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毎日感動日記 魔法少女まどかマギカ

 私がこの日記をつける理由はただ一つである。素晴らしい作品に出会い、そしてそれに対して感動した。そんな気持ちを新鮮なままに保存するための試みである。さて、今回の作品は魔法少女まどかマギカである。私はこの作品を中学生くらいの頃に一度だけ見た記憶があるのだがその時に抱いた感想は「なんでまどかは早く魔法少女にならねーんだよ、早く戦え」である。今思い返してみるとあまりにも浅はかな見方であり、なんというか恥ずかしい気持ちになってしまう。ちょうど今モンストとコラボしてるしどうせならもう一度見てみようと言う話だ。まあしかし、そんなどうでもいい話はほっておいていざ再びその世界に会いにゆこう。

 本作品は一般的にはダークファンタジー、もっとライトな言い方をすれば鬱系の作品にカテゴライズされるであろう。なぜなら本作品では主要人物の全員が死亡するか、絶望するか、死ぬより酷い目に遭わされるからである。なぜこのような凄惨な事態になってしまったのか、どうすればそれを回避することができたのか。拙いながらも少しだけ私の考えを述べさせていただきたい。

 まず第一に皆も薄々感じているかもしれないが、それぞれの登場人物が自らの最善を掲げて行動し、それが悉く最悪の結果をもたらしているという点を指摘することができるだろう。これに関しては明美ほむらが最もわかりやすくそれを体現している。彼女は作中において主人公鹿目まどかが魔法少女となることがないように、自らの持つ魔法によって時間を遡り何度でもそれを試みた。しかし、それはうまくいかないばかりか逆に無数の並行世界を構築し、さらにその因果が全てまどかのもとに集中することによって彼女の魔法少女としての資質をさらに増大させることとなってしまう。

 さらに美樹さやかもまた同様であると言えるだろう。彼女にとっての最善は幼馴染である天才バイオリニスト上条恭介の腕を治し、再びバイオリンが弾けるようにすること。そしてあわよくば彼と結ばれることである。しかしその願いを叶えた結果彼女は体と魂を分離され、まともなヒトとしては生きられなくなった。それにより彼と結ばれることは不可能となってしまうわけである。まあもっとも彼女はのちにもっと酷い目に遭うわけではあるが。

 さて、では鹿目まどかはどうだろう。彼女は、彼女だけは自らの望みを叶え、しかもその最悪の結果を回避することができたのである。彼女の望みは過去、現在、未来の全ての魔女を生まれる前に消し去ることである。これは抽象的には全ての魔法少女を呪いの因果から解放することである。この願いは宇宙の法則を書き換えることであり、その代償として彼女は宇宙をも滅ぼすほどの強大な魔女になるはずであった。これが現実のものとなっていればこれはまどかにとって最悪の結果になっていたのだろうが、実際はその魔女が生まれると同時に彼女の作った法則により消滅した。

 なぜ彼女だけがこの結末を回避することができたのであろうか。これは彼女がそういう法則を作っていたからといってしまえばすごく単純な話ではあるのだが、私はここに魔法少女まどかマギカの本質が現れているのではないかと思うのである。一言で言えば彼女は「間違えたからこそ最善を手に入れられた」のである。このような逆説が成り立つのはこの作品にある考え方の一つである希望と絶望のバランスは差し引きゼロというものである。これは佐倉杏子が述べたものであるが明美ほむらや美樹さやかはこれを正しく克服することができなかったのである。その一方で彼女だけはそれが克服できたのである。いや、克服というよりもそもそも先の二人はそれが正しく見えていなかったのである。希望を叶えることはそれと同等の絶望を発生させる。ここで重要なことはその絶望を一体どこに追いやるかなのである。彼女はその絶望を自らの身に全て受け止めることを選択した。ここが非常に重要な分かれ目なのである。彼女がいなくなれば悲しむ人がいるということを再三言われつつもなされたこの決断は、まさしく間違いそのものなのである。しかしこの間違いによって希望が絶望に帳消しにされることなくきちんと叶えられたのである。

