「保存」(1)
「ぼくはね、救いをもとめて現実へやってきたんだよ」
「あれれぇ? あちら側が故郷のご主人様からすればぁ、こっちが異世界ではぁ?」
「ぼくもときどき迷う。しかし、こちら側で仕事をやりやすくするためにも、区別はしっかりしておかねばならない。業腹だが、科学の発達したこちら側を〝現実〟、呪力の発達したあちら側を〝異世界〟と呼ぶようにしている。あくまで便宜上だ」
ある日突然、彼の召喚術は、誤ってふたつの存在を呼び出してしまった。剣と呪力が支配する中世世界〝セレファイス〟へ迷い込んだのは、二機のマタドールシステムだ。
先に召喚された一機は、メンテナンスの不足とバグによって暴走し、〝魔王〟を名乗ってセレファイスを崩壊の危機にさらした。
「追って召喚された二機めの〝戦乙女〟は、命をかけて魔王を撃破し、世界を救った」
「あらまぁ。ハッピーエンドじゃないですかぁ」
「いや、これはぼくの演じた独りよがりな人形劇さ。彼女はさいごまでぼくの行為を否定せず、世界へ警鐘を鳴らしたと評価してくれたが」
人々はその一連の戦いを〝光と闇の戦争〟と呼ぶ。
機体の中枢部を完全に破壊され、彼女はその活動を完全に停止した。そのときまだ少年にすぎなかった召喚士に、硝煙のにおう空薬莢と、悲しい恋の未練を残して。彼女のその忘れ形見は、ネックレスにしていまも肌身はなさず胸にしまっている。
魔王がぎりぎりまで作り上げていた〝異世界への門〟をくぐり、召喚士は現実へやってきた。マタドールの故郷であるこちら側なら、動かなくなった彼女をきっと元通りに直せる。
現実のとある研究所に転送された召喚士は、自分の考えの甘さをすぐに思い知らされることになった。
現実世界には〝ファイア〟と呼ばれる闇の組織があり、異世界からの侵入物をたえず監視・排除・捕獲していたのだ。
組織のやり方はけっして生易しくはなく、異世界の召喚士など格好の実験材料にしかすぎない。生かしたままあらゆる拷問・投薬等を行って未知の情報を得るか、さもなくば解剖してホルマリン漬けにしたあとの内臓に直接聞く。
そして最後に、これが召喚士にとっていちばん致命的な問題だった。
「ぼくが愛した彼女を修理する気など、組織にはさらさらなかったのさ。彼女はもうどこにもいない。ともにセレファイスの不凋花を見つめた彼女は、複数量産機のただの一機……つまりどこにでもいた」
組織は彼女を直すどころか、ただちに破壊した。
「えぇ? だいじょうぶだったんですかぁ、ご主人様はぁ?」
「大丈夫なはずがないだろう」
当然のように実験材料として生け捕りにされかけた召喚士は、つちかった異世界の呪力を全開にして必死に抵抗した。戦った。暴れた。逃げた。
「そのとき多くの命を奪った……気がする。記憶があいまいでな。ぼく自身死にもの狂いだったのと、あまりの絶望と混乱に、頭がどうにかなりかけていたのかもしれない」
奇妙な呪力をあやつる女と、まにあわせの武装をした男を「パパ」「ママ」と呼んでいたあの幼いのはいったいなんだったのだろう。たまたま職場を見学にきた子ども? のようにも見えたが、あの研究所にいたからにはまともな生き物ではない。刀の達人を模したマタドールがあれほど大切に守っていたからには、よほど貴重な実験材料だったのだろう。
〝この子には指一本触れさせません。私が相手です……召喚士〟
「大当たりでしたねぇ。そのちびっ子……褪奈英人くんはぁ、コードネーム〝黒の手〟として立派に成長しましたぁ」
「黒野美湖にいたっては、ぼくがもっとも追い求めるものを手に入れつつある。すなわち〝人間の感情〟を」
作っても作ってもあのときの〝フィア〟はうまく再現できなかった。
異世界でのフィアの喜怒哀楽も、あるいはただの感情に似せたプログラムに過ぎなかったのかもしれない。だが、それがどうした。それなら、思い出の中のフィア以上の彼女を作り上げるだけだ。
召喚士の目的と執念は、長い時間をかけて魔女の窯のように醸成されていた。
ひとつ、フィアの再生。
ふたつ、フィアのための感情の獲得。
みっつ、フィアを破壊した現実への復讐。
「はあぁ、ほんと波乱万丈な人生ですねぇ、ご主人様ぁ」
「付き合ってくれてありがとう。すこし気が晴れたよ」
昔話を終えた仮面の召喚士は、窓の外を横目にした。白い雪がちらつき始めている。
やや手狭な個室の中、テーブルを挟んで召喚士の向かいに座るのは、美須賀大付属の制服をまとった新たなフィアだ。
今回のフィアは、既存のそれとはひと味もふた味も違う。彼女はまだロールアウトしたてであり、これまでの外敵との戦闘経験、および最先端の科学の粋と濃密な呪力を注ぎ込んだ最新型だ。おまけに今回は、試験的にこれまでのどのフィアとも違う性格が設定されている。
「ご主人様のぉ、相談相手になれてぇ、あたしぃ、ほんとに光栄ですぅ。ほかにぃ、ほかにはぁ、お悩みごとはありませんかぁ?」
「その間延びした喋り方が、かすかな悩みの種だ。すまんがもうすこし早く、はきはきとしゃべれないかね?」
「あれぇ? おっとりさんの性格を選択したのはぁ、ご主人様ですよぉ? いまからでも性格の変更はできますけどぉ?」
「いや、いい。そのままで。またときどき心の拠りどころになってくれたまえ」
「しっかり伝わりましたよぉ、世界への憎しみぃ。ところでぇ、ところでぇ」
「もったいぶるな。仕事のスタート時間は迫っているぞ、フィア・Wカスタム」
Wカスタムと呼ばれた少女は、やはり周囲よりやや遅れた時間の流れで答えた。
「今回のお仕事が成功したらぁ、あたしもぉ、ご主人様の愛しい記憶になれますぅ?」
「成功したら、ではない。かならず成功する。今回の計画は完璧だ。彼にいっさい、逃げ場はない。頼んだぞ」
「わかりましたぁ」
その口調と同じようにふわりと席をあとにすると、Wカスタムはつぶやいた。
「質問の答えはぁ、帰ってからのお楽しみぃ、ですねぇ?」
「ああ」
少女の去った部屋に、ひらりと一枚、白い羽根のようなものが舞った。




