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 動揺したのはどちらも同じだ。けれど逸早く冷静さを取り戻せたのはトルディアスタ卿のほうだった。

 不敵な笑みでシェーンに歩み寄る。一歩一歩踏みしめるように近付いてくるその様は、彼女に恐怖を与えるのには十分すぎた。

「ああ、城下へお帰りかね」

「‥‥ええ」

 その声は嘲笑うかのように明快で、シェーンは言葉を失う。ただ頷いて、彼の言葉の続きを待った。

 いいや、待つほどもない。これまで幾多の戦場を生き抜いてきた卿だ、頭の回転はいくらも速い。

「ならばちょうどいい。あなたがいなくなったとて、誰も気にもしないだろう」

 ――意味は一つだ。

 シェーンが一歩、足を下げる。その瞬間に卿は彼女を突き倒した。

 乾いた悲鳴は音にもならず、その小さな体ごと木陰へと放り投げられた。

「どうせレオスから聞いてるのだろう、コレのことは」

 言いながら箱を指し示す。

 魔女の刃。それに違いあるまい。

「だが、まさか私だとは思わなかったろう? 我ながらうまくやったものだ」

 誇らしげに笑い、打ちつけた背中の痛みに顔を歪めるシェーンの右足を踏みつける。

 ――なんて醜い人。

 そう思わずにはいられなかった。

 その目には殺意が映る。シェーンが左足で蹴り抗うと、卿は更に強く彼女を踏んだ。思わず歯を食いしばり土を握る。

「小娘が。おとなしくしていれば、すぐに楽にしてやる」

 ゆっくりと腰を屈め、彼女の首もとに無骨な手を掛ける。

「――やっ‥‥!」

 声は一瞬、響いて消えた。両手で二周に届くか届かないかの細い白い肌が、徐々に強く締め付けてられていく。

 抵抗しようにも彼女の細すぎる腕でそれは払えず、腹の上の重荷は下半身の自由を奪う。

 呼吸の困難と血流の停滞から、意識は徐々に薄れていく。

 見えてはいても認識はできない視界に映るのは、ギラギラと醜くも輝く瞳。不快な笑み。

 それから遠くに――葉と葉の間から、窓。

 ――マリアン様。

 その窓から、誰が顔を出しているのが見えた。

 ――マリアン様。

 彼だと、シェーンは疑わなかった。塔の窓から覗く影、彼以外に誰がいよう。

「安心しろ、王女があちらでお待ちだ。王子もすぐに送ってやる」

 ――王子? 王子‥‥マリアン様?

 それは、だめ。朦朧とした意識の中、唇がかすかに囁く。しかしそんなことに、卿はもちろん、シェーン自身気付かない。

 ――ああ、私は死ぬんだ。

 ううん、そんなことはもはやどうでもいい。けれど、マリアン様だけは。

 ――マリアン様だけは。

 瞬間、その言葉が脳裏を埋めつくし、次にはなにもかも消えて――‥‥激しい衝撃音とともに、体が軽くなる。

 下半身を支配していた重みが消え、呼吸が楽になり咳き込む。

 一瞬宙を浮いた後頭部が地面に落ちて、シェーンは体を丸めた。

 ――なに?

 定まらない視界に誰が映る。すぐそば、彼女の頭の上にその人はいる。

 咳き込みながら息を整え、目を擦る。ふと見ると五歩先の大樹の根元にトルディアスタ公が倒れていた。見開いた目、大きく開けた口。衣服は赤く染まっている。

 ‥‥もう、息絶えているようだ。

「シェーン?」

 名を呼ばれハッとして目を向ける。

 手入れの行き届いた剣はわずかに血のりがついているものの、月影を美しく映す。

 防具は身につけておらず、まるきり部屋着のような格好で立つその人は、他の誰でもない――マリアン。

 ここにいる。返事をしたくとも声が出ず、手を伸ばし彼のマントを掴む。

 マリアンは屈みこみ彼女の頭を少し撫でたが、その異常を感じ取るとすぐに向き直った。

「誰だ。誰がそこにいる」

 先ほど自らがその剣で跳ね飛ばしたトルディアスタ卿に呼びかける。が、むろん返事はない。

 苛立って立ち上がり、乱暴に剣を左右に振りながら居場所を探る。その切っ先が卿に触れると、今一度その遺体に答えを求めた。

「裏切り者め!」

「マリアン様!」

 絞り出すようにしてようやく叫ぶ。マリアンは振り上げた剣を一瞬、止めた。

「卿は、もう亡くなってます」

「――‥‥っ」

 マリアンがなにかを叫んだ。言葉じゃない、なにかを。

 剣を一気に振り下ろす。その刃は土に落ち、カラカラと転がった。

 言うことをきかない体を両腕で引きずり、シェーンは彼の足元に寄る。上半身だけを起こしてそっと触れると、マリアンは崩れるように両膝をついた。

 恐る恐る、その背を抱く。温もりを確かめるように、頬を押し付ける。

「‥‥大丈夫か」

 マリアンが静かに問う。答える代わりに頷いた。

 遠くからキャロスの声がした。けれどどちらも、返事をしなかった。できなかった。

「私が殺めたのは誰だ」

 力ない声で彼が問う。

「トルディアスタ卿でございます」

 惑いはしない、はっきりと答えた。

 彼の背は震えていた。怒りにだろう。また、虚しさにだろう。

「彼はきみになにをした」

 淡々とした口調はやりきれない想いの表れ。

 シェーンは少し考えて答える。

「いいえ、なにも。ただ、あなた様や王様、この国すべての人を欺いておりました」

 やがてキャロスが、二人を見つける。同時に、卿の遺体も。

 キャロスは無言で卿に近付き、かたわらに落ちていた箱を調べた。それで、すべてを悟ったようだった。

「きみまで嘘をつかなくてもいい」

 ついに、声に涙が混じる。

「怖い思いをさせた――すまない。それから、」

 彼女の手に、そっと触れて。

「ありがとう」

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