「起動」(5)
ゼガ社の工場内、通路。
あっちでまた別の従業員を殴り倒した騎士と、こっちで剣を掲げる騎士は、なにごとか会話をかわした。
「あんまりいいアイテムでないね。あいかわらずドロップ率を絞ってきてる。もっと周回しないとだめかな?」
「あ、ドロップ率アップの効果があとちょっとで切れるよ。ボス行こ、ボス」
パニックに流されて、工場の人間はほとんどが避難してしまっている。つまり逃げ遅れもそれなりにいた。大柄な騎士に突き飛ばされて尻もちをついたままの彼も、また不運なひとりだ。
床を後じさりながら、作業帽の従業員はせいいっぱい恐怖を体現した。
「ひ……た、助けて……」
騎士の武装にやどる重厚な輝きからは、ひとめでその頑強さと切れ味がわかった。こんな危ない代物はもとから工場にはなかったし、そもそも目につくものを殺す勢いで襲う怪物などいるはずがない。いないはずだった。ここはいま、まさしく同社の考えた異世界に変わりつつある。
「じゃ、この雑魚を倒したらワープゲートに集合ね?」
あっさり告げた騎士の大剣は、獲物の人間めがけて振り下ろされた。
「待ちなさい」
霜の張った声とともに、天井が砕け散ったのはそのときだった。
破片をまとって落ちてきた人影の手は、勢いを殺さず唐竹割りに鉄棒の軌跡をひいている。強打されて前のめりに倒れた騎士の首筋を、形のいい脚が間髪入れずひと踏み。装甲と装甲のすき間を正確に突かれた怪物は、カエルみたいな断末魔をあげて動かなくなった。
女子高生のかっこうをした襲撃者を前に、つぶやいたのはもう一名の騎士だ。
「うわ、緊急クエストじゃん♪」
バトンのように軽々回転させた超重量の鉄棒を、ミコは手元へ引き戻した。逆の手で流れるように身分証を見せ、機械的に警告する。
「私は政府の捜査官です。いますぐ武器を捨てて投降しなさい」
「お、はじめて聞くセリフだ。強そう。仲間の蘇生アイテムは、倒したあとに投げるね」
騎士の口調には、驚きと喜びが混在していた。
先日の事例と同じく、やはり言葉は通じない。それどころか、巨大な騎士にはミコが現実と違うものに見えているようだ。
考える暇もなく、騎士はミコへ突撃した。下段に引っさげた大剣の切っ先が、床やロッカーをかすめて火花と金切り声をあげる。
「敵性反応の解析が済みました。その動き、人間の能力限界を超えています」
冷静に騎士の危険さを判定しながら、ミコはのけぞって刃をかわした。カウンター気味に放った鉄棒の先端が、騎士のみぞおちを叩く。衝撃にうなったていどで、しかし騎士が止まる気配はない。こんどは横薙ぎに打ち込まれる大剣に対し、ミコはささやいた。
「前回より耐久力も増しています。黒幕は、着実に戦闘経験を活かしていますね。では」
騎士の剣を食い止めた鉄棒を、ミコはすばやく傾けた。床に突き立てた鉄棒を軸に、空中で後転。下から上に放たれたミコの鋭い爪先は、騎士の顎を蹴って転倒させた。あおむけになった騎士の喉仏に、とどめの鉄棒を打ち落として悶絶させる。
「敵性反応の沈黙を確認。周囲の安全は確保されました」
腰を抜かしたままの従業員に、ミコは律動的な歩みで近寄った。
笑顔のひとつぐらい見せれば彼も緊張を解いたろうが、いまの状況にそれはいらないとミコのAIは無愛想に判断している。まだ混乱して逃げようと頑張っている彼に、ミコはしゃがみ込んで目線をあわせた。
「まもなく救急隊が到着します。歩けますか?」
従業員の目つきがいっとき曖昧になったのは、ミコの美しい声色と顔立ちのせいだったのかもしれない。身をかがめたスカートのまわりからは努めて視線をそらしつつ、彼は作業帽を正して答えた。
「あ、ああ……なんとか。しかし学生がなぜここに? 鎧の怪物とは違うようだが?」
「はい。特殊情報捜査執行局〝ファイア〟の捜査官です」
「ふぁ、ふぁいあ? 聞いたことがないな?」
「警察の委託機関です。肩をお貸しします。つかまって」
「ああ、悪いね……」
