第一話 汚部屋探偵とスイートな事件
「相変わらずの汚さだな」
特殊清掃の事務所から依頼があった。それも常連客から。
「ふふう、寒川パイセンの人でなし」
「さりげなく俺を貶めるな」
探偵事務所を経営する有村ありすの部屋は汚い。筆舌しがたい散らかり加減と、軽快な口調とのギャップに眩暈がした。
「あとパイセンって呼ぶな」
俺たちは去年まで同じ大学で勉強していた。いつ袂を分かつことになったか。
振り返れば色々あるが、今の有村ありすに指摘しても意味はない。
「じゃあ寒川」
「やめてくれ」
大学を中退して探偵として活躍している彼女と、ほそぼそ特殊清掃のバイトを食いつないで学生をやっている自分とは天と地ほどの差がある。
「冗談ですよ、寒川パイセン」
少しぼさぼさな茶髪を隠すようにキャップを被り、ジャージ姿の彼女に魅力はない。
この残念さこそが有村ありすの長所であり、短所であった。
「それで今回の依頼は」
「いつもの掃除だよ、パイセン」
服は床に脱ぎっぱなし、冷蔵庫の中身はいつ入れたか分からないお惣菜でいっぱい。極めつけは整理したはずなのに、収納からあふれ出した生活用品。
「どうして何度掃除しても元通りになるんだ」
有村ありすのことは諦めていた。だが、やるせなさが残る。
「へへ、それが私の私たる所以ですから」
得意げな彼女をよそに、俺は洗濯機をガンガン回し、ごみを分別し、床を雑巾で磨く。完全なる家事代行業だ。特殊清掃のバイトに頼む仕事ではない。
「寒川パイセン、大変ですう」
心を無にして掃除すること数時間。無言の俺に対して、スマホを片手に有村ありすが報告してくる。
「何かあったか。お化けでも出たか」
「子ども扱いしないでくださいよお」
少しむっとした表情で言い返す。それが可愛いと思えた時代もあったが、今では完全に慣れてしまった。
「私の事務所のなりすましアカウントがあったんですう」
またしても探偵なのに犯罪に絡まれるのか。以前の下着泥棒の件を思い出す。
「被害にあうのが探偵ってどうなんだ」
「うう。またしても事件なんだよお」
そこには有村ありすの名を語るSNSのアイコンがあった。そして極めつけは裏垢女子のハッシュタグ。
「裏垢なんて私は作りません。正々堂々と嫌な時も健やかなる時も呟いています」
なぜ結婚の誓いの台詞のように宣言するんだ。俺はため息をつく。
「こういう時は警察にだな」
「私に被害の報告をしろというんですか」
またしてもごねる有村ありす。探偵のはずなのに警察が嫌いとはどういう心境なんだろう。
「警察はいやなんですう」
「じゃあ、どうやって解決するんだ」
もちろんとにっこりと微笑まれる。
「助手のワトソンくんがいるじゃないですかあ」
俺のことをじっと見つめる。可愛いが、全然嬉しくない。
「捜査だよ、寒川パイセン」
俺の腕を掴み、大学のキャンパスへと向かう。犯人探しもろくなことがない。
こうして有村ありすの事件は始まった。
容疑者その一~栗原姫乃の場合~
「ありすさん、久しぶりだけどどうしたの」
栗原姫乃は不思議そうに小首をかしげた。フリフリレースのいわゆる地雷系ファッションで、派手なメイクの目元が印象的だ。
「聞いてよ、姫乃ちゃん」
有村ありすは相談事の体で話を始める。
「有村探偵事務所は健全な探偵事務所で、裏垢なんてあったら評判はがた落ちだよお」
「それは困ったね」
一応心配そうな顔はしているが、どこかそっけない。一年ぶりに再会した元同期へはそこまで関心はないようだ。
「寒川パイセンは真面目なんだけど、頭固くて」
頼りにはならないとにっこり笑う有村ありすにイラっとする。俺を使って調べようとするなと言い返したい。
「姫乃ちゃんはSNSはやっているの」
「まあ、一応は」
本人は他人には知られたくないのか、アカウントまでは教えてくれなかった。
「そうだ、可愛いカフェがあるんだよお。お礼がてら一緒に行こうよ」
もちろん寒川パイセンの奢りでと付け足す。
