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そのころのマリアンはといえば不在がちで、シェーンは一度も顔を合わせたことがなかった。
それもそのはず、彼は戦争が始まってから、三度しかこの城に戻っていなかった。それすらほんの二、三日で再び戦場に戻ってしまう。出会えるはずもない。
だいたいが一国の王子の帰還だ。出迎えは豪勢になるし城内も大騒ぎで、シェーンのような町民が入れるわけもない。メリアンもわかっていたから無理に呼ぶなどということはしなかったし、たとえ呼ばれたとして話も満足にできないだろう。
‥‥今になって、それが好都合に働いているけれど。
「おまえの声は、メリアン様に似ているな」
一番最初にそう言ったのは、侍従のレオスだった。
あれは、マリアンが二度目に城を出た直後のことだ。ただ、いなくなったのがマリアンであると知っていたのは数人で、実の親であるゲスディン王すらも気付いてはいなかった。
その日もシェーンは城に呼ばれていた。
いつものようにメリアンの部屋に行く。顔を知られていたものの、逸れ者扱いされていた彼女の知り合いとなれば、城内をうろついても誰も声を掛けたりしなかった。だから、気付かなかった。
部屋は塔の最上階。遠くに海を臨む、城内で一番美しい景色を見渡せる場所だ。同時に一番、中心から離れた孤独な部屋でもある。
もう日の沈むころだった。いつもよりだいぶ遅い――ちょうど聖誕祭の次の日で、なにかと後片付けに追われていたのだ。
ドアを開けると、そこは赤い光で満たされていた。開け放たれた窓からはかすかに潮の香りを含んだ風が吹き込んでいる。
誰も、いない。
「メリアン様?」
声を掛けても、応えるものはいなかった。
――ちょっと出かけているだけだろう。
そう思って、彼女はそこで待つことにした。
暫くして、ドアを叩く音が響いた。なぜだか、ひどく焦っている。
「はい」
と答えて入ってきたのが、彼だった。息も切れ切れに、勢い良く開けたドアは大きな音を立てて壁にバウンドする。
そしてシェーンの顔を見て、愕然とする。
「なんでおまえがここにいる?」
突然で、理解できなかった。まるで泥棒みたいな言い方だ。
「メリアン様に呼ばれたからよ」
「じゃあメリアン様はどこにおいでだ?」
立て続けに質問するレオスに気圧されながら。
「知らないわ」
その答えに、彼は大きく溜息を吐いた。階段を駆け上がってきたのだろう、はたから見ても見てもわかるくらい、膝をガクガク震わせている。
「なにがあったの?」
「こっちが聞きたい。おまえはなんだって、主のいない部屋に入ったりするんだ? 紛らわしいったらない」
半分以上、八つ当たりだ。以前にも、来たらいなかった、ということはあった。そのときもこうして部屋で待っていたし、ほかにどこで待てというのか、かえって訊きたかった。
「メリアン様が、昨夜から戻られていない」
彼の口から出たのは、信じられない言葉。
――昨夜から?
しょっちゅう城を抜け出すメリアンも、一晩戻らないということはこれまでなかった。
というのも彼女には、常に父王の動きを把握しておきたいという考えがあった。たった一言で戦争を始めてしまえる権力の持ち主だ。自分がその実の子供なら、たとえ嫌われてはいても多少の抑止はできるだろう。
すべては、己の信念の下に。
そんな理由を聞いたことがあったから、シェーンは信じられなかった。事実、行方を眩ませたのはメリアンじゃない。
シェーンはすぐにそれを見破いた。
「後ろにいらっしゃるじゃない」
ようやく息の整い始めたレオスの後ろを、彼女は指し示した。
そこに立っていたのは、髪を短く切り、正装をしたメリアン――服はマリアンのものだ。
いや、服だけじゃない。まるでマリアンそのものになった、メリアンだった。
「メリアン様‥‥その格好は?」
驚いて尋ねる。メリアンは照れ臭そうに「似合う?」と笑った。
まったく、不思議だ。双子とはいえ、こんなに似せられるものだろうか。王子と王女。なのに身長も顔つきも、まるで同じで。
レオスは状況を理解できず、目がテンになっている。
「よくわかったわね、シェーン」
そう言われると少し嬉しい。けれどその格好にその口調は不釣合いだ。なんだかおかしくて、シェーンは思わず笑う。
それからメリアンはレオスに口止めを約束させた。
「城を出たのはマリアンのほうよ。でもこれは内緒――父上にばれたら、あのコ、この国に戻ってこれなくなるわ」
意味深なセリフ。その真意は教えてもらえなかった。
ただ、すぐ戻ってくるからその間だけ。その間は、こうやって会うこともできないけどね、と微笑んで。
言葉通り、王子は二日後には人知れず城に戻った。同時に、その間王子の代わりに軍を仕切っていたメリアンも、その務めから開放された。更に次の日には、マリアンは再び戦場へ出向いたのだった。
また、元の生活に戻ったかに思えた。いつも通りに城に呼ばれ、他愛もない世間話をして。けれど、なにか得体の知れない違和感がある。
そっと灯したろうそくに、ぼんやり赤く伸びる影。夕日はあっという間に海に消えた。
「また、戦のことを考えておられるのですか?」
そう尋ねると、彼女は間をおいて頷いた。そうね、と小さく呟いて。少し前までは雰囲気が違う。
嫌な予感がした。
「父上を、止めなくちゃいけない」
いつもより静かに。けれどいつもより深刻に、室内に響く。
静かに訪れる夜を窓辺で眺めるメリアンの背中に、シェーンは暇を告げた。
寂しげで、頑なな決意を秘めたその姿は、逞しくも儚くも見えて。
メリアンの最期の姿は、あまりに孤独で鮮明だった。