 では二人はどうすれば希望、最善を達成できたのか。まずは暁美ほむらについて彼女の願いを叶えるのは非常に困難であり、現時点ではかなり強引な方法を取らざるを得ない。理由は二つある。一つはワルプルギスの夜、もう一つは鹿目まどかの人間性である。ワルプルギスの夜について、これは街一つを軽く消してしまうほどの大災害であり、アニメ中においては最強の魔女である。これは明美ほむら一人でどうにかなる相手ではないため鹿目まどかのように自らを犠牲にしてなんとかすることは不可能である。となればもっとたくさんのものを犠牲にすればいいのかもしれない。たとえば街の人間全てを見捨てて共に逃げ出せば可能となる。しかしここで鹿目まどかの人間性がその邪魔をするのである。彼女は人を見殺しになどしないから必ずワルプルギスの夜に立ち向かうはずである。よってその解決策は必然的に誘拐となる。ワルプルギスの夜のこない街にまどかを強引に連れて行きそこで魔法少女に関する一切の情報を遮断する。しかしこの場合、まどかの幸せを投げ捨てることになり、なんだか本末転倒な気がする。まどかが魔法少女になりそうな要因を退ける程度では生っちょろいのではないかと思うが実際のところ現実的にできるのはせいぜいこの程度のことだったのかもしれない。

 次に美樹さやかについて、彼女が捨てなければならなかったのは理想である。そもそも彼女が恭介と結ばれなくなってしまうのは彼女のあり方がヒトから魔法少女へ変わってしまったからではあるが、本質的にはさやかの思い込みである。魔法少女となり肉体が死んでいることを理由として、恭介を諦めてしまうのだが当の本人はおそらくそのことに気づいてすらいない。これは恭介と結ばれるのはヒトでなくてはならないという彼女自身の理想の問題である。とは言うものの彼女はのちに魔法少女としてのあり方を受け入れることになる。魔女を倒し続け、みんなを守り続けることを決めるのである。この決断は極めて消極的なものであるが、ヒトとしての人生を捨て魔法少女の役割に徹するという考え方に至れたことでまどかマギカの世界に順応することができたように思う。しかしそんな彼女には未だ捨てきれない僅かな理想があったのである。それは世界に対する理想である。自分が守る世界はきっと美しいはずなのだと言う理想は儚くも消え去り、その結果彼女は魔女へと姿を変えた。もし、彼女が己の理想を完全に捨て魔女を狩るだけの機械のようなものになれたのならきっとこうはならなかった。しかし、年頃の少女に果たしてそんなことが可能なのかどうかは甚だ疑問の残るところであるのは間違いない。

 まとめると、奇跡を叶えるためにはそれなりの犠牲が必要であり、それを払うためには最善とは言えない行動をとることも視野に入れなければならない。そうしなければ奇跡を帳消しにするほどの不幸が訪れるからである。重要なことはその己のしていることが間違っていると知った上でそれを受け入れることであるが、それは彼女らのような年端の行かない少女には困難を極めることであり普通は不可能なことである。奇跡は我々が思う以上に冷淡なものなのだ。

 これまで述べてきたように魔法少女まどかマギカの世界では、そう簡単には奇跡は起こせないし、それはむしろ最悪の結果に結びついてしまうのである。このような事態が発生する要因はさらに別のところにも存在するのではないかと私は考えた。それは「孤独」である。基本的に彼女らは一人でなんでも抱え込んでしまう節があるように思う。たとえば、鹿目まどかは全ての呪いをその身に引き受けることを選んだし、美樹さやかも色々と一人で考え込んでしまうところが見られる。明美ほむらなんかは言わずもがなである。もし彼女らが他人を頼ることができたのならあるいはもっと違う結末があったのかもしれないとつい考えてしまうのだ。