俺はダシにされているのか。
「俺ってお金ないんだけど」
「バイト代の前借ということにしようかなあ」
有村ありすの部屋の掃除代は何故か栗原姫乃の謝礼に消えた。全く腑に落ちないが、仕方ない。これも捜査のためだ。
「寒川くん……」
俺が気の毒になったのか栗原姫乃はこちらをちらっと見る。もの言いたげな瞳で見上げられると少しだけドキッとする。
「ほらほら、行きますよお」
それに全く気が付かず有村ありすは俺たちを呼ぶ。
能天気な彼女の声に救われているのだから、俺も現金だ。
「いらっしゃいませ」
カフェに着くと、またしても大学の同期に遭遇する。
法学部のトップ、高林直樹だ。
「高林くん、ここでバイトしてたんだあ」
有村ありすはにこっと笑い、メニューを受け取る。彼の実家は裕福で、仕送りももらっていると聞く。おそらくお小遣い稼ぎなのだろう。
「有村さんも、久しぶり」
高林直樹はいつもの営業スマイルで淡々と返す。仕事中に邪魔をしてはいけないと反省し、俺はさっさと注文する。
「悪い、アイスコーヒー一杯、お願いします。栗原さんは? 」
「抹茶のケーキとアイスティー」
先に注文を終えた俺たちは待つだけだ。一方の有村ありすはうんうん唸ってメニューを何度か開いては閉じてを繰り返していた。
「うう。悩むなあ。美味しいケーキには温かい紅茶がいいんだけど、熱いし。ひんやりしたアイスティーは身体が冷えるし」
有村ありすは能天気な悩みを語る。面倒なので俺が注文する。
「ロイヤルミルクティーとイチゴババロアお願いします」
「うう、パイセンの人でなし」
「迷うくらいならさっさと頼む」
店のとってはただの迷惑にしかならない。
その押し問答を栗原姫乃は無言で見つめていた。
「ごめんごめん。待たせて」
「いいよ、寒川くん」
濃いめのメイクからはきつい印象があるが、おとなしそうな女性だ。栗原姫乃はほっそりとした体つきで、食事をまともに取っていないような気がした。
「わあ、ケーキおいしそう」
今いるカフェはバレンシアという小洒落た喫茶店だ。隠れ家的な店で、裏路地に入らないと見つからないからか、知る人ぞ知る名店なのだ。
パシャリとスマホのカメラ音がする。
栗原姫乃が画像をアップしている様子を一瞥して、俺はコーヒーを啜った。
「相変わらず、寒川くんって貧乏性だね」
ぽつりと彼女が呟く。俺は少しだけ戸惑った。
「まあ、金ないしな」
言い訳っぽく笑う。貧乏学生だからコンプレックスでもあるが、こればかりは仕方ない。
ないものはないのだ。
「でもそういうところが……」
栗原姫乃は思い切って口を開く。
その瞬間だった。
「うわあ、お水がっ」
有村ありすが盛大に水をこぼす。俺の服にかかって、全身びしょ濡れだ。
「こらっ」
「ごめんって。水も滴るいい男だよお」
そのあとはすったもんだして、栗原姫乃が話すことはなかった。
彼女のもの言いたげな顔が妙に心に残った。
容疑者その二~高林直樹の場合~
「さっきはごめんねえ、高林くん」
バイト帰りの高林直樹を捕まえたのは、俺に水をこぼした有村ありすだった。いつもの飄々とした様子で尋問を始める。
「法学部主席なのに、バイトに学業に、社会生活にお疲れ様」
「そうだね」
高林直樹は口元だけ笑って、何も言い返さない。
「高林くんもSNSやっているの」
「アカウントはあるけど、見る専門かな」
警戒しているのか、彼は必要最小限の情報しか出さなかった。
「実は、有村ありすこと、私の裏垢を見つけてしまって」
ここは相談なんだあと彼女は笑う。
「法学部なら対応法知っているかなって」
「知っていても教える義理はないよ」
にっこりと笑いながら断る。この男、手ごわい。
「そもそも裏垢って警察使わないと捕まらないことが多いし」
経験則では分かっている。だけど解決策はないのか。
「ちょっとえっちな画像とかアップされていて、問題なんですよお」
