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彼は約束をくれる
『何度生まれ変わっても、何度この人生をやり直しても、君だけを愛する。どんな出会い方をしても、俺は、君を愛する自信がある』
だけど彼女は彼のいない世界を認めない
世界は終わる。
彼女の膨大な魔力と引き替えに、終止符を打つ。
そして時間は巻きもどる。
神の悪戯か、それとも神罰か。
彼らはもう一度、その生をやり直す。
熱く、熱く、熱い。
燃え盛る炎の中、皮膚がジリジリと焼かれていく感覚がする。どれだけの時間そこにいたのかは分からない。分かるのは腕の中にいる男の命が今にも尽きそうだということだけ。
こんな時でさえ、素直に言葉が口に出せない自分が恨めしい。そう思っていると彼はそっと目を開けて彼女の目元に手を添える。そっと親指で何かを拭うと彼の方が重傷なはずなのに笑顔を見せた。彼は彼女を安心させるために懸命に笑みを保とうとしている。
「泣かないでくれ。君に、泣かれてしまったら……俺は、どうしたらいいのか分からなくなる」
彼女は彼の手を取りながら泣きじゃくりたくなる気持ちを抑え、眉を顰める。
「泣いてなんか、いないわ。どうして私が泣くの。辛いのも……痛いのも……あなたの方がずっと感じてるはずなのに」
「そう、だ。そうだね。だけど、こんな時まで我慢しなくていいんだ」
彼がそう言うけれど、彼女にはそんなことを言える彼の気持ちが分からなかった。怪我をしているのも死にかけているのも全部彼なのに。死への恐怖はないのか、怪我の痛みは感じないのか。助からないであろう現状に怒りは無いのか。
そんなことを考え、彼女は唇をグッと噛み締める。彼は彼女の考えていることがわかったのか、苦しそうに、だけど彼女を安心させるように微笑む。
「大丈夫。何も心配はいらない。君ならきっと僕が居なくても生きていける。この先もずっと、ずっと、幸せになれる」
彼の言葉に彼女は目を見開く。彼は彼が居ない世界で生きていけと、幸せになれと言う。ずっと彼女のそばにいて、拒絶してもそばにいて、彼女に感情を分け与えた張本人のくせに、そんな無責任なことを言う。
彼女は嗚咽が漏れそうになるのを堪えながらゆっくりとしたに下がっていく彼の手を必死にかき抱く。これ以上彼が何も失わないようにと願いながら手を握るが、無情にも彼の命の残量は刻一刻と減っている。
「あなたは勝手よ、身勝手がすぎるわ。いつだって……今もそう!勝手なことばかり言って、なんの根拠もないくせに適当なことを嘯く!」
「それでも、俺は、ノア・ウォーカーは君を愛してる」
「……っ!」
「何度生まれ変わっても、何度この人生をやり直しても、君だけを愛する。どんな出会い方をしても、俺は、君を愛する自信がある」
「…………そんなの……信じられないわ」
人の温もりも、優しさも教えてくれたのは目の前の彼だった。友人のいない彼女に、両親は愛を与えなかった。家族はお互い別々の方向を見ていて、そこに繋がりなんかなかった。だけど、彼が人の温かさを、愛を教えてくれた。そんな彼の言葉でも、死にゆく人の戯言を簡単に信じられるほど、彼女の心は溶けていなかった。
「信じなくてもいい。俺を呪ったっていい。だから、俺が次の人生でも、また君に愛を伝えるのを許して欲しい」
彼はすっと頬を撫でる。その手はゆっくりと顎に向かって下がっていく。まるで生命の灯火が消えていくように。彼女はその手が離れないように、その命が消えてしまわないように咄嗟に手を握る。
「オリビア、君は、生きてくれ」
「…………あなたのいない世界で?」
「俺のいない世界でも」
「…………もう二度と、会えなくても?」
「必ず逢いに行く。何度でも君のそばにいる」
「…………嘘ばっかり」
「嘘じゃない。……だから信じてくれ」
彼は残り僅かに残った力を振り絞り、彼女の頭の後ろに手を回す。そっと顔を近づけ視線と視線が絡み合う。僅かに触れた温かさは、これから死にゆく人のものとは思えなかった。
「オリビア…………愛してる」
「…………っぁあ!」
