「起動」(6)
広い倉庫の中央部、ミコと仮面の怪人はおよそ十歩の距離をおいて対峙した。
仮面の眼前には空の複合弓が立てられ、逆の手は矢を放して開かれたままだ。しなやかな体にまとわれる暗色の装甲服を見るかぎりでは、男女の区別等はつかない。それに、その背中に背負われた長大な箱はなんだろう。まるで棺桶だ。
棺桶から、かすかに駆動音が鳴った。仮面の肩にあたる場所へ、箱は自動的に矢羽を手渡す。箱は機械式の矢筒だったのだ。多目的機動矢筒〝魔女の家〟……
ものいわぬ従業員をそっと床に寝かせると、ミコは鉄棒を片手に立ち上がった。
「参考人の心肺停止を確認しました」
ミコのガラス玉の瞳には、あいかわらず感情めいたものはない。あらゆる解析だけが濁流のごとく流れるその視界映像は、無線を介して多くの組織関係者に共有されている。ヒデトと砂目も例外ではない。
〈黒野。また新たに現れたようだな。ゲームに頭をやられた危険人物が〉
落ち着き払った砂目のつぶやきに、異議をはさんだのはヒデトだった。
〈ちがう、あいつは普通じゃねえ! 見ろ、あの仮面を! 気をつけろ!〉
ミコが警告する前に、仮面は早くも新たな矢を弓につがえている。機体各所の駆動部をぐっとたわめると、ミコは答えた。
「敵の武装は弓矢だけです。斬らずに生け捕りにします」
弾き飛ばされた矢は、きりきりと宙を舞った。
飛来した凶器を、人間をはるかに超える反射速度でミコの鉄棒が打ち払ったのだ。仮面も恐るべき素早さで次の矢を抜き放ったが、狙った先にミコの姿はすでにない。擬似呪力によってでたらめに人工筋肉を加速させ、ミコはコマ落としのごとく仮面の懐へ踏み込んでいる。
一閃した鉄棒を、仮面はうしろに転がってかわした。ぎりぎりで顔をかたむけたミコの頬をかすめて、放たれた矢は闇に消えている。頬がうっすら切れて火花をあげるのを知っても、ミコの反応は冷静だった。
「機体への損傷段階E。敵性反応の危険度判定を〝強〟に更新。〝闇の彷徨者〟の実行稟議が決裁されました」
振り下ろされたミコの鉄棒を、仮面は弓の本体で防いだ。
「矢による損傷からの異常警報を確認しました。その武器……」
鉄棒と弓で激しい鍔迫り合いを演じながら、ミコの言葉は険しさを強めた。仮面は弓に矢をつがえ終えているが、その照準はあさっての方向を向いてしまっている。
「その武器、ただの弓矢ではありませんね。機体の矢傷から呪力を検知しました。危険です。ですがこの距離なら、私の刀のほうが早い。鞘の鍵は解除されていますよ。降伏するなら今のうちです」
倉庫の扉を蹴り開け、拳銃をかまえた人影が乱入したのはそのときだった。
「動くな! 召喚士!」
「ヒデト! いけません!」
警鐘を叫びながら、ミコは見た。仮面がひきしぼった弓の中、矢の羽にあたる部分がわずかな動作音をたてて角度を変えるのを。
矢が射ち放たれるのと、ミコがヒデトへ跳ぶのは同時だった。
いったん天井へ向かった輝きは、計算した角度に調整された矢羽の空気抵抗をもって反転。不自然に大きなカーブを描き、矢はヒデトめがけて飛来した。
なまなましい響きとともに、ヒデトの顔に散ったのは赤黒い鮮血だ。
いや、正確には、着色された即応型衝撃吸収磁性流体だった。それはマタドールの機体におけるダメージ軽減、油圧動作など複数の役割をかねている。人間の血液が果たす仕事と大きな違いはない。
凍りついたヒデトの視線の先、偽物の血を流すのはミコの手だ。手は傷つくのもかまわず、ヒデトの額から紙一重のところで矢を受け止めている。
「逃げてください、ヒデト」
ミコの台詞を引き金にして、矢を中心に膨れ上がったのはまばゆい電光だった。
