第十二章
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レグニエ侯爵家の応接室に、冷たい緊張が漂っていた。
「これは一体、どういうことなのでしょうか?」
エヴラール・フォン・ルーベルト公爵の言葉は、穏やかながらも冷徹だった。その隣には、彼の側近と思しき男性が控えている。
「まさかルーベルト公爵家に対し、婚約の話を自ら持ち込んでおきながら、一方的に破談にするとは思いませんでしたよ。社交界では、すでにこの話が広まっており、私の家の名誉は大いに傷つけられました。」
レグニエ侯爵と夫人は、冷や汗をかきながらエヴラールの言葉に耳を傾けていた。これほどまでに冷静でありながら怒りを含んだ言葉に、反論など許されるはずもない。
「そ、それは……エヴラール公爵閣下、誤解が……」
「誤解?」
エヴラールはわずかに眉を上げた。
「つまり、貴族間の縁談を軽々しく扱い、自分に都合のいいように破談にすることが貴族の常識だと?」
「いえ、決してそのようなつもりは……!」
侯爵はしどろもどろになりながらも、必死に言葉を探していた。しかし、エヴラールの鋭い視線を前に、言い訳は次第に喉に詰まる。
「……まあ、今さら貴方たちの言い訳など聞くつもりはありません。」
バシンッ、とエヴラールは手元の書類を机に置いた。
「このままでは、私も黙っているわけにはいきません。社交界に対し、レグニエ侯爵家がどれほど無責任で信用に欠ける家であるか、然るべき場で公にするつもりですが——」
「ま、待ってください!」
侯爵夫人が慌てて前に出る。これ以上、ルーベルト公爵家の怒りを買えば、レグニエ侯爵家の立場が危うくなるのは明白だった。
「……何か、言いたいことでも?」
エヴラールは静かに問いかけた。その表情には、すでに答えが見えているような余裕があった。
「その、どうか……お許しを……」
「ふむ。」
エヴラールはわざと考え込むように指を組む。
「許しを請うのであれば、それなりの誠意を見せてもらいましょう。」
「誠意、とは……?」
「簡単なことです。貴家には、アルメリア様がいらっしゃいますね。」
アルメリアは、今まで息を殺してこの場にいた。目の前で繰り広げられるやり取りに、ただただ手を握りしめることしかできない。
「彼女を、ルーベルト公爵家にいただきたい。」
「……!」
アルメリアの心臓が大きく跳ねる。
「もちろん、婚約者などではなく働いてもらうためです。」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
アルメリアの脳裏に、彼女を蔑むような両親の言葉が浮かんだ。でも、もしかしたら拒否してくれるかもしれない。いくらなんでも、娘をそんな形で差し出すなど——
「……わかりました。」
「!」
侯爵のその一言が、アルメリアの最後の希望を打ち砕いた。
「アルメリアを……使用人として公爵家に差し出す、ということで問題はございません。」
「お父様……」
思わず声をあげたが、侯爵はアルメリアを見ようともしない。
「この家の娘として、公爵家のために尽くすことができるのならば、それはむしろ名誉なことではないか。」
「そ、そうですわ。」
母もすぐに賛同する。
「アルメリア、これは貴女にとってもよい機会だわ」
(やっぱり、私のことはどうでもいいのね……)
アルメリアの視界が揺らぐ。心のどこかで、両親が彼女を見捨てることはないと信じていた。しかし、それは儚い夢だったのだ。
「お姉様……」
その時、セレナが涙を浮かべながら歩み寄ってきた。
「本当に……ごめんなさい。私が……、こんなことになってしまって……。」
セレナの目には涙が浮かんでいる。しかし、それを見てもアルメリアは何の感情も抱けなかった。
「でも、公爵家で働けるなんて、とても光栄なことよね?」
次の瞬間、セレナの顔には柔らかな笑顔が浮かんだ。
「お姉様なら、きっと立派に務められるわ。ね、お母様?」
「ええ、セレナの言う通りですわ。」
「アルメリア、お前も少しは感謝したらどうだ?」
アルメリアの心が、何かが完全に崩れ落ちる音を立てた。
(もう、私は……家族ではないのね。)
彼女の存在は、完全に切り捨てられた。
それでも、エヴラールの瞳だけが、そんなアルメリアを鋭く見つめていた——。
(このままでは終わらない……。終わらせてなるものか……。)
アルメリアは静かに唇を噛みしめた。
復讐の火が、彼女の胸の奥で静かに燃え上がっていた。




