「検索」(9)
カーテンをおろされたその部屋は、ろくに明かりもなく暗かった。
闇の奥のほうに、そこだけ亡霊のように白く浮かび上がるものがある。奇妙な泣き笑いの表情の仮面……それを着用する〝召喚士〟自身は、頭頂からつま先まで暗色のローブをまとい、闇と一体化を続けていた。
イスに座ったまま、仮面の召喚士は指の中でなにかの金属片をもてあそんでいる。
ネックレス用のチェーンを通されたその金属片は、古びた空薬莢だった。
机を挟んで、召喚士の前に立った者がいる。フィアだ。
不審げな顔つきで、フィアは召喚士にたずねた。
「まだ大事に持ってたの、そんなもの?」
「そんなもの、とはなんだ」
「あたしの機関銃の空薬莢よね? ほしけりゃいくらでもあげるわよ、そんなもの」
「きみのものではない」
机を叩いて、フィアは声をはりあげた。
「はっきり言ったらどう!? この偽物、って!?」
あいかわらず感情は窺い知れないが、召喚士はたしかに薬莢で遊ぶのをやめた。
「めずらしい、きみがぼくに食ってかかるとは。なにかあったのかね?」
「なにかといえば、あなたに渡されたあの映像記録。あれはなに?」
「あらかじめ説明しただろう。黒野美湖の絶対領域にアクセスしたきみが、彼女の過去の行動記録そのものを書き換えるデータだ。改ざんがうまくいけば〝黒野美湖自身が〟〝褪奈英人を刺した〟という事実が彼女に植えつけられる。あとはそれを、組織が見つければ完了。きみが〝あちら側の世界〟でしでかした不始末は帳消しになる」
「つまりあたしが〝あっち〟で褪奈英人を刺したことは〝こっち〟で黒野美湖がやったことにすり替わるわけね。たしかに事前に聞いたとおりだわ」
「その様子だと、なにか不都合があったな?」
心底悔しげに、フィアはじぶんの手のひらを睨みつけた。警察署の取調室でミコと直接接続した端子は、黒焦げに焼けてすでに交換済みだ。フィアは問うた。
「なんで隠してたの? ミコの絶対領域に、あんな超膨大で複雑なプログラム……人間の心にそっくりのものがあるなんて。あたしを殺す気? 人間の心への直接接続は、マタドールにとっての禁忌。その情報量は、ほぼ確実に機械側を焼き切る」
「ほう?」
仮面の奥で、召喚士の顔つきが変わる空気があった。
「ぼくは隠してなどいない。しつこく言っている。異世界製の電子ウィルスへの感染によって、黒野美湖は人間の感情を芽生えさせつつあると」
「考えられない! なんども実験したでしょう! あのウィルスに感染したアンドロイドは、機能を停止して死ぬ! なにせあのウィルスの正体は、呪力で電子化した人間の感情なんだからね。それがなに? ウィルスが逆に機械を人間にするですって?」
「ウィルスはいいぞ。頭の中の搭載ブラウザに〝ウィルス進化論〟と打ち込んで検索してみたまえ。ウィルスに淘汰されなかった生物は、息絶えるどころか、むしろ試練をくぐり抜けた報酬のように突然変異を……つまり〝進化〟を与えられる」
「マタドールは生き物じゃない。金属に、電気と呪いと人の皮をかぶせただけの無機物よ」
「無機物もまた、歴史の中で成長と進化を重ねている。電子ウィルスも、もとをただせば正常なプログラムだ。人間の腫瘍ウィルス……がん細胞が、もとは健全な細胞であるのと同様にな。おっと失礼、新情報だ」
召喚士の指は、机のマウスを軽く叩いた。おぼろげに輝くモニターを眺めながら、フィアに告げる。
「フィア、ふたつ知らせだ」
「なに?」
「タイプP〝妖術師の牙〟の情報を盗み見た」
「悪いほうから聞こうかしら」
「フィア、きみが疑われている」
音をたてて、フィアの面持ちは凍りついた。
「なんでよ?」
「組織からきみに出頭の指示がかかるのは、もう間もなくだろう」
「たいしたことないわ。ろくな証拠はなにひとつ残ってない。そうよね?」
「ああ。きみがこちら側のタイプFと巧妙に入れ替わっていることはだれも知らない。黒野美湖の〝闇の彷徨者〟に残ったきみの戦闘記録は書き換え済み。召喚による転送前後の自動車処分場の痕跡も抹消してある」
「じゃあ、いいほうの知らせを聞きましょうか」
「じつはもっと悪い知らせだ」
召喚士はつぶやいた。
「褪奈英人の意識が戻った」