有村ありすと名乗る裏アカウントには女性の際どい画像がアップされていた。それを本人と断定するのは難しい。だが、このまま黙ってもいられない。
「大体、最近ではAI画像で生成もできるから犯人が女性とは限らないんじゃない」
その一言に有村ありすがニッと笑う。
「確かに、ありがとうございます。いい情報が手に入ったなあ」
法学部主席の頭脳を借りて、俺たちは一歩進んだ。そんな気がしていた。
帰り際、雨が降り始め、急ぎ足で帰宅する。
「今日は大変な一日だなあ」
有村ありすは上機嫌でスキップする。
幼稚園児かと突っ込みそうになるが、俺は黙っていた。
何がなにやらさっぱり理解できない。
容疑者その三~桜井梓の場合~
「それで何の用? 」
大学を中退した桜井梓はガールズバーで働いていた。アパートの下着泥棒の一件から親にばれて、勘当されたらしい。
「裏アカウントねえ。私には関係ないわ」
興味なさげに言い返されると俺も無言になる。
「指名してくれるなら話は別だけど」
にこりと営業スマイルを向けられるが、恨まれているのは明白だ。
「私、少しだけ反省したからアドバイスをあげる」
女の嫉妬は怖いわよと皮肉っぽく笑った。
「そこを何とかあ」
有村ありすがこっそり忍び寄り、手を合わせて頼み込む。
「ありすさん、敵が多そうだからね。男女問わず」
唯一得られた情報は、有村ありすが嫉妬されているということだけだった。
「恨みを持っているであろう、私を調べているのだろうけど、あんまり意味ないよ」
「今回は別件ですう」
有村ありすが子供っぽく拗ねる。
「高林直樹って人、ご存じですよねえ」
「それは大学の首席だからね」
何か問題でもと睨まれる。
「私が知っている話では、梓さん、彼と付き合ってましたよねえ」
「知らないわよ」
むっとした声で反論されて、逆に真実味を帯びてしまう。
「そうよ。元カレ」
もう別れたけどねと自嘲的に笑う。
「高林直樹のことは話したくないの」
それ以上多くは語らなかった。ただ彼女の寂しそうな声が忘れられない。
居場所を失った痛みのようなものを感じてしまったからだ。
「それで探偵ごっこは終わり? 」
何度も疑われるのは不本意だと言いたげだ。
「そうですねえ。犯人も特定できましたし」
有村ありすは自信気に語る。
「寒川パイセン、準備をお願いします」
これからがショータイムだ。
裏アカウントは誰のもの~犯人捜しは突然に~
「皆さん、お集り頂きありがとうございます」
有村ありすは淡々と話し始める。これから探偵が犯人をあぶりだすための会話劇のスタートだった。
「このアカウント、ご存じですよね」
スマホには有村ありすを語るアカウントと犯人が発信するデータが残っていた。
「栗原姫乃さん、高林直樹さん、桜井梓さん」
各々が思い思いの反応をする中、有村ありすは推理を始める。
「まずは昨今AIの発展が著しいですが、こちらの画像について調べました」
調査の結果、これは写真ではなく、生成された画像だということが分かった。
「このことから、犯人が女性と決めつけるわけにもいきませんよね」
それは高林直樹が言う通りだ。
だが犯人もそんなこと知られるのは承知の上だろう。
「ちなみに、私は皆さんと接触して、あえて印象的な出来事を起こしてました」
水をかけられたのも、追い返されたのも織り込みずみということか。
「それで拡散された呟きを探した結果」
バレンシアの店名で検索すると多くの発言が切り取られていた。
『水ぶっかけられた男の子可哀そう』
『イケメンの店員さんが声かけられている』
『これ修羅場? 』
その中で有村ありすが表示した画像は記憶にあるものだった。
『バレンシアで美味しいケーキ頂きました。季節のケーキが美味しくてまた来たいな』
抹茶のケーキとアイスティーの写真が映っている。おそらく栗原姫乃がとったものだ。
「そしてこのアカウントをさかのぼると」
有村ありすへの罵詈雑言が記されていた。
