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そうは言われても、簡単なことじゃあない。シェーンはベッドに腰掛け朝陽に背を向けたまま、レオスを見つめた。
暖かな光とは裏腹に、冷たく、静かな空気。
「今のこの城に、おまえみたいな庶民はいてはいけない」
軽蔑しているようにも取れる言い方と、睨むような目。返す言葉はない。どう返したらいいかわからない。ただ、視線だけは逸らさず、まっすぐと。
「なら、教えてほしいわ。今このお城で、なにが起こっているというの」
声が震える。かすれる。なにげなく顔を背けた彼の瞳のグリーンがきらりと光る。
唾を飲む。静かな沈黙。
「‥‥言えない」
彼は目を伏せた。それから小さく、じゃあ、と呟いて部屋を立ち去った。
「待って」
ベッドから落ちるように飛び跳ねて、彼を追う。
しかし、すぐに阻まれた。
「メリアン様」
昨夜の三人の侍従が、そこにいた。
「朝食のお時間です」
ずっといたのだろうか。レオスとの会話を聞いたのだろうか――じろりと見下ろす目は、あまりに無遠慮だ。
「マリアン様がお待ちです」
ドクンと、心臓が大きく脈を打つ。
マリアン。
見たことはあるけれど、名前は何度も聞いたけれど、顔を合わせるのは初めてだ。思わず拳を握る。
導かれるまま、食堂へ向かう。ギシギシと軋む木造の階段を下り、石の回廊を抜け。これでもかというほど、そこは遠かった。
食堂の入り口には二人の兵が立っていて、中にも十数名の騎士がいた。けれど、見ればわかる。ほとんどが王付きの騎士――王派の騎士だ。
なるほど、派閥とはこういうことか。レオスが笑った意味がよくわかる。
王派の騎士は今はいない主君の席を中心に各々の席に着いている。
堂内ではごく少数の、王子派の騎士たちはやはり王子を中心に席に着き、目の見えない王子を我こそと気遣った。
二つの派閥は完全に分かれ、混じろうとはしない。
それから王女派の騎士は、‥‥いるはずもない。唯一、多少知る者のあるだろう派がいないとわかると、必然的に気が滅入る。
いや、わかってはいたのだけど。主を亡くしたのだから。
侍従たちは入り口の兵に恭しく礼をし、無言でシェーンを促した。すると堂内の全員が一斉に、彼女に視線を向ける。
そのあとの反応は、誰の、どの行動をとっても、どこか重々しく冷たかった。息が詰まる。妙な圧迫感。突然静まり返った食堂は、もはや朝食の雰囲気でもない。
「誰か来たのか?」
その声は堂内によく響いた。
メリアンの声をもう少し低くした感じの、優しい声。落ち着いた響きは人を安心させる。
シェーンは初めて、彼――マリアンの声を聞いた。
誰もが彼に目を向ける。もちろん、シェーンも。けれど、やがてその視線は彼女自身に向けられた。みな息を呑んで、彼女の一言を待っている。
なにを言ったらいいだろう?
侍従が肩を叩いた。急かされても困る。
静かに細く、長く息を吐く。
「‥‥アタシ‥‥」
唇が震えている。耳が熱い。掌が汗ばむ。頭のてっぺんが、冷たい。
彼女は今一度、彼を見た。まっすぐに。頭から目にかけては包帯をぐるぐると巻き。まだ癒えきらない怪我のために正装ではなく、やや大きめの服を着ているだけで。
大きな手は不器用に皿を押さえ、右手にはナイフを縛り付けてある。あんなに似ていた双子のメリアンとは、まるで違っていた。
けれどその身が放つ高貴なまでの存在感は、なにも変わらない。
痺れを切らした侍従が強く肩を叩く。思わず振り払い、キッと睨みつける。ふらついた侍従が鳴らしたカツンというなんてことない足音が、無闇に響く。
マリアンはまっすぐに声の主に顔を向けている。見つめている。
声が出ない。
嘘をつくからだろうか。それとも、彼の姿を見たからだろうか。
握りなおした拳を腰まで引く。
――違う、恐れだ。怖いんだ。
「アタシよ、マリアン」
――偽者だとばれてしまったときが。
二十年以上もともに育ってきた兄妹だ。いくら似ているとはいえ、他人の声と聞き分けるなど難しくもあるまい。
王子に王女の死を伝えることが彼にとって苦痛と考えるなら、こんな小さくも哀しい嘘、真実が知れたときはどんな気持ちだろう。
けど、もう遅い。言葉はとうに彼に届いた。祈るような気持ちで目を閉じる。ひどく長い、三秒間。
「‥‥メリアン」
彼が答えた。
「メリアン、どこに行ってたんだ」
その声は嬉しそうに弾む。そっと目を開くと、微笑む彼の口許が見えた。
「城に戻ったら一番におまえと話がしたかったのに。さあ早く、ここに座ってくれ」
言いながら隣の席を示す。
周囲の騎士たちが慌てて席を空けた。侍従が促して、シェーンは王子の隣に立つ。
王子は座るように促したが、シェーンにはそこまでの勇気はなかった。それよりも王子を見つめていた。
近くで見れば見るほど、痛々しい傷跡。
幾重にも巻かれた包帯の下には、‥‥メリアンと同じ顔。
「メリアン?」
熱いなにかがこみ上げてきた。喉を焼くような、なにか。瞼を溶かすような――なにかが溢れて零れた。
「‥‥なにを泣いてるんだ」
優しい声。探るように伸びてくる手に、ポツポツと落ちる。
やがて彼女の頬に辿りついた掌はとても温かに、涙を拭った。
「ごめんなさい」
呟くほどに小さく。それでも彼は頷いた。その声を、聞き取ってくれた。
「アタシも、ずっとあなたと話をしたかった」