彼がそっと目を閉じていく。手を握り直しても、力は抜けていく一方で、彼の命を繋ぎ止める事は出来ない。満足そうに笑う彼は酷い人だと心の中で罵る。自分を置いていくなら、どうして私に愛を囁くのか。一緒に連れて行ってくれないのなら、どうして私に生きろというのか。次の人生なんていらない。今、この瞬間を彼と生きていたかった。ただ、それだけだったのに。
彼女は完全に力の抜けた彼の体を腕の中に閉じ込める。
彼は死んだ。
彼女の腕の中で。
どうしようも無い空虚感をおぼえながら空を見上げる。燃え盛る炎の黒煙が周囲に広がって空は思うように見えなかった。
彼女はふと、頬に水が流れるのを感じた。こんな時に雨でも降ったのかと思ってその水に手を伸ばすと、次々に水が流れてくる。その水はどうやら自分から流れているようだった。
彼女はようやく泣いていることを自覚する。それが悲しみなのか、虚しさなのか、はたまた怒りなのかは本人にも分からなかった。
「私…………泣いているのね……」
彼女は彼の亡骸を抱え直すと小さく嗚咽を漏らす。こんな終わり方はあんまりだ、と神を呪う。しばらくそうして蹲っていた。パチパチと火が爆ぜる音が近づいてくる。時期にここも業火に包まれることだろう。そうなる前にここから脱出しなければいけない。だが、彼女はもう一歩だって歩きたくなかった。彼の願いだって、聞きたくなかった。
「…………ない。……死んでない」
虚ろな瞳で彼を見つめながらそっと顔にかかった髪を避けてあげる。
「彼は、死んでない」
口に出して否定することでしか、彼女のボロボロになった心は保てそうになかった。
「死んでない……しんでない……」
口にすることでそれが現実になるような気がした。
「彼は死んでない。彼は死んでない。彼は死なない。彼が死ぬわけがない!彼が死ぬ世界なんて認めないわ!」
ずっとわからなかった彼からの愛を、情熱を、失ってから初めて気がつく。彼女の胸の内にも同様の感情があり、それらがあるからこそ、今、彼女は苦しんでいる。ようやく彼女はその事に気がつけた。無感動に、無感情に、何事にも無干渉に生きる人形のような彼女はもう居ない。そこには一人の愛する人を失った女性がいるだけだった。
彼女は泣きじゃくりながら否定する。彼の死を、この現実を。
「なくなれ……なくなれ!なくなれ!なくなれ!なくなれ!……こんな現実……っ私は認めない!」
ポタリと涙を流して小さくつぶやく。
「……嘘だと言ってよ…………ねぇ」
彼女の感情に合わせて周囲がキラキラと光りはじめる。無意識のうちに魔法を使っていたのか、彼女を中心に光の渦が出来る。彼女は彼を抱きしめながら死んだように空を見上げる。虚ろな瞳は何も映さない。壊れた心はもう元には戻らない。例え過去に戻ったとしても、別の世界に生まれ変わったとしても。
「彼がいない世界なんて」
彼女が笑う日はもう来ないだろう。
「いらないわ」
光の渦は徐々に中心に向かって収束していく。光の渦に飲み込まれるとき、最後の涙が一雫こぼれ落ち、彼の頬を濡らした。その光が彼女に終わりをもたらしてくれるのだと分かり、彼女は最後に小さく笑った。
世界は終わる。
彼女の膨大な魔力と引き替えに、終止符を打つ。
そして世界は巻きもどる。
神の悪戯か、それとも神罰か。
彼らはもう一度、その生をやり直す。
***
「オリビア」
低く、威圧的な声で名前を呼ばれる。彼女はゆっくりと目を開ける。
目を開けると彼女の家族が食卓を囲んで座っていた。しかし一家団欒にしてはその食卓はとても静かで、ナイフやフォークが皿にあたる音すら騒音になるほどだった。
「オリビア」
もう一度名前を呼ばれる。
彼女……オリビア・アンダーソンは顔を上げる。無表情に無感動に、家族に対しても心を動かすことなくじっと名前を呼んだ人を見つめる。
「はい、お父様」
誰にも心を開かないのは小さい頃からの彼女の特徴だった。彼女の冷徹さは、誰もがこの家の教育方針のせいだと思っていた。それが生前の出来事が原因であることを知るのは、今は誰もいない。
彼らはやり直す。
無常で、非情で、救いようのない世界を。