彼の言ったとおり、ミコの組織はほんとうに悪い。このあと彼は拷問に近い事細かな事情聴取を受け、見聞きした内容によっては〝記憶処置〟を施される。この工場で起こった異世界に関する記憶を、きれいさっぱり消されるのだ。つごうの悪い真実に部外者が近づくことを、組織はもっとも嫌う。
肩を借りて歩く相手の本性になど考えもおよばず、彼は親切な口調で教えた。
「そこの倉庫を通り抜ければ、いちばん早く外へ出られる。気をつけて。いつどこから奴らが現れるかわからない」
「奴ら……あの鎧の騎士のことですね。あれはなんでしょう?」
とおりがかった広い倉庫の暗がりで、ガラス玉の瞳だけが鋭さを増したことを従業員は知らない。騎士に突き飛ばされて生じた肩の痛みに耐えながら、首を横に振る。
「わからない。やつら突然、テストプレイヤーの働く部屋からあふれて暴れ始めた」
「テスト? ではさっきの騎士たちもやはり、ゲームのプレイヤーですね。ですが最近の事件に関係するゲーム機は、すでに製造を中止したはずでは?」
「もちろんだ。なので最近は、最新型のまったく別のシリーズの調整をしてた。こんどの機械は世界初だぞ。ピンポン玉サイズの投影機が、あたりの空間に直接、異世界の景色やモンスターを映し出すんだ……まあその開発にも当面、かかわり合いになりたくないが」
ミコの左手首の時計が放った着信音は、とても小さなものだった。肩を貸して歩く被害者に聞こえぬよう、顔をそむけて時計を口元に近づける。
「はい、黒野です。どうしました、ヒデト?」
〈ミコ、無事か!?〉
いつになくヒデトの声は焦っていた。全力疾走しているのか息も荒い。
ミコは小声で答えた。
「はい。現在、けが人の搬送中です。なにか問題が起こりましたか?」
〈〝闇の彷徨者〟を起動しろ! 刀剣衛星の射角もそこに合わせとけ! すぐにだ!〉
「無理です」
ミコは即答した。
「それらの武装を使うには、私への機体ダメージ等に応じた所定の稟議進達と組織の許可がいります。第一、現在の場所に敵の反応はありません」
先に殴られなければ、殴り返すことはできない。いまのミコには、この正当防衛の国ならではの安全装置が施されている。それでもヒデトは食い下がった。
〈敵はいるぞ! 〝召喚士〟だ!〉
〈ほう? あの全世界に指名手配中の凶悪犯罪者が、そこに? そんな史上最悪の超大物が、こんな些末な事件に関わっていると?〉
通話に割り込んだのは、課長の砂目の声だった。
〈褪奈。さっきから聞いていれば、いいかげんにしろ。そのような身勝手な世迷い言などで、組織の貴重な武装の使用許可をだすわけにはいかん〉
〈やばい、やばいんだ。さっきこの目でたしかに見た……召喚士の仮面をつけたやつを〉
〈強い復讐心のみせた幻覚、の線でかたがつく。夢と現実がないまぜになったきみの思想に、私のチームを巻き込むのはよしたまえ〉
〈俺が信用できねえってのか!?〉
上司の砂目もとうぜん、ヒデトのむごい過去のいきさつは知っている。それでもなお冷淡な舌使いで、砂目は切り返した。
〈きみはなぜ、黒野とそんなに離れた場所にいるのかね? 追跡装置を見るかぎり、いまの状況にふさわしい働きとはとても思えんな〉
〈そ、それは……〉
〈そこに突入する際の黒野との会話をふくめて、一部始終は筒抜けなんだぞ。きみ、危険な任務を相棒に丸投げしたな?〉
「砂目課長」
窮地に立たされた相棒へ、助け舟をだしたのはミコだった。
「指示どおり、ヒデトは後方支援と情報収集を担当していました。決して任務の放棄をしたわけでは……」
かすかな風鳴りと衝撃を、ミコのセンサーが感知したのはそのときだった。
振り向いたミコの視界がとらえたのは、さっきから肩を貸したままの作業帽の従業員だ。力なくうなだれたまま、彼はぴくりとも動かない。
ああ。彼の胸は、鋭い〝矢〟のようなもので深々と貫かれているではないか。
矢? 弓矢? 射たれた? いつ? いったいどこから? だれが? なぜ?
闇の奥、いままさに弓矢を放った姿でたたずむのは、まがまがしい仮面の人影だった。