(2)
ノア・ウォーカーはハロズカイアでは有名な人だった。人に興味が無いオリビアの元にまでその噂が届くくらいに。
ノアは侯爵家の第一子として産まれ、幼い頃から剣術と魔法の研鑽を行っていた。そのため、その剣技は右に出る者はいないと言われるほどだった。
性格は朗らかで、誰とでも仲良くなれるような人物だった。その友好関係の広さはこの国一番とも言われる。美しい黒髪に優しげな灰色の瞳で見つめられればどんな人でも彼の虜になるとか。
そんな噂がまことしやかに囁かれる彼だった、唯一の欠点があった。それは私生活が自由すぎることだった。
二十六歳とそろそろ結婚をしてもいい歳なのに未だに身を固めず、様々な女性と関係を持っている。一夜限りの付き合いもあれば数ヶ月の付き合いになることもあるが、総じて半年も関係を続けられた人はいなかった。侯爵家で大切に育てられたためか、ノアは愛に奔放だった。
彼と付き合う女性達は、それでも構わないと思いながら、あわよくばノアの妻にと望む人達ばかりだった。
またよく賭け事もしており、男友達と賭博場にも足を運んでいるらしかった。運がいいらしく、滅多のことで負けることは無いとも言われている。
コリンはそんなノアのことを『いつか痛い目にあうだろうね』と評しており、特に彼へ興味があるようではなかった。
そんな男がいま、オリビアの目の前で座っている。にこやかに笑みを浮かべるノアは能面のように無表情なオリビアに対しても優しく接してきた。
「こんにちは。俺はノア・ウォーカー。第二魔道騎士団の部隊長を務めている」
「こんにちは。私は魔塔所属の魔導師オリビアです。本日はどういったご要件でしょうか?」
オリビアは淹れたての紅茶をノアに勧めながら首を傾ける。ノアはカップを持ち上げ一口飲み込む。舌の上でその味を噛み締める。
「いい紅茶ですね。どこの茶葉をお使いになってるんですか?」
紅茶の味を堪能したノアが驚いたように目を見開く。オリビアからすればどこにでもある紅茶と同じ味だったがノアには違って感じられたらしい。
「わかりません。茶葉はコリンさんが選んで持ってくるので…………それで、どういったご用件でしょうか」
「ほぅ、コリン殿が持ってこられるのですね。それなら後ほどどこの茶葉を使っているのか尋ねるとしましょう」
カップを持ち上げたままノアはにこりと微笑む。オリビアは「はぁ……」と返事をし、心中では早く話を始めてくれないかなと考えていた。
「いや、すみません。どうしても騎士団には男が多くてこういった繊細なものに対する扱いが雑になりがちで……ここで飲む紅茶は他のものとは比べ物にならないほど美味しかったので、つい気になってしまいました」
「そうですか。それではご要件を伺ってもよろしいでしょうか?」
にこやかな態度をとるノアとは対照的に、どんどんとオリビアの周りの温度は下がっているようだった。オリビアは回りくどいことが苦手だ。直球で話してくれた方が、相手の希望を正しく把握することが出来るからだ。それを思うとノアの雑談はオリビアにとっては苦痛だった。依頼があるのならその話だけをして欲しく、関係の無い話は省いて欲しかった。
オリビアが困っていることを察したのかノアはようやくカップをソーサーに戻し、姿勢を正した。
「本日はあなた方に探し物の依頼を頼みたい」
「探し物ですか」
「あぁ。近頃市民街で魔法石の核が盗まれる事件が頻発しているのはご存知だろうか」
「いえ、知りませんでした。私はほとんど市民街にはいかないので」
魔法石の核は魔法石を正しく利用する上で必要不可欠なものだ。魔導師のように直接魔法が使う才能がない人たちには神の奇跡を身近に扱える魔法石が使えなくなるのは生活に支障きたすことと想像できた。
「それでは、盗まれた魔法石の核の捜索が依頼内容でお間違いないでしょうか」
「話が早くて助かるよ」
「それでしたら、一度この部屋を出て頂き、三階上にある場所に失せ物探しの担当がおりますのでそちらにご案内致します」
オリビアたちは魔法の研究が主な仕事であり、探し物を探す仕事は別で担当している人たちがいた。だから、ノアの依頼はオリビアたちが受けるよりも担当者に繋いだ方が良いだろうと考える。おそらくノアは魔塔の部署の中にそういう担当があるのを知らず、伝手だけでコリンを頼ったと考えられる。騎士団に務めるノアが魔塔の内情を知る機会が無いのは仕方がないことだろう。
そう思い、オリビアがノアを案内しようと腰をあげると、ノアが慌てたように手を差し出してもう一度座るようにと合図を出す。オリビアはなぜ止めるのか分からず首を傾けるが、その指示に一応従う。
