第三十一章
エヴラールは、公爵家の執務室で書類に目を通しながら、窓の外に視線を向けた。
中庭では、アルメリアが隣国の使節団と流暢に会話を交わしている。隣国の言葉は癖が強く、貴族でさえ理解できる者は少ない。それを難なくこなし、さらには王女とも親しくなった彼女の才能には、驚かされるばかりだった。
(彼女をここに迎え入れて正解だったな)
エヴラールは、最初こそ彼女を復讐のための同志としか見ていなかった。しかし、今ではそんな考えが馬鹿らしく思えるほど、アルメリアは公爵家に欠かせない存在となっていた。
そんな折、執事が静かに部屋へ入ってきた。
「エヴラール様、レグニエ侯爵家のセレナ嬢がお見えです」
エヴラールの眉がわずかに動いた。
「……誰だって?」
「セレナ嬢でございます。エヴラール様にお話があるとのことですが、いかがいたしましょう?」
エヴラールは小さく鼻を鳴らした。今さら、何の用だというのか。
「会おう」
執事が一礼し、セレナが部屋へ案内された。
セレナは、変わらぬ優雅な微笑みを浮かべていた。かつて公爵家の婚約者となるはずだった女。しかし、彼女はエヴラールとは一度も顔を合わせることなく、突然婚約を撤回してきた。
「お久しぶりですわ、エヴラール様」
「……それで? 今さら何の用です?」
エヴラールは腕を組み、冷ややかに問いかけた。
「そんなに冷たくしないでくださいませ。私たちは本来、婚約するはずだったのですよ」
「ふっ、それを勝手になかったことにしたのは、そちらの方だったな」
セレナの笑顔がわずかに引きつる。
「ええ、その件は申し訳なく思っていますわ。でも、今なら分かります。あなたこそが私にふさわしい方だったのだと」
エヴラールは静かにため息をついた。この女は本当に頭がおかしいのではないか。
「ふさわしいかどうかは、私が決めることです。貴女は当時、私と会うことすらせず、一方的に婚約を撤回してきました。それだけで十分です」
「ごめんなさい、でも、今なら……」
「今さら、何を言おうと無駄です」
冷たく言い放つと、セレナはわずかに震えた。
「待ってください……アルメリア姉様より、私の方が……」
その言葉を聞いた瞬間、この女は、まだアルメリアを格下に見ているのかと、エヴラールの瞳が鋭く光った。
「アルメリアの名を軽々しく口にしないでいただきたい」
セレナは息をのんだ。
「貴女が追い落とした姉が、今どれだけ活躍しているか知っていますか?」
「そ、それは……」
「彼女は今、私のもとで働き、公爵家の発展に貢献しています。自らの力で地位を築いているのです」
セレナの表情が強張る。
「それに……私はもう、アルメリアを手放す気はありません」
そう言ったエヴラールの目には、すでに答えが出ていた。
「お帰り下さい、セレナ嬢。二度とここへは来ないで頂きたい」
ぴしゃりと告げられる。
「君とは二度と会うことはないでしょう」
そう言い残し、エヴラールはさっさと部屋を出て行った。
セレナは何かを言いかけたが、エヴラールの冷たい視線を前にして、言葉を飲み込んだ。
彼女の未来は、完全に閉ざされたのだった。




