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この国も所属するトオン大陸のすぐ南に位置する、比較的大きな島。一年を通して温暖で、一つの町と一つの村があるだけの、農業と酪農に栄えた土地。島の半分は緑に覆いつくされている。
他の国と交易こそあったものの、どこの国にも属せず。誰の支配も受けず。ほんの少しばかり言い伝えられた規則で守られる生活は、島民の大らかな性質をなくして、そう成しえるものではない。四百名余りの島民が暮らす、至って平和な島だった。
そこを領土に加えようと言い出したのは、この国――コモードの王、ゲスディン公だった。
支配者の性分というものか。広大な領土が偉大さの強さの象徴とするのなら、その島は格好の餌食だった。公はすぐにも使者を出し、支配下に入ることを島民に威圧した。
ところが時を同じくして、同じようにその島を支配しようとした国がある。隣国、ブリランテだ。
コモードよりほんの一週間遅れで使者を島に送ってきたが、その狙いはまったく同じだったといえる。それなのにこの〝時差〟は、ブリランテにいいように働いた。
いかに友好的な島民たちといえど、突然支配されろと言われてどうして頷けるだろうか。いかに交易があるとはいえ、さして不便もない現状を、どうして変える必要があるだろうか。
すると横暴な君主というものは、武力行使に出てしまう。
ブリランテがやってきたのはそんな最中のことで、彼らはただ島民を守ってやると言えばよかったのだ。そうして、コモードとブリランテによる、島を巡っての戦いが始まった。
ハオン島戦争。
以後七年続いた争いを島の名を取って、人々はそう呼ぶようになる。
「こんな戦争、すぐにでもやめるべきよ」
メリアンは常々、そう言っていた。
「父上のやり方には納得できない。まったく、マリアンの気が知れないわ」
シェーンにはただ苦笑いするしかできない。
「確かに、豊かで、それに美しい島だとも聞いてるわ。けど戦争までして手に入れたいかしら? 戦いで荒れた土地になど、なにも残りはしないでしょうに」
そうですね、と頷くと、彼女は不機嫌そうにした。
「あなたはどう思うの?シェーン」
「わたしは‥‥」
言いかけて、辞める。というより、なにを言ったらいいかわからない。
確かに戦争は早く終わってほしい。だけど城内でただ一人終戦を唱える彼女に、不安を覚えずにもいられなかった。王がメリアンをなんと言っているか。公になることはなくとも、ここでは誰もが知っていた。
平和主義者、といえばそうなのだろう。
いや、誰だって平和を願うものだ。ただ、王家でそれを正常に保っていたのが彼女だけだった。それだけの話かもしれない。
幾度となく父王に投降を懇願しては棄却され、シェーンに哀しげに訴える。慰めるほかになにができたろう?
柔らかくて長い緑の黒髪を、そっと撫でる。美意識の高いメリアンはいつも清潔にしていたけど、心労からか白髪も目立った。左腕にはいつも、黒いリボンをつけていた――白い、紋章の刺繍を施された。王家のものではない。それがなんなのか、尋ねることはできなかった。
二人が知り合ったのは今から五年ほど前だ。
もともと父王とは不仲であったメリアンは、気の合う数人の騎士たちと連れ立って城を抜け出すことが多かった。そんなとき、城下町で仕立て屋をしていたシェーンの店に立ち寄った。町民の目立たない服装を探すために。
お忍びということを考えれば要求される、口の堅さと信頼。それに応えた彼女の一家がメリアンに贔屓にされるのはごく当然で、年齢の近い二人が親しくなるのも不思議はない。
一年前からはドレスの新調という名目で城に呼ばれ、日が暮れるまで世間話をして盛り上がっていたことも何度かある。
内容はそのときどきで、仕立て屋というからにはドレスの柄やデザインの話だとか、普段豪華な料理を食べているメリアンは庶民的な料理の話に喜んだし、もちろん戦争の話もした。
それから、恋の話だとか――‥‥そんなときにメリアンがふと見せる泣きそうな表情に、胸が締め付けられた。
変な話だ。
確かに彼女は、城内でも浮いた存在だ。もちろんそんな彼女といつも一緒にいる騎士たちだって、あまり良くは思われていないのだろう。それでも王家の者。そんな彼女とこんなふうに、友達みたいに親しくできるだなんて。
時にはあまりの不釣合いに、シェーンは自分を疑ってしまうことがあった。すべてが夢なのではないか。騙されて、影で笑われているのではないか。
けれど、その深い黒の瞳はいつだってまっすぐで。
女性にしては低め――アルトというよりはテノールに近い彼女の声も、聞いていると心が落ち着いた。
この人は、決して嘘をつかない。
希望でも願望でもない確かな信頼を、メリアンには預けることができた。
戦争が始まって、すでに三年が経っていた。資金も戦力も底をつき、食糧不足に国民の誰もが厳しい生活を強いられる。
「ねぇ、シェーン。この戦争が終わったら、」
あの日メリアンが言ったこの言葉を、シェーンは今でも信じている。
「一緒に、ハオン島に行きましょう」