「この依頼は君たちに、いや、君に受けて欲しいんだ」
まっすぐにオリビアの瞳を見つめて言うノアにオリビアはさらに首を傾ける。
「私たちは魔法の研究をするのが仕事であり、探し物を見つけるエキスパートは他にいます。市民街にある魔法石の核が盗まれたということは、その核が無くて困っている方がいらっしゃるのでは?それなら一刻も早く見つかるように、失せ物探しの担当者が探した方がいいのではないでしょうか?」
「君の意見はごもっとも。だが、俺は君にこの依頼を受けて欲しい」
合理的ではないその答えにオリビア分かるように眉を顰める。
「君は繊細な魔法に長けているとコリン殿から伺っている。魔法石の取り扱いはそれこそ繊細だ。普通の遺失物探しとは訳が違う。もちろん、ここにも探し物を専門としている人たちがいることは知っている。その上で、君に頼みたいんだ」
「理解できません。いくら私の魔法が繊細だったとしても、その道のプロに頼むのが筋でしょう……やはり、担当者に話を繋ぎます」
「まぁまぁ!いいじゃないか!」
埒が明かないと判断して再び腰をあげようとしたところ、肩をぽんと叩かれる。ハッとして顔を振り向かせると、奥で作業をしていたはずのコリンがオリビアの横に立っていた。
上司に止められたことでオリビアは困惑したようにコリンを見上げる。するとコリンは片目をパチンと閉じて笑顔を見せる。
「彼は君に頼みたいと言っている。それを断る理由がどこにあるんだい?君も外での経験が積めて、彼は目的を達成する……まさに一石二鳥じゃないか!」
「別に私は外での実地経験がなくても……」
「いいや!そろそろ君も経験を積むべきだよ、オリビアくん」
オリビアの言葉を遮ったコリンはにこりと笑みを向ける。いつになく強引なコリンの様子にオリビアは思わず睨んでしまう。他の人が見れば震え上がり、オリビアの意見に従いたくなるような冷たさがあった。しかしコリンには効いていないようでニコニコと笑っている。その笑顔からコリンが引くつもりがないことが容易に窺えた。
しばらく無言の攻防を繰り広げた後、オリビアは頭が痛そうに額に手を当ててため息をつく。
「……わかりました。やりましょう」
「ほんとか!」
渋々承諾したのを聞いたノアが嬉しそうに立ち上がる。その喜び方が少しだけ大袈裟だったのと、全ての元凶であったことからオリビアはジトっとした目で依頼主のことも見てしまった。しかしこちらも不機嫌そうなオリビアに気がついていないのか、満面の笑みでオリビアの手を取って振り回した。
「ありがとう!君が引き受けてくれて本当に嬉しいよ」
「仕方がなくです。決して進んでやりたいとは思ってません。それに、私の専門は攻撃魔法……特に氷結系で、探し物は専門外です。役に立てなくても文句は言わないでください」
「もちろんだとも!文句なんて誰にも言わせないさ!」
ずっと腕を振り回されてそろそろ痛くなってきた頃合に、ノアは手を離しほっとしたように息をつく。頑なにオリビアを指名したことや、依頼を受けた時の尋常じゃない喜び方からもしかしたら背後に誰かがいるのかと考える。その誰かがオリビアを指名し何かをさせたいのか、と。
(考えても仕方が無いことだわ……とりあえず、やれるだけのことをやりましょう)
痛くなった手首を軽く振って解しながら心の中でぼやく。
「オリビアくん」
話が一段落したところでコリンが顔をオリビアの耳に近づけて声をかける。
「君に外での経験を積んで欲しいのは本心さ。たとえそのきっかけがなんであれ、君はきっとこの経験を通して世界の味方が変わるだろう」
胡散臭そうな笑みを浮かべながら、目をうっすらと細める。予言めいたその発言に訳が分からずオリビアは首を傾ける。その様子を見てコリンはまた笑う。
「さぁ、いっておいで。困ったらいつでも帰ってくるといい。僕はいつでも君の帰りを待っているよ」
「コリンさん……」
「大丈夫です!俺が彼女を困らせるような目には合わせませんから」
二人でやり取りをしているとノアが割って入ってきた。コリンから目を離してノアを見ると、それに気がついたノアが優しく笑う。その笑顔を見て、『あぁ、なるほど』と思った。甘く優しいその笑みは、一般的に大半の女子に気に入られそうだなと客観的に判断する。この笑みを見せられれば、耐性のないものなら簡単に"恋"に落ちるのだろう。
(まぁ、私には関係ないことですけど)
そう思いながらオリビアは立ち上がる。今度こそ、外へと行くために。
***
魔塔を出て初めに向かったのは市民街と貴族街の境目だった。どうやらここで魔法石の核を盗まれた人と落ち合うらしい。
