「保存」(3)
客席のひとつひとつに設置されたモニターに、あるものが流れていた。
ただそれは、着陸時の注意事項をうながす類のものではない。
すべての画面のむこうにたたずむのは、不吉な仮面の人影だ。
ヒデトは眉をひそめた。
「し、召喚士?」
他の乗客も、よくできた映像に食い入っている。新発売のゲームの宣伝かなにかだろうか?
変声された性別不明の声で、仮面の人物は告げた。
〈よく来た。冒険者よ。きみたちはこれからこの美しい世界〝セレファイス〟で魔王とそれの率いる魔物を討伐するのだ。依頼をクリアすればレベルは上がるし、ときにはきみだけの珍しい報酬を得られることもある……〉
召喚士の説明、そして独特のこの大きな呪力……
反射的に目をつむると、ヒデトは席を立って叫んだ。
「おまえら! 画面を見るな!」
警告するが、無駄だった。驚いて振り返った幾人かの乗客の視線の先、客席の後方にも大型のモニターがあるではないか。そこにも当然、召喚士は映っている。
このチュートリアルに一定の洗脳リズムがあることは、先日のゼガ社事件で明らかになっていた。おそるべきことに、血液でできた五芒星の魔法陣は、すべての客席の足元に描かれている。
すかさず、ヒデトはふところに手をいれた。
「間に合え! ちくしょう!」
ピンの外れる音に、こんどこそ人々の視線は集中した。
あれは、手榴弾? テロリスト?
次の瞬間、すさまじい音と光が客室を切り裂いた。
閃光発音筒……
身を折って目を覆う乗客たちをよそに、立ち上がった人影は五名だった。
五名はいずれも、召喚された中世風の鎧兜をまとい、手には巨大な剣や戦斧が握られている。
モニターのむこう、召喚士はやれやれと肩をすくめた。
〈騎士の召喚はこれだけに抑えたか。音と光の目くらましとは恐れ入った。昨今の空港の身体検査はどうなっているのかね? 褪奈くん?〉
顔を強張らせ、ヒデトは答えた。
「組織のとった旅券があれば、ミサイルにまたがったまま大統領と相席することだってできるのさ。こんどはこんな狭っ苦しい場所でなんのつもりだ、召喚士?」
〈ご覧のとおりだよ。人質は乗員乗客全員。救いたければ、おとなしく降参したまえ〉
「やなこった。いま俺のもってる武器の多さを聞いたらげんなりするぜ。すくなくともこの空飛ぶ棺桶から、パラシュートを背負って飛び出すぐらいの突破力はじゅうぶんある」
〈ここを高度何千メートルで、外がいまマイナス何度だと思っているんだい? パラシュートで着地するころには、きみが凍死しているのはほぼ確実だ〉
「ならいまから操縦士を武器でおどして、安全な高度まで飛行機を下げさせる。なんなら俺が操縦したっていいんだぜ?」
〈安全な高度に下がるまで、騎士たちが席に座っておとなしくアイマスクでもしていると思うかね?〉
「ほかの客の無事なんざ知ったことか。わかってんだろ。俺たちの会話は、この手首の時計から組織にぜんぶ筒抜けだ。じきに俺をキャッチするための飛行型のマタドールが大急ぎで飛んでくるぜ。ま、組織の性格からすりゃ、機密のために俺ごと飛行機を撃墜しかねないから、やっぱりさっさとオサラバするにかぎるな」
〈原因であるじぶんさえ消えれば、ぼくの行為も終わるという理論か。甘い甘い。たとえきみがここからいなくなっても、ぼくは騎士たちを止めないよ。彼らには変身しなかった乗客たちがすべて恐ろしい怪物に見えているし、機の操縦士はクエストのボスキャラに見えている。きみのイエスかノーかにかかっているんだよ、機内のすべての命は〉
「腐りきってやがるな、そのゲーム脳! 話になんねえ!」
ヒデトは吐き捨てた。
立ったままのヒデトからは、他の乗客のようすがよく見える。その中にはやはり、小さな子どもも混じっていた。ヒデト自身が両親を失ったころの年齢と、さほど違わないはずだ。
画面の中で、召喚士は嘲笑に仮面を揺らした。
〈マタドールを一機も同行させずに帰国とは、ちょっと安易だったね。あいかわらず極端な判断だよ。きみにじゃない、組織に言っているんだ。行きのあの守りの堅さを、帰りにもすこしは維持できていたらね?〉
「なんでだ? なんで俺ひとり欲しさにここまでする?」
〈Aカスタムの話は聞いただろう。ぼくにはきみの呪力〝黒の手〟がどうしても必要なんだ。ぼくの〝呼ぶ力〟ときみの〝戻す力〟……ぼくたちが手を組めば、いろいろと素晴らしいビジネスができる〉
「へどがでるぜ、この野郎。俺をヘッドハンティングしたいなら、まずそれに見合った大金でも用意しろって話だよ」