彼女のつかんだ矢には、高圧電流を発する仕掛けが施されていたらしい。それに、ミコが計上したこの電圧の波形。呪力の符号が混じっているのは間違いない。
誤作動の悲鳴をあげて、ミコは膝をついた。叫んだのは、放電の直前に突き飛ばされたヒデトだ。
「ミコ!」
「ち、近寄ってはいけません! ダメージレベル、Aオーバー? こ、こんなもので……」
逆流した疑似血液は、ミコの口から飛び散った。
ああ。さらにもう一本の矢が、ミコの腹を貫いているではないか。こんどはなにも起きない。いや、ミコの機内では起こっていた。視界にはおびただしい砂嵐が走り、てんで意味をなさない情報が花火大会のように高速で浮かんでは消える。アンドロイドらしくない苦しげなうめき声を、ミコはとぎれとぎれに発した。
「矢に、電子ウィルスが仕込まれています。それも、異世界の呪力が混じって……AIの数億か所に、エラーを検出。体が、動きません。逃げてください、ヒデト」
「逃がさない」
平然と告げたのは、あの仮面の弓使いだった。仮面そのものに声を変える機能がついているため、やはり正体はわからない。追い詰められた獲物ふたりを高みの見物とばかりに眺めながら、仮面は続けた。
「ぼくの興味は、その機械人形にはない。褪奈英人、きみにある」
「うるせえ!」
怒鳴るが早いか、ヒデトは拳銃を跳ね上げた。轟音。閃いた銃弾は、盾の代わりにかざされた長大な矢筒〝魔女の家〟の装甲に受け流されてあさっての方向へ消える。底知れぬ悪意のこもった口調は、仮面からはいずった。
「褪奈英人。きみの〝黒の手〟の力を知っているぞ。きみが思っている以上に、その呪力は素晴らしいものだ」
「だからどうした!?」
撃つ、撃つ、撃つ。盾のむこうで、仮面はやや辟易したようだった。
「説明には、しかるべき時間がいるな。いいだろう。これからきみたちを、ぼくの故郷へ招待する。きみたちが〝異世界〟と呼ぶ場所へ。そこなら邪魔も入らずゆっくり話せる」
軽い下手投げで、仮面は床になにかを転がした。
つごう五個あるそれは、ピンポン玉ほどのサイズの球体だ。奇妙な球体たちはヒデトとミコを取り囲んだ地点で、意思あるもののごとく正確に止まる。その配置が〝五芒星〟を描いていたことは、球体どうしが光と光で互いをつないだときにわかった。
「〝セレファイス〟へようこそ」
仮面のささやきとともに、倉庫は光に包まれた。
無機質な壁や天井は、おお。青い空と森林、そして広大な草原に塗り変えられていくではないか。その川のせせらぎや土のにおいは、動揺するヒデトの頭でもとても偽物とは思えなかった。
自然のそよ風に舞い散ったのは、色とりどりの不凋花だ。
これが、工場を襲ったという超常現象。これが、最新型のゲーム投影機。
急速に足もとまで迫る異世界を前に、つぶやいたのはミコだった。
「ヒデト。衝撃への準備をしてください」
「な、なんだって?」
「外に蹴り飛ばすからごめんなさい、って言ってるんです!」
ヒデトはぽかんとなった。
いま、あのミコが怒ったのか? 異世界の電子ウィルスの影響でおかしくなった?
気づいたときには、ヒデトは倉庫の扉をぶち破って外へ逃がされている。ゆいいつ動く片足に渾身の力をあつめ、ミコが蹴り出したのだ。転がって受け身をとったヒデトへ、最後に、ミコの横顔は血のにじむ唇で言い残した。
「……嫌いにならないで、ヒデト」
「ミコ! 行くな! おい!」
呪われた輝きは唐突に消え、あたりはふたたび闇におおわれた。
あわてて倉庫に舞い戻ったヒデトだが、もう遅い。
なにもかもいなくなっていた。ミコも仮面も、異世界の光景も。
さびしげに床に転がるのは、持ち主を失った〝闇の彷徨者〟だけだった。