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2-3

 この時僕の住んでいた部屋のリビングにはささやかな二人掛けのソファとローテーブルのセットがあった。ローテーブルはガラスのテーブル板で、木の脚が付いていた。僕はそのローテーブルに買ってきた酒とUちゃん用のジュース、つまみを並べた。


 ソファは白の布張りで、流れでルイさんとUちゃんがそこに座った。僕とオーナーはローテーブルを挟んだ反対側、薄型テレビとの間の床に座布団を二つ並べて座った。


 オーナーが会話の口火を切った。彼は僕とルイさんの関係性を聞き、巧妙に相づちを打って僕とルイさんがどういう間柄なのかを僕たちに話させた。オーナーは話を弾ませるのがうまく、場は盛り上がりをみせていった。


 僕が右隣を見ると、オーナーはオリーブ色のチノパンに白のワイシャツをインさせて、あぐらをかいていた。腹がやや出ていた。中背で、短い髪は真白だった。顔は面長で、がっしりした顎を持ち、四角いフレームの眼鏡をかけていた。短く白い顎鬚を生やしていた。男らしい、かつ客商売をやっている人らしく清潔感のある風貌だった。関西に住んでいたことがあるのか中途半端な関西弁を使い、ルイさんと僕の話に的確に相づちを入れていく。


「ほーん。じゃあ宗眞くんが大学生だった時に? もともと空手をやっていて?」


 オーナーがルイさんに話の続きを聞く。


「そう、そうです。ぐっちょんが所属していた空手の流派の大会でどうしても優勝したくなったってことで、トレーニングの一環として僕の教えているキックボクシングのジムに入会してきて。まあ、その他にもちょっと、悪い薬にはまっているのを辞めたいっていう理由もあったんですけど」


 ルイさんが機嫌よく答える。その隣でUちゃんはかしこまってペットボトルのジュースをちびちび飲んでいた。


 ルイさんと僕は僕がキックボクシングのジムに入会し、そこで練習を積んで空手の大会で優勝した経緯を話した。空手道場に所属しながらキックボクシングを始めたのにはそれなりに事情があるのだが、別に面白い話でもないのでここでは述べない。


 それから話題は現役時代ルイさんの闘った試合の様々なエピソードに移り、次にオーナーの総計三百七人いるという男性遍歴の面白経験談に移った。最後にUちゃんがコピ・ルアクを売って枕営業した客の変わった性癖の二、三例を回想した。三人に比べて平凡な人生しか送っていない僕は感心してそれらの話を聞いていた。


「でもぐっちょんが空手の大会で優勝した時はうれしかったなあ」


 Uちゃんの、ここにはとても書けない下品な客の話が終わった後、すっかり酔ったルイさんがぼそっと呟いた。僕もその時のことを思い出し、懐かしくなった。


「どういう大会で優勝したんですか」


 Uちゃんが聞いた。


「空手の全日本選手権だよ!」


 案の定ルイさんがそう付け加えた。


「へえーっ、すごい! 知りませんでした」


 Uちゃんが感心してしまったので、僕は慌てた。このことになるといつもルイさんはそう極言してしまうのだ。


「違うよ。小さな流派の、流派内の大会だから。組手試合の成人男性の部の出場者が八人しかいないような」


「そうなんですか」


 Uちゃんがトーンダウンしたので、僕は少し傷ついた。ルイさんが反論した。


「でもその流派では一位だっただろ」


「まあ……その流派が主催している大会はあの大会しかないわけですからね」


「じゃあその流派の全日本チャンピオンじゃん」


「だからとても全日本なんて」


「いいんだよぐっちょん。ぐっちょんはすげえ苦労して努力して、あの大会でやっと優勝したんだから。ちょっとおおげさに自慢したっていいんだ。楽しかったなあ、銀座の朝山さんの店貸しきってみんなでお祝いしてなあ」


「そうっすね。僕のお祝いは、○○さん(当時そこそこ売れていた俳優)の復帰祝いのついででしたけどね」


 ルイさんはハッ、と笑い、


「そう言う風にこじらすなよ。いいじゃねえか、お祝いしたのが芸能人の復帰のついででも、小さなアマチュアの空手大会の優勝でも。もしかしたらあの時が、俺が生きてきた中で一番うれしかった時かも知れないな」


「そんな。おおげさですよ。プロの日本ランキング一位まで言った人が」


「いや、だってあんなに一生懸命練習してた練習生、ぐっちょんの他にいねーもん」


 おだてられているうちに、僕もだんだんうれしくなってきた。ルイさんはしばらく遠い目をしてしんみりしていたが、ふっと視点をオーナーとUちゃんに戻して、


「ああすみません、知らない話しちゃって。皆は何? 人生で一番うれしかった瞬間って。Uちゃんは?」


と話題をやや強引に転換させ、唐突にUちゃんに振った。Uちゃんは長いまつ毛を二、三度しばたたかせてから、


「中学二年生の時、先輩に告白されたこと……ですかね」


 ルイさんがおおーっ、とおおげさに歓声をあげた。Uちゃんは恥かしげに、


「それもその先輩、昔でいうファンクラブ? みたいな、後輩たちで作ったLINEのグループアカウントもあるようなカッコいい人で。剣道部だったんですけど。私もちょっと憧れてたんです。まともに話したこともなかったけど、私の見た目に惹かれたって言ってくれて」


「いいじゃん、それで付き合ったんだ」


「いえ」


「あれ? 違うの」


「私、男の人が好きなので」


「え?」


「私、小学校から一貫の女子校なので。さっきも言いましたけど」


「ああ、そういう……女の先輩だったの?」


「はい」


「そういうことなら」


 ここでオーナーが割り込んできた。


「ノンケでもバーテンダーをアルバイトでやれるレズビアンバーを紹介するから、二十歳過ぎて困っていたら私に連絡しなさい。君なら時給千五百円を保証します」


 これまでの会話の中で、マスターはUちゃんの身の上と、経済的に困っている事情を聞いていた。Uちゃんはうれしそうにはい、と答えながら、しかし「でも私、人と話すのが苦手で」と不安げにしていた。オーナーはそんなもんなんとでもなるから、とにかく困ったら連絡して来るようにと言い、UちゃんとLINEアカウントを交換してしまった。僕はこの話の流れでなぜレズビアンバーをUちゃんに紹介するのか理解できなかったが、黙っていた。


「オーナーはどんなことなんですか?」


 ルイさんがオーナーに聞いた。


「何がですか?」


「人生で一番うれしかったことって」


「ああ、その話? そうやなあ――」


 オーナーはサントリー角ウイスキーのロックをグラスの端からちびりと舐め、少し考えるようにしてから、


「やっぱり、一番好きだった元カレに『すべて捨ててうちにくれば』って言ってもらったことかなあ」


と答えた。ルイさんは鼻の頭をこすって、


「なんかそれ面白そうっすね。どういうことですか」


と言った。


「いや別に面白くは……うん、だいぶ前の時点から話してもいい?」


 オーナーはグラスの氷をカランと鳴らしてもうひとすすりして話しはじめた。

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