〈金も女も地位も名誉も、きみの興味を誘えないことはじゅうぶんに知っている。救いたいんだろう、多くの人々を? 復讐したいんだろう、人生を奪ったこのぼくに?〉
さっきの子どもは、となりの席のもと両親だった騎士と、テロリストと言い争うヒデトを交互に見て、そろそろ目に涙をため始めている。子どもと視線をあわせて、ヒデトは冷や汗混じりに小さく片目を閉じてみせた。
「ばれちまってるな……わかってる。ひとりも死なせはしないさ」
通路の真ん中へ進み出ると、ヒデトは片手を握りしめて引き金をひいた。
するどい金属音とともに右手の甲に開いたのは、特殊複合金属でできた伸縮式の板……ホームベースほどの大きさの護身用の盾だ。
「やっぱり空港から帰るぜ! ふつうに!」
身構えたヒデトへ、騎士たちは殺到した。
ため息をついたのは召喚士だ。
〈予想どおりのわからず屋だな。たったひとりですべての騎士を片付けるつもりか? そんなちっぽけな盾一枚でどうする? 剣はどうした? ぼくの世界の訓練校なら、準備不足で懲罰ものだぞ?〉
「罰を受けて懲りるのは、てめえのほうだ!」
真正面から振り入れられた大剣を、ヒデトは避けない。かわりに素早くかざしたのは、右手の盾だ。こんな薄い小さな盾では、たとえ刃を止めたとしても奥のヒデトは無事ではすまない。
引き金をひく音とともに、盾はまばゆい電光を放った。同時に、見えないハンマーに吹き飛ばされたかのように騎士の大剣はうしろへ弾かれる。追ってひるがえったのはヒデトの左の手のひらだ。隙だらけの騎士の兜に触れたヒデトの手に、閃光がほとばしった。
「〝黒の手〟!」
召喚された異世界の鎧は粒子と化して消え、中の乗客は気を失って倒れた。
まずひとり。モニター内の仮面の人物は、意外そうに小首をかしげている。
〈やるじゃないか。いまのは風……いや、地の呪力か。電磁力の応用だな?〉
わざわざヒデトは、組織の機密を答えない。
対召喚士用防衛・鎮圧システム〝白の手〟……ここまでの召喚士事件の戦闘データを活かし、組織が作り上げた対抗策だ。
「まだ試作段階って話だが、けっこう使えるじゃねえか」
つぶやいたヒデトの盾は振られ、呪力の稲妻を残す空の充電器が床を跳ねた。
休んでいる暇はない。こんどは二体の騎士が、左右から長槍と戦斧を振り下ろしたのだ。
〈さて、こんどはふたり同時だ。一枚の盾でどうする?〉
ヒデトの盾は、槍の穂先を受け止めた。
なんと、ヒデトの左手にもう一枚の盾が開いたではないか。それでもう一方の斧を受け流し……いや、斧も槍も、盾の前に固着したまま動かない。こんどは弾くのではなく、強電磁場の吸い寄せる力を使ったのだ。
ふたつの武器を支点にして宙返りしたヒデトの残像を、ぞっとするような風鳴りをあげて鋭い矢が貫いた。ここで左右の白の手の磁力を解除する。斧と槍の騎士の兜へ滑り落ちたヒデトの両手は、こんどは黒の手の輝きを放った。ふたりの騎士の鎧が消えるのを尻目に、ヒデトは天井を蹴っている。強弓に新たな矢をつがえようとする四体めの騎士へ、空中から肉薄。その兜をヒデトの手が鷲掴みにするや、黒の手の光芒は中身の乗客だけを残して鎧を異世界へ送り返した。
一回転して床に着地したヒデトを迎えたのは、召喚士の拍手だ。
〈のこり一騎……さすがだ。だがそろそろきみも、きついのではないのかね?〉
さいごの騎士へ向けて盾ごと両腕を構えるヒデトだが、疲労のせいでじつは全身が震えている。回る視界、頭痛に関節痛、きりきりと悲鳴をあげる内臓。鍛えているとはいえ強化人間でもない彼が、ほんの数秒間にじつに四度の奇跡めいた呪力を行使した影響は大きい。五度目があると考えただけでも気が遠くなる。
ファイティングポーズのまま、ヒデトは答えた。
「まあ、まちがいなく明日は病欠のパターンだな。だが、病室で点滴中に何度も思い返して笑ってやる……てめえの吠え面をな」
〈よろしい。だがつぎの騎士は別格だぞ。絶対に勝てん〉
通路をけたたましく闊歩してくる騎士は、なぜか素手だった。ナイフ一本持っていない。
「なめんなよ」
軽くフットワークを刻むと、ヒデトは前触れもなく駆け出した。
騎士の繰り出した右ストレートをやすやすとかわすと、ヒデトの手のひらは呪力の輝きを放ちながら敵の顔面に迫っている。
苦鳴とともに、ヒデトの動きはとまった。騎士の放った左フックに迎撃され、もの凄い勢いで床に叩きつけられる。
「くっそ……」
