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3-2

 そのまま歌穂を放っておいた。困って僕を利用したくなった時、泣いてみせる女だということはよく分かっていた。現に歌穂は時おり手の覆いの隙間から目を覗かせて、ちらり、ちらりと僕の様子をうかがってきていた。


「ぐっちょん? だいじょうぶか」


 そこへ背後からルイさんの声がした。振り向くと、ルイさんが不審げな顔をして廊下に立っていた。ルイさんは玄関口に歌穂が立っているのを見つけ、


「誰?」


と僕に聞いてきた。


 この新たな動きの中、歌穂がチャンスとみたか手の覆いを外した。その顔を確認したルイさんは、


「あれ、歌穂ちゃんじゃん! どうしたの? ぐっちょんまだ歌穂ちゃんと連絡取ってたん? 言えよなそういうことは」


久々の歌穂との再会にテンションを上げて言った。歌穂はルイさんに向かってマスカラで汚れた顔をほころばせて、


「お久しぶりですルイさん」


とにっこり笑った。


「どうしたの歌穂ちゃん、なんで泣いてんの? まあいいや、ぐっちょん、上がってもらえよ」


 ルイさんがそう言い出したので、僕は従わざるをえず彼女をひとまず家に上げることにした。


 歌穂は玄関にスーツケースを置くと、ウエストバッグだけ持って廊下に上がった。泣いてみせていたのはやはり嘘泣きだったらしく、「すごい、良いマンションじゃん! へえー」などとけろりとして上機嫌で廊下を渡った。


 リビングに入るとUちゃんとオーナーが先ほどの席にそのまま居て、それぞれ歌穂に挨拶した。歌穂はルイさん以外に客がいるとは思っていなかったらしく驚いたようだったが、そこは如才無く、


「こんばんはあ。宗眞の友達の(くつ)()です」


と妙に明るく自己紹介した。


 押入れから更にひとつ座布団を出して、ローテーブルの奥、いわゆるお誕生日席に置いた。そこにはルイさんがグラスを持って移動して座り、歌穂はソファのUちゃんの隣に座った。


 歌穂の様子ははじめからおかしかった。厚く化粧した肌はピンク色の赤みがところどころ差して、ピンクの部分と白い部分とでまだらになっていた。ソファに載った上半身がゆらゆら揺れている。元々細い眼を更に半開きに細めて、口角を少し上げてうれしげにしていた。


(飲んできたな。それも相当)


 僕はうんざりした。


「歌穂、なんでここの住所分かったの?」


 僕は警戒心から聞いてみた。歌穂は細い眼をカッと開いてこっちを見た。


「何? 来ちゃまずかった?」


「いや別にそういうわけじゃないけど。ただ長いこと連絡も取ってなかったのに」


「え? ずっとメールくれてたじゃん」


「そうだったん? ぐっちょん」


 ルイさんがうれしそうに歌穂のその言葉に反応したので、僕は慌てた。


「いや――ええ、そうです。でもほんとメールなんてたまに送ってただけで」


「そうなん?」


「はい」


 そこで歌穂がにやりと笑みを浮かべて、オーナーとUちゃんに視線を配り、


「皆さん、お気づきかも知れませんが私宗眞の元コレで」


と言って右手の小指を立てた。「ほーん」「へえー」二人から気の無い返事が起こった。僕はなんだかいたたまれなくなった。


「お二人は宗眞とどういったご関係です?」


 歌穂は止まらなかった。するとオーナーが、


「それはもちろん元コレで」


と言って右手親指を立ててみせた。Uちゃんも「元コレです」と言って右手小指を立てた。全然面白くなかったが、歌穂はけたたましい笑声をあげた。


「歌穂、そんな話はいいからなんで住所知っていたのか教えて」


 僕が言うと、歌穂はいかにもつまらなそうに、


「またその話? 相変わらず面白くもない。ああ宗眞、悪いけど煙草吸ってもいい? (と言って彼女はウエストバッグからメンソールの煙草の箱を取り出した)この灰皿使うね。(煙草を箱から一本取り出し、ライターで火を点けた。深く吸うと、顔をUちゃんのいる反対側に向けて煙を吐き出した)……だって住所、前に宗眞が教えてくれたじゃん」


「教えてないだろ」


「なに言ってんの? 覚えてないの? マンガ返すのにメールで住所教えてもらったよ。それで今、ここに住んでいるんだなって分かって」


「……ああ」


 分かってみれば確かに面白くもなんともない話だった。


「それで何? 今日は元カノと元カレを集めて乱交パーティー? ははは」


 彼女は相変わらず周囲が引くようなことを平気で言う。僕はそのペースには乗らないぞと決め、


「友達との、ただの飲み会だよ。……で? なんで今日来たの?」


「うれしくないの?」


「……」


「私は会いたかったよ」


 おおーっ、とルイさんが茶々を入れた。歌穂はそちらに笑顔を送り、また煙草を吸って、


「げほっ、げほっ。(と彼女は煙草の煙にむせた)もう、私宗眞以外に頼れる人いなくって……、ごめん! トイレどこ!?」


と鋭く叫んだ。


「え? トイレ?」


「気持ち悪い! 一気に、一気にきた! トイレ! 吐きそうっ」


 煙草を灰皿に押し付けてぎゅっと消し、唐突に立ち上がって部屋を見渡した。


「トイレ!」


 そのまま彼女は小走りに走って廊下につながるドアを開け、廊下に三つドアが(一つは寝室の、一つはトイレの、一つは風呂と洗面所のドアだ)あるのを確認し、さっと振り返った。


「どれ! トイレどれ!」


 僕は血相を変えて立ち上がり、歌穂に近づいて、


「流しでいいから、流しで!」


と声をかけて彼女をキッチンのシンクへ誘導した。

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