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第十九章

 エヴラールは書類に視線を落としながら、穏やかな気持ちを感じていた。アルメリアと共に過ごした時間が、鮮明に思い出される。


 彼がアルメリアの名を初めて知ったのは、セレナとの婚約話が持ち上がったときだ。もともとエヴラールは、ただの政略結婚としか考えていなかった。それでも婚約者となる者については調査をしてから、と返事を先延ばしにしていた。ところが急に婚約の申し込みはなかったことにして欲しいといわれた。その話を聞いたエヴラールは、理不尽な話に不愉快な気分になり、レグニエ侯爵家について徹底的に調べた。そして、双子の姉アルメリアの価値を知った。

 レグニエ侯爵家には跡継ぎとなる男子がいない。だからこそ、婿入りする形でレイモンド侯爵家の次男であるエドワルドが双子の姉アルメリアの婚約者に選ばれた。アルメリアは実際には相当な才覚を持ちながらも、セレナと比較され不遇な扱いをされていた。

 そしてついに彼女は妹のセレナに婚約者と後継の座を奪われ、今は侯爵家の影に隠れるように生きているという。

(才能ある者を無碍に扱うとは……。)

 レグニエ侯爵家がアルメリアのような才覚ある者を冷遇し、セレナのような外見だけの娘を跡継ぎに据えたこと、そして我が公爵家に婚約を打診しておきながら、当人は姉の婚約者を奪い、当たり前のようにこちらへの申し込みを撤回してきたことに不快なものを感じた。ならばレグニエ侯爵家を支える才覚のあるアルメリアを取り上げようと意趣返しのような感情が湧き上がった。実際に最初はただ、彼女の知識や語学力に感心していただけだった。

(ならば私の手元に引き取るのも面白いかもしれない。)

 それが、アルメリアに声をかけたきっかけだった。


 夜会で初めて言葉を交わした彼女は自信なさげな様子で、隠れるように佇んでいた。少し煽るように復讐劇に誘うと、ためらいつつも私の手を取った。そこからすぐに私は手を回しレグニエ侯爵家からアルメリアを奪った。

 そして公爵家の関係者として恥ずかしくないようマナーと知識を補い、他国の者が多く集う夜会へ連れ回した。そこで驚くほど彼女は変わった。見た目はもちろん、彼女の語学力と機転の利いた会話に驚かされた。アルメリアは、それぞれの外国の言葉で丁寧に応対し、場を和ませるだけでなく、交渉の場においても適切な通訳を務めた。あっという間にまわりからの信用を得て、我が公爵家の評判も上がり、新たな取引も増えていった。


 隣国の市場に彼女と一緒に視察にいった際も、想像以上の才覚がそこにはあった。

「この店、珍しい香辛料を扱っているようです。」

 王都の賑やかな街並みの中、アルメリアがふと足を止め、興味深そうに店先を覗き込んだ。彼女の目は生き生きとしていて、その瞳の輝きが不思議と人を惹きつける。

「本当に、どこへ行っても商いのことを考えているのですね。」

 エヴラールが隣で笑いながら言うと、アルメリアは照れたように微笑んだ。

「ええ、興味を惹かれるものがあると、つい……。でも、エヴラール様も同じでは?」

「そうかもしれません。」

 彼女の鋭い観察力と柔軟な発想には何度も驚かされてきた。語学にも長けており、商談の場では流暢に隣国の言葉を操る姿を何度も目にした。王都の市場で現地の商人たちと楽しげに言葉を交わし、適切な価格交渉をする姿に、エヴラールは密かに感心していた。

(この才覚を埋もれさせるのは惜しすぎる。)

 だが、それ以上に、彼女が周囲の人々を気遣う姿に、エヴラールは心を動かされていた。


 ある夜、宿で休む前に、エヴラールはふとアルメリアが一人で中庭にいるのを見かけた。

「眠れないのですか?」

 声をかけると、アルメリアは少し驚いたようだったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。

「夜風が心地よかったので……。」

「随分と楽しそうでしたね、今日の街歩きは。」

「ええ、とても。王都には新しい発見がたくさんありました。」

 彼女は空を仰ぎながら、静かに続けた。

「……ここに来るまでは、未来なんて考えられませんでした。私はただ、侯爵家での役割を奪われ、すべてを失ったと思っていましたから。」

 エヴラールは黙って彼女の言葉を待った。

「でも、今は違います。商いを通して人々と関わり、新しい道を切り開くことができる……それが、少しずつ楽しくなってきました。」

「そうですか。」

 彼女の横顔は穏やかで、それでいてどこか強さを感じさせた。


 一緒に市場をまわっていると、雑踏の中で、アルメリアはふと足を止めた。人混みの間に、小柄な少女が不安げな様子で立ち尽くしている。

「……どうしましたの?」

 アルメリアは自然と声をかけた。少女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに困ったような表情を浮かべる。

「えっと……財布を落としてしまって……護衛ともはぐれてしまったの。」

 アルメリアは少女にパンを振る舞い、少女が不安にならないように優しく話をしていた。あとからこの少女が、実はお忍びできていた王女であるとわかり驚いた。

 そして、王女はアルメリアに興味を示し、何度もアルメリアを呼び出すようになり、次第に親しい関係となっていった。

(まさか王女と親友と呼べるほどに親しくなるとはね……)


 エヴラールはこれまでのことを思い出しながら、改めてアルメリアという存在の不思議な魅力を感じていた。

(この人の未来を、もっと見てみたい——)

 エヴラールはそんなことを思いながら、また書類に視線を落とした。

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