倒れたまま、ヒデトは自分の右手を見た。ひどい傷だ。おびただしい穴が空いて血まみれになっている。
見れば、騎士の鎧は、瞬間的に生えた無数のトゲに覆い尽くされていた。これでは触ることすらできない。
素早く転がって騎士から距離をおくと、ヒデトは左右の腰に手を入れた。ふたつ同時に騎士の足元まで滑走したのは、小型の電気地雷だ。瞬間的に炸裂した呪力入りの高圧電流が、鎧の内部を駆け巡って騎士を気絶させる……かと思いきや。
またたく電源を見せつけるように踏み潰し、騎士は前進した。目をむいたのはヒデトだ。
「うそだろ!?」
〈かんたんなことさ。鎧に絶縁素材を組み込んでみた〉
「そっちも対策済みってわけか……うッ!?」
とっさにヒデトが顔をかばっていなければ、頸動脈が斬り裂かれていただろう。
騎士が右手を振るなり、その袖口から現れたムチのような輝きが猛スピードで一閃したのだ。ヒデトの盾に弾かれたムチ状のそれは、左右の座席をバターのように斬り倒し、暴れながら騎士の手に戻っている。
ムチと思われたなにかは、無数の刃を鋼線で連結した一振りの長剣だった。
ふたたび刃は分裂して、のたくる蛇のようにヒデトへ襲いかかっている。触れさえできれば白の手と黒の手でなんとか……そんなヒデトの思考より早く、伸縮自在の刃はヒデトの胴体を斬り裂いて戻った。そのスピードは音速を超えており、とても人間の反射神経が追いきれるものではない。
黒の手、白の手、電撃、接近戦……すべて封じられた。たとえこの場に戦車があったところで、かまえて狙う暇もあったかどうかわからない。
おまけに、轟然とヒデトめがけて歩く騎士の左手から、もう一本の鞭剣が伸びて現れたではないか。音速が二本だと?
数えきれない画面の向こうで、同数の召喚士は笑った。
〈ゲームセットだ、褪奈くん。おとなしく降伏しなければ、もっと痛い目にあう〉
「もう遭い尽くしたさ、痛い目には」
ゆっくり身を起こしたヒデトは、血の混じったつばを横に吐き捨てた。降参のホールドアップのため、両手をあげる。その両手に引っかかっているものを見て、召喚士は嘆かわしげに首を振った。
手榴弾だ。それも、両手あわせてふたつある。
〈こんどはただの目くらまし、ではないね。そんなものを使ったあかつきには、機は一瞬で墜落だよ。つぎはなんの駆け引きだい?〉
召喚士を無視して、ヒデトの足もとに手榴弾のピンは落ちた。
〈よしたまえ〉
召喚士の制止を振り切って、ヒデトは走った。続けざまにヒデトの手足をえぐって掠めるのは、騎士の分裂剣だ。
おお。走るヒデトの両足に、新たに二枚の盾が展開されたではないか。騎士に最接近したときには、手榴弾の安全レバーは外れている。
大爆発……
もみくちゃになって後ろに転がったヒデトは、壁に激突してとまった。
まわりの乗客に被害はない。猛煙のむこうで地面を跳ねるのは、焼け焦げた白の手だ。
そう。爆発の瞬間、切り離したつごう四枚の盾で騎士と手榴弾を囲み、さらには電磁力のバリアをフル出力。手榴弾の破壊は、騎士の半径一メートル以内に正確に収まっている。
壁によりかかったまま、ヒデトは召喚士めがけて親指をおろした。
〈ゲームセットだぜ、くそやろう〉
倒れた騎士の鎧はさすがにひび割れだらけで、中身へのダメージは計り知れない。折れたトゲの合間をぬって慎重に騎士の兜に触れると、ヒデトは残った呪力を振り絞って黒の手を発動した。頑丈な装甲は、きらめく粒子と化して消え始める。
「生きててくれよ、頼むぜ。絶対に許さねえ、召喚士」
騎士の痕跡がすべて消え去ったあとに、倒れるのはひとりの女子高生だった。
こんな年端もいかない少女を道具扱いするとは、ますますもって許しがたい。
だが、眠る少女の顔を見て、ヒデトはふと目をしばたいた。
「この制服、美須賀大付属の、だよな? それにこの顔は、フィ……」
少女の瞳が開いたのは、次の瞬間だった。
とっさにかわすヒデトだが、もう遅い。とんでもない衝撃をみぞおちに浴びたヒデトは天井にまで跳ね、バウンドして床に叩きつけられた。
床で血を吐いて体を丸めるヒデトの頭上、たたずむ少女にダメージの気配はない。
「だいじょうぶですよぉ、褪奈さぁん。まだだ~れも亡くなってはいませぇん」
「おまえは……マタドールシステム・タイプF?」
苦悶するヒデトの誰何に、新たなタイプFはおっとりと微笑んだ。
「タイプF・Wカスタムと申しまぁす。ウィング、って呼んでくれていいですよぉ?」




