6 妖精の家
小川のほとりに来ると、シャアルはハンカチを広げてそっと敷いてくれた。グレイシスは丁寧にお礼を言い、ハンカチの上にそっと腰掛けると、その隣にシャアルも腰を下ろす。
水面がきらきらと輝き、せせらぎが耳に優しい。
しばらく二人は言葉を発しなかった。それでも不思議と心が落ち着き、居心地がよい。
遠くで鳥が鳴いたのが聞こえると、ようやくシャアルは口を開いた。
「王都にこんな素晴らしい場所があるなんて思わなかったな。ここは本当に素敵なところだね」
低くて優しい声がグレイシスの耳に届く。
「そういってもらえると嬉しいですわ。この国は小さいですけれど、素敵なところが沢山ありますのよ」
「そうなんだね。いろんな話を聞かせてほしいな」
「ええ。もちろんですわ。お茶でも飲みながらいかがでしょう」
グレイシスは、首にかけた鎖をするすると持ち上げ、胸元から鍵を取り出してみせた。
「ん? 何の鍵だい?」
ふふ、とグレイシスは笑いながら立ち上がり、ハンカチを綺麗に畳んだ。横から手が伸びてきて、グレイシスの手からハンカチが抜き取られる。
「あっ……」
悪戯っぽくシャアルがウインクする。
「いいんだよ、これくらい。気にしないで」
「綺麗にしてからお返ししようと思いましたのに……」
「いいからいいから」
グレイシスはお礼を言い、こっちよ、と手招きすると、小さな家の扉の鍵穴に鍵を差し入れた。
「ここは君の家なの?」
扉を開けて振り向きながら、グレイスは答える。
「ここは、わたくしの祖父が幼い父のために建てた家ですわ。兄たちは秘密基地だと言っていましたが、わたくしは“妖精の家”と呼んでいますの。どうぞ、お入りになって」
お邪魔します、とシャアルはグレイシスの後ろをついてくる。中には小さなテーブルと椅子が4脚、ソファに本棚、簡易キッチンまである。
「これはすごいね」
シャアルはきょろきょろと辺りを見渡す。
「素敵でしょ? お好きなところにお掛けになってくださいね」
グレイシスは棚からティーカップを取り出し、持ってきたバスケットからポットを出して、紅茶を注ぎはじめる。お皿にはシェフに焼いてもらったスコーンを乗せ、テーブルの上に置いた。
「どうぞ。召し上がってくださいませ」
紅茶の香りがふんわりと香ってくると、シャアルは、ほう、と息を吐いた。
「これはこれは。森の中でこんな本格的なお茶ができるとは思っていなかったな」
ふふ、とグレイシスは笑みをこぼし、シャアルの向かい側の椅子に腰を掛けた。
「よろしかったら、どうぞ」と、ジャムの瓶と香り豊かなバターをシャアルの方へ寄せる。
「ありがとう。いただくよ」
シャアルは紅茶を一口飲むと、スコーンを手に取り、二つに割った。
ジャムを塗って口に入れ、しばらく咀嚼する。
「うん。これは美味しいね」
グレイシスはぱあっと笑顔になる。
「そうなんですの。ここでいただくお菓子は、いつも以上に美味しく感じるんですのよ」
シャアルは優しく目を細めた。
しばらく二人は、王都の話題で盛り上がった。
なんでもシャアルは騎士団に籍を置いていて、しばらく前にこの王都の砦に赴任してきたのだとか。期限付きの任務らしいが、もうしばらくは王都にいるとのこと。
今日は休暇で、はじめてこの妖精の森に入り、たまたまここに辿り着いたそうだ。
気がついた時には、ずいぶんと時間が経っていたようだ。
「だいぶ長居をしてしまったね。申し訳ない」
と、シャアルは腰を浮かせた。
ティーカップと皿をさっと持ち、簡易キッチンへと運ぶのを見て、グレイシスが慌てて追いかける。
「大丈夫ですわ。わたくしがいたしますから」
「これくらいはやらせて欲しい。とても美味しいお茶だったからね」
グレイシスはおろおろとしていたが、シャアルは腕まくりをし、さっさと洗い物を済ませてしまった。
グレイシスはその逞しい腕を見ながら、また頬を染めた。
二人が外に出ると、だいぶ日が傾いていた。
まもなく夕方になるだろう。
シャアルが二頭の愛馬の手綱を引いて、グレイシスのそばまで連れてきた。
「送っていくよ。家はどの辺りなの?」
グレイシスはなんて答えようか迷った挙句、王都アメイジングスの街の中とだけ告げた。
ここから砦までと王都は方向が違うので、グレイシスは丁寧に見送りを辞退した。
シャアルは少しがっかりしたようにも見えたが、気を取り直して別れの挨拶をしてくれた。
「そうか。では気をつけてお帰り。決して寄り道をしてはいけないよ」
「シャアル様こそ、お気をつけて。楽しい時間をありがとうございました」
「こちらこそ、今日は素敵な時間をありがとう」
シャアルは少しだけ俯いたかと思うと、ぱっと顔を上げてこう言った。
「グレイス嬢、またここで会えるだろうか」
グレイシスの心臓はまた高鳴った。
「はい。もちろんですわ。わたくしはたまのお休みにここへ来ていますの。いつでもいらして下さいませ」
シャアルの顔がぱあっと明るくなった。
「ありがとう! グレイス嬢」
お互いの次の休みの日を確認しあい、シャアルはグレイシスがキャロルに跨るのをエスコートした。
「それではシャアル様。またお会いできるのを楽しみにしていますわ」
「ああ。私も楽しみにしている。気をつけて」
キャロルはゆっくりと歩き出した。
グレイシスの後ろ姿が見えなくなるまで見つめていたシャアルは、愛馬リュークを撫でた。
「この素敵な家を見つけた、お前のお手柄だ」
シャアルは破顔して、愛馬を撫で続けた。