『好きな人があいつにとられた』
『有村ありすのばか』
『絶対ゆるさない』
ここで桜井梓の発言が蘇る。
女の嫉妬は怖い。
まさしくその通りだった。
「だから私になりすましていたんですね」
有村ありすは続ける。
「嫌いな人間への悪意で生きるほど苦しいことはありませんよ」
彼女は好きな男を奪われた怒りで衝動的になっていたのだろう。
だけどその行為を許すわけにはいかない。
「栗原さん、やっぱり人を傷つけることはよくないよ」
「なんで、寒川くんがいうの」
ひどく傷ついた顔をする。
「私、ずっと寒川くんが好きだった。なんでこんな適当な女にとられないといけないのって、やっぱり許せない」
俺は最悪なことをしてしまったようだ。
「俺を好きでいてくれたことは嬉しい。だけど、悪意を持って言葉に出してしまうと悲しい結果しか生まない」
だからもうやめてほしい。
人を傷つけようとすると、かえって自分が傷つくから。
「寒川くん……ごめんね」
ぽつりと謝る姿が小さな子供のようで痛々しかった。彼女なりに反省しているようだが、有村ありすに謝罪する気がないのが明白だ。
「俺に謝っても仕方ないよ」
「でも絶対謝りたくないの」
栗原姫乃はぐずぐず泣いていた。女としてのプライドが許さないのだろう。
「言ったでしょ、女の嫉妬は怖いって」
桜井梓はやれやれと肩をすくめる。彼女なりに思うところがあるようだ。
「知っていても認めてはいけないこともあるよ」
俺が語ったところで何が解決するわけではない。
有村ありすが被害に遭ったことも変えられない。
「俺もそろそろ帰るから」
容疑者の高林も興味なさげにその場を去る。
残されたのは泣き続ける栗林姫乃と、静かに見守る有村ありすと俺だけだ。
「本当は羨ましかったの」
栗林姫乃は呟く。
「私は可愛くないし、頭もよくないし、お金だってない。でもそんな私にも寒川くんはすごく優しかったから」
でもそれが向けられるのが自分だけでないと知り、嫉妬に苦しんだ。
「だから最初はちょっとだけ胸がすっとした」
悪口を書きこむだけでストレスのはけ口としていた。
だが歯止めがきかず、エスカレートしていった。
悪意はコンプレックスの裏返しだった。
「有村ありすって恵まれた人を見てたら、ちょっとだけならいいじゃないって思うようになって」
そして最後にはなりすましまでして貶めようとした。
「みんながみんな恵まれた人ばかりじゃないんだ」
それが分かっているけど、どうしようもない時がある。
だけどその刃を人に向けてはダメだ。
「なんだか、少しだけわかった気がする」
自分可愛さに勝手に恨んでいただけなんだねと顔を歪める。
「ごめんね」
幼い子供のように呟く姿に何も言えなかった。
それが彼女なりの償いのようだ。
俺たちは言葉を飲み込んで、静かにうなずいた。
納得できることばかりではないけど、それが人間の情というものなのかもしれない。
「寒川パイセン、大変ですう」
「今度はなんだ」
事件が終わってから数週間が経った。有村ありすはスマホを片手に焼き菓子の写真を見せてくる。
「このデパートがすごい! ランキングにおいしそうなケーキがあるんですう。寒川パイセン買ってください」
「こんな高いの無理だ」
中にダイヤモンドでも入っているのかと思ってしまうくらい高額だ。
「俺がアップルパイ作ってやるから、それで我慢してくれ」
「やったあ」
子供のように飛び跳ねる彼女が可愛くて頬が緩む。
「寒川パイセンがいれば、万事おーけーですねえ」
部屋もいつもの汚さが戻りつつあったが、まだ我慢できる。
相変わらず有村ありすは推理しかできない。
家事もできないし、部屋は汚い。
だけれど探偵がいなければ解決できないこともある。
俺はそんな彼女の右腕として働くのも悪くないと思い始めた。
この世界に悲しい事件がなくならないのならば。
少しでもその涙を止めてやりたい。
「雨、止みましたねえ」
空が笑いかけているようだった。