゴールに依存しているのだ。使えなくなったオルゴールを手放すこともせず、その思い出にしがみつくことでフリントは気持ちを保っているのだ。
しかしオリビアにはその気持ちはわからなかった。生活に必要不可欠なものならば話は別だが、そうでないのなら物は物だし、無くしたり壊れたなら買い換えるか次の物を探せばいい。実際オリビアはそう割り切っている。たかが物に執着するのは間違っている、と。
「君の考えていることが何となくわかるけれど、人はそんなに簡単に割り切れないんだ……それに大切な人が自分のあげたプレゼントを大切に使っていてくれたら嬉しいと思うだろう?」
「……そう、思うものなのですか?」
「あぁ、そう思うものさ」
ノアは部屋の中で震えて泣いているフリントとそれを慰めている夫人を見る。その視線に促されるように、二人を見る。
どれだけ考えてもオリビアにはその気持ちはわからなかった。だけど、そう思う人もいるのだと、頭の片隅に入れておく。