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スウィートカース(Ⅳ):戦地直送・黒野美湖の異界斬断  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「保存」
39/54

「保存」(11)

 落ちる……


 寒い……


 死ぬ……


 どんどん遠ざかり、小さくなっていく飛行機を、ヒデトはうつろな瞳でながめた。


 縁もゆかりもない乗員乗客のために、なぜじぶんは死ぬまで戦ったのだろうか。


 耳もとでごうごう鳴る風は、いろんな記憶を浮かべては吹き消していく。


 組織の病室で目覚めたあの日。暗闇の中、じぶんはひとりだと気づいた。


 知っている。異世界から突然やってきたあいつが、あんなことをしたから。


 いや、ひとりではなかった。ベッドの横に人形がおいてある。保育園児のじぶんよりはるかに背が高くて、高校生の制服を着たきれいな人形だ。パイプイスにすわる人形は長い鉄棒を抱きかかえるように肩にもたれさせ、まばたきしないガラス玉の瞳でじっとヒデトを見据えている。


 好奇心が勝って、気づいたときにはヒデトは彼女の頬にそっと触れていた。


 なんと、人形の口が動いたではないか。発されたのは、エレベーターの中とかで聞く自動放送のような平板な声だった。


「まだ寝ていないといけません。褪奈くん」


「寝てばっかりじゃ、いけない」


「なぜです?」


「こう、お腹の底のところから頭のすみまで、トゲトゲして熱いものが行ったり来たりするんだ」


「典型的なPTSDですね。それも重度の。やはり、まだ休んでいないといけません」


「ねえ、教えて」


「はい、私に答えられることなら、なんでも」


「あいつの、あのお面をかぶった怪物の……殺し方を」


「いいえ、無理です。鍛錬で組織の捜査官になるには、少なくともあと十数年はかかります。召喚士の追跡は、組織に任せてください」


「しょうかんし……召喚士」


 細胞に刻み込むようにその単語を反すうしたあと、ヒデトはまたつぶやいた。


「召喚士。おぼえたよ、その名前。いっしょに、お姉さんのも教えて」


「はい。私の、なにを?」


「お姉さんの、名前」


「はい、わかりました。私はマタドールシステム・タイプS。この国で任務につく際に使う名前は……」


 そっと持ち上がった彼女のか細い手は、じぶんの頬に触れたヒデトの腕に触れ……


 ふたたび高度四千五百メートル上空。


 薄く目をあけると、ヒデトの腕を上からつかむ手があった。


 高速で落下しながら、ヒデトはおもいきり目を見張っている。


 凍死の一歩手前だったヒデトの周囲は、あいかわらず風は強いがなぜか暖かい。


 ヒデトはミコに抱きしめられている。その機体が全電力を動員して放つ熱と酸素が、ヒデトを生かしているのだ。ごく事務的に、ミコは報告した。


「ウィングは完全に破壊しました」


 ふたり仲良く頭を下にして落ちながら、ヒデトはうめいた。


「ミコ、おまえ……!」


「約束のデートスポットにしては、また場所が奇抜ですね」


「冗談言ってる場合か! ばかやろう! なんでこんなとこにいる!?」


「あなたと無理心中をはかるつもりはありません。助けるんですよ、ヒデトを」


「助ける!? できるのか!? おまえのブースターで!?」


「はい、計算では可能です」


「おまえ、なにか隠してるな。正直に言え。助かるのは、何人だ?」


「はい、ヒデトひとりです」


 雲をつらぬいて落ちながら、ヒデトは顔を強張らせた。


「おい、よせ。俺なんかのためにおまえが犠牲になる必要はねえ。おまえひとりでも助かって、召喚士を追うんだ」


「追いかけるのはあなた自身ですよ、ヒデト。覚えていますね? あなたがベッドで目覚め、はじめて私に質問したあの日のことを?」


 ミコのほほえみは、心なしか悲しげだった。


「デートのさいごには、残念ですがお別れがつきものです。そしてどちらかがどちらかを、安全な場所に送り届けて終わり」


 どんどん山が、森が、木が、雪に覆われた野原が眼下に近づいてくる。金属質の稼働音とともに全身のブースターを展開し、残った呪力と電力をすべて充填しながら、ミコはささやいた。


「衝撃への準備をお願いします、ヒデト。制動噴射まで残り五、四、三……」


「やめろォォォッッッ!!!」


 叫んだヒデトの眼前で、ミコは一秒間だけ、ブースターを全開にして地面へ逆噴射した。


 同時にヒデトの体を突き飛ばす。もう片方の手は、地面についたはいいが、そこを始点に落下の衝撃はじかに機体へ伝わり、ミコはばらばらになった。崩壊したミコの破片は雪原中に散らばり、電光と煙をあげる。


 一機の残骸とひとりは、すこし離れた場所で倒れたまま動かなかった。


 雪を宙へ飛ばし、先に身を起こしたのはヒデトだ。震える手で体をささえ、ヒデトは雪の上をミコめがけて這いずった。衣服はぼろぼろになり、雪には血の跡が残されている。


 脱臼して痛む肩をおさえながら、ヒデトはミコの横にうずくまった。


 正確には、もとミコだったものの横に、だ。落下の衝撃でミコは四肢が無残に欠け、金属の内部骨格をむき出しにしている。かろうじて彼女の痕跡を残すのは、ずたぼろになった制服だけだ。


 顔を血まみれにしながら、ヒデトは必死にその名を呼び続けた。


「ミコ、おいミコ! そりゃないぜ! こんなデートスポットは認めねえ! ずっと俺の護衛と監視をし続けるんじゃないのか!? ああ!?」


 そのときだった。


 ミコの頭部がかすかな稼働音を響かせ、なにかを押し出したではないか。


 小指の爪ぐらい小さくて薄いそれを、聖者に渡されたパンかなにかのように、ヒデトは慎重に両手で受け取った。


「これは……ミコの絶対領域」


 そう、この破片こそ、ミコの記憶そのものだった。極小の心と脳。通常では考えられないような高高度からの落下に、ミコの核だけはなんとか耐えたのだ。


 その奇跡を知り、ヒデトは疲れたように笑った。


「ほんっと、たいがいしつこい女だな、おまえも。わかったよ。連れてけってんだろ?」


 雪空の遠くむこう、さっきまで乗っていた旅客機はぶじ飛行を続けている。


 フィアが破壊され、ヒデトとミコまで失った召喚士が、あえて危険をおかしてあの機を墜落させる意味はもうどこにもない。きっと召喚士は、異世界のハイジャックに巻き込まれた乗客を装い、なにごともなかったかのように空港から降りて、そのまま街にまぎれるのだろう。すぐに追いついて飛び蹴りでもお見舞いしてやりたい気分だが、そうするにはいまのヒデトは満身創痍にすぎた。


 ミコの絶対領域を大事にふところへしまうと、ヒデトは大の字になって雪原に倒れた。


 薄れゆく意識の中、ふたたび中指を突き上げる。粒になった飛行機のほうへむけて。


「残念だったな。やっぱり死人はゼロのままだ。てめえのお人形いがいは、な」


 悪態とともにヒデトが吐いた白い息は、強い風に吹き飛ばされた。


 組織の送り込んだ救助用のヘリは、いままさに降下に移っている。

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