オリビアはいつも着ている長い黒のローブを脱ぎ、動きやすい服装に着替えていた。魔導師としてなくてはならない杖は持ってこないわけには行かなかったが。杖は先端が円形にで一部が欠けている。円の中心にさらにもう一つ円があり、ふわふわと浮きながら回っている。その小さな円の中心には魔法印が刻まれた特注の魔法石が埋め込まれている。これは、オリビアの力を最小限で最大限使うための増幅器のようなもので、魔力のセーブにも役立っている。長い柄を通って先端の反対側にはちょっとした意匠も拵えてある。この杖はオリビアが魔法の力に目覚めた時に父から貰ったものだった。記憶にある限り、両親から何かを受け取ったのはそれが最初で最後だった。
街の中でならよっぽど何も起きないだろうが、一応戦闘に備えての準備もしてきた。魔力切れになった時に使える、魔力を貯めて魔法石なんかは割れば即座に魔力を回復する優れものだ。
オリビアが手持ち無沙汰になりながらもノアと一緒に待っていると、ノアがちらちらとオリビアを見ていることに気がついた。オリビアはノアの方に顔を向けて何か用かと尋ねるように眉を顰める。するとノアは照れたように頬を指でかいた。
「オリビア殿の髪は本当に綺麗ですね。魔塔の中とは違い太陽の光に照らされるとより美しく見えます」
「………………はぁ」
全く関係のないことに呆れてしまい返事が遅れる。しかし彼はそんなこと気にしていないようで、つらつらとオリビアの容姿を褒め始める。あまりにもどうでもよかったので言われた内容は右から左に聞き流してしまった。ノアはそれでも良かったようで楽しそうにオリビアの方を見て喋りかけている。
そんなことをしていると市民街の方からよろよろと歩く男が近づいてきた。随分とくたびれた格好をしており、よれた服に数日洗ってなさそうな髪、目の下には濃いクマがある。明らかに私生活が正されていないのが分かった。
ノアは目の前までやってきた男に気がつくとようやくオリビアのことを口にするのをやめる。
「こんにちは、フリントさん。昨日ぶりですね」
「あぁ、ノア様、こんにちは……そちらの方が?」
「えぇ、今回一緒に調査してくださるオリビア殿です」
「オリビア……オリビア・アンダーソン様ですか!?」
うつらうつらとしていた男、フリントの瞳がオリビアの名前を聞いてカッと開かれる。そしてわなわなと体が震え出す。オリビアはまたか、と思いながらそっと目を逸らす。
オリビアの噂は何も魔塔の中だけの話ではなかった。魔塔の外、つまり一般市民にも広がっているのだ。無表情、無感動、人の血が通っていない、冷徹な氷の魔導師、と。魔塔の中でも嫌煙されるオリビアは外に出ても冷ややかな目で見られることが多い。それがオリビアが魔塔と自宅以外出歩かない要因の一つとも言えた。
「何か心配することがありますか」
思考の海に落ちていたオリビアの意識はノアのその言葉でハッと引き上げられた。先程とは打って変わって硬くなったその声色に思わずノアの顔を見上げる。ニコニコと人の良さそうに笑っていたノアはそこに居なかった。真剣な表情でフリントに問いかけるノアは怒っているようにも見えた。
ノアの威圧にフリントは慌てたように首を振る。
「い、いえ!とんでもございません!ただ、魔塔の方が協力してくださることは聞いておりましたが、オリビア様がわざわざ来ていただけるなんて思っておらず……少しばかり動揺してしまいました」
「そうか……オリビア殿には無理言って協力頂いている。どうか、心無い噂には惑わされずに」
ノアの言葉にフリントは頷く。そしてオリビアに向かって頭を下げる。オリビアは驚いたように僅かに目を見開く。
「申し訳ございませんでした。今回はご協力いただき感謝致します」
「いえ……私は気にしていないので、フリントさんも気になさらないでください」
「オリビア殿はもう少し自身のことに関心を持つべきだと思いますけどね」
先程のノアの話を無視していたからかノアに苦言を呈される。仕方が無いように眉を下げて笑うノアの脛に杖の先端を当てようかとも思ったが、いい歳をした大人がやることでは無いと思い直す。そもそも、出会って数時間の人になぜここまで言われなければならないのか、と理不尽に思う気持ちが湧き上がってくる。これならまだ悪意のある噂話の方がよっぽど聞き流せた。
「寛大なお心に感謝致します」
再度フリントが頭を下げる。
「よし。それじゃあ、話を整理し直そう」
話が一段落したところでノアがそう言って歩き出す。フリントとオリビアがその後ろに続く。