 さて、この孤独についてもう一つ言えることがある。それは話が進むほどに深まる孤独であるという点である。本作における孤独は二つに大別される。一つは先に述べた話が進むほどに深まる孤独であり、もう一つは元々孤独であると言うものであり。前者には鹿目まどか、美樹さやか、明美ほむらが該当し、後者には巴マミ、佐倉杏子が該当する。このようにグループ分けしてみると、ある共通点があるように思う。後者は最期に自らの理解者に出会えたと言うことである。マミにはまどかが、杏子にはさやかがいた。元々孤独であったものが最期に理解者を見つけ、そうでないものが孤独に落ちていく様は本当に皮肉が効いている。しかし、これは余談であった。

 話を元に戻すと前者の三名は当初はそれぞれ仲間がいたが話が進むごとにそれぞれがそれぞれの道を独自に歩むことになる。何度も時間をループするうちに他の魔法少女の説得を諦めて、一人きりで戦うようになるほむらや、思い詰めるにつれて気を病んでいき遂には親友であるまどかを拒絶したさやかはかなり印象的に映ったことであろう。まどかについても円環の理になる直前にほむらが残した悲しみは印象的であった。このように作品が進行するにつれてどんどん孤立を深めていった彼女らであるがこれにはおそらく作為的なものがあるように思われる。それは誰によるものか。虚淵=インキュベーター=玄である。まどかはワルプルギスの夜に唯一対抗できる力を持っていると言う時点であのような結末にならざるを得ないのではないかと言う気がするし、ほむらにしても自分一人だけで過去に戻ると言うのはその時点で孤独にならざるを得ないだろう。しかもこれに関しては抵抗すればするほど事態が悪化するというおまけ付きだ。あらかじめそうなるように仕組まれていたのだ。まあさやかに関しては相談できる人もそれなりにいたはずなので彼女の性格的な面が大きいように思うが、彼はきっとさやかが孤立するように脚本を書いたはずなのでこれは運命だったと思って割り切るしかないだろう。作中においてこのような脚本の構造の担い手となるのはきゅうべえことインキュベーターであるが彼女らが真に立ち向かうべきだったのはおそらくこいつなのだろう。そのような認識を全員で共有し、実行に移せればよかったのかもしれないが立ち向かうには敵が強大すぎるような気がする。

 と言うわけでこれまでの話を踏まえながらささやかなる抵抗を試みたい。具体的には本編のエンドを超える真のハッピーエンドの模索である。さて、本編の最後では鹿目まどかただ一人が犠牲となり、全ての魔法少女を呪いの因果から解き放った。このようなエンドを回避しまどかを救うためにはまず一つ見直さなければならないものがある。それは魔法少女というシステムそのものである。魔法少女は魔女を倒し、希望を皆に届けたのち、今度は魔女となって絶望を振りまくのである。まさしく希望と絶望のバランスはプラスマイナスゼロであるがここで重要なことはその全てを魔法少女自身に負わせているという点なのである。これはおそらく効率的にエントロピーを増大させるためインキュベーターがそうさせたものであろうが、今回はこの点を改善したい。すなわち全世界の人間に等しく呪いを振り撒いて仕舞えばいいのだ。魔法少女だけに孤独な戦いをさせるべきではないのだ。これは魔法少女システムそのものの否定することに他ならない。鹿目まどかは魔法少女を救うことを選んだが、実は魔法少女というシステムそのものを破壊してしまうのが最もハッピーなエンディングではなかろうか。こうすれば彼女は呪いをその身に受けることがなくその呪いは全世界の全人類が分かち合っていたことだろう。結局のところ魔法少女というシステムがなくなって仕舞えば誰も魔女を認識できなくなり、その呪いは災害や事故、自殺によって片付けられるだろう。私たちのいる世界と特に変わりはない。しかし、それが最もハッピーエンドに近いのである。インキュベーターとかいう外来生物がもたらした文明の利器は人類という種に最も邪悪で強大な呪いをもたらしたのである。

 


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