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 「どういうことだ!」

 マリアンの怒号が響く。冷静を失い髪を乱暴に掻くその姿は、まるで狂っていた。

 けれど誰も止めようとも慰めようともしない。周囲の者はただうつむき黙り込み、すすり泣く声も聞こえた。

 シェーンは呆然と立ち尽くした。頭は真っ白で、足がガクガクと震える。背中の真ん中からひやりと冷たいものが伝わって、気持ち悪くさえさせる。

 一人の従者を中心して、広間は妙な静けさで静まり返っていた。

「嘘だ、そんなはずはない」

 落ち着こうとする意思。反して足元は落ち着かず、決して暑くはない、むしろ涼しいくらいなのに彼は首筋に汗を伝わせる。

「本当でございます」

 従者は声を震わせて繰り返した。

「ゲスディン王が、亡くなられました」

 誰が喚いた。

 王派の騎士だ。先の戦いで重傷を負い、今回は城に残っていた。

 それをきっかけとして、次々と皆が泣き出し騒ぎ出す。中には怒りに任せ、敵を討とうと立ち上がる者までいた。

 マリアンは受け入れられず、椅子に腰掛け両腕で頭を抱えている。

「嘘だ」

 マリアンは繰り返す。傍らで見下ろしながら、シェーンは冷静になろうと努めた。

 王がなぜ倒れたか。敵国の王子と繋がりを持っているならばそれはたしかにおかしなことだが、実際起きたこと。国王は、戦死した。

 とにかく今は、この場をまとめなくてはならない。いきり立って城を出ようとする者、深い忠誠心から自らの命さえ絶とうとする者。止めなくては。

「落ち着きなさい」

 精一杯の声で叫ぶ。広すぎる室内に嘆きと怒声で掻き消されながら、彼女は何度も繰り返した。

「落ち着いて‥‥勝手な行動は慎みなさい」

 騎士たちはギッと彼女を睨みつけた。こんなときに、庶民がなにを偉そうに。そう思ったに違いあるまい。

 けれどなにも言わない。黙り込みうつむいたままのマリアンの右手が、彼女の左手を握っているのに気付いたからだ。

「重大な事態です。だからこそ足並みを乱してはなりません。まだ戦場にいる騎士たちが大勢いるのですから」

 そうだ。

 まだ、キャロスたちが戦場にいる。王の遺体とともに。戦っているに違いあるまい。もともとは話し合いだったはずだ。それなのに王が亡くなるのだ、相当な修羅場であることは容易に思いつく。

 今、彼らは必死に戦っているに違いあるまい。では城に残された者たちはなにをすればいい?

 ――国を守ること。

 シェーンはマリアンに向き直り、言った。

「城下の警備を固めるべきです。敵軍がこちらまで攻めてこないとも言い切れません」

 本当なら戦場にもっと兵を送りたいが、一方は主を失った軍だ。そこまで長引きはしまい。

 せめて王の遺体が戻るまで。この城を、城下を守らなくては。そう思ってのことだった。

 けれど返答は――‥‥

「わかっている!」

 マリアンの、あまりに乱暴な口ぶりにシェーンは後退した。繋いでいた手を振り払い、その一言は広間の隅々まで響き渡る。

 騎士たちがざわめく。

「‥‥すまない」

 一つ間をおいて呟くように言う。と、いよいよいい機会を得たとばかり、ある騎士が叫んだ。

「マリアン様、その者はメリアン様ではありません。メリアン様のフリをした偽者でございます」

 途端、怒りに任せて口々に騎士たちは続けた。

「この一年、そやつはずっと騙し続けてきたのです」

「敵国のスパイかも知れませぬ。マリアン様、そやつに厳罰を」

「私を惑わせないでくれ」

 首を振り、弱弱しく。騎士たちは口をつぐんだ。

「そんなことはとうに知っている。今、問題にすることか」

 今考えたいのはそんなことじゃあない、と続けて。呟くような、呻くようなその声に、皆が耳を澄ませて聞き入った。

「少し、一人にしてくれ」

 マリアンはそう言い残して広間をあとにした。シェーンが助けようとしたけれど、大丈夫と払って。

 ふらふらとした足取りに、マントが左右に振れる。いつもと変わらない大きな手が誰よりも弱く、力なく見えた。

 ――どうしてこうなるのだろう?

 おかしいに決まってる。マリアンだって、まさかもう父親が戻らないとは思っていなかったろう。ブリランテは王を殺さない。大事な取引相手なのだから。

 ‥‥それなのに。

 シェーンでさえ、頭の整理がつかない。今までに王を告発しようと考えに考えを巡らせてきたマリアンならば。その実、父親を信じて、愛してやまなかった彼ならば。

 その心を救うことは難しい。

 マリアンの言葉に戦意を喪失した騎士たちは、シェーンに対しても先ほどの怒りを見せることなく、ただ彼女に一つ礼をして広間を去っていった。彼らがなにを思ったのか、それはわからないけれど。

 その中で一人、彼女に歩み寄る者があった。先日、レオスの代わりに食事をマリアンに持ってきた侍従だ。

「少し、いいですか」

 彼の頬にもまた、涙の跡がある。

「あなたがたがなにを誤解されているかは存じません。けれど王は、いつだって優しく、慈しみの心で我々に接してくださったのです。まだ侍従という身分である、私にさえ」

 侍従は訴えた。

 彼の父親が亡くなったとき、王は涙を流したと。そしてその騎士が侍従の父親だと知っていたから、王は真っ先に彼に頭を下げ、礼を言ったのだという。

 命を尽くし、戦ったことに。

「メリアン様が亡くなられたときも、王はひどくお嘆きでした」

「え?」

 ――メリアン様のときも?

 シェーンは耳を疑った。まさか。

 メリアンが亡くなったと聞いても王は涙一つ流さなかった。当時から彼女はそう聞いていた。もちろんなんの確証もない噂ではあったけれど。

 思わず漏らした疑問符に、侍従は顔を上げた。

「噂のことは私も知っています。誰が言い出したのかはわかりません、でもそれは嘘です」

 ――なぜ、今更。

「‥‥もしかしたら」

 侍従がなにかを言いかけて、シェーンはその口許に注意を向ける。彼女だけではない、小さな声だったけれど、それは多くの者の視線を集めた。視線を足元に向け、言葉を続けようとして――‥‥

「おい」

 王派の騎士に遮られた。侍従はハッとして、そっと周囲に視線を泳がせる。それは不自然なことだけれど、シェーンにはそれ以上、尋ねることはできなかった。

「またいつか、ゆっくりお話したい」

 侍従たちを見送って、シェーンはただ一人、広間に残された。

 ‥‥嘘。

 誰が、なんのために?

 やがて思いつく。大きな思い違いをしているのでは、と。そうだ、大事なことを忘れている。

 なにもかも信じてはいなかっただろうか。マリアンの言葉を、キャロスの言葉を、レオスの言葉を。

 単なる噂から、勝手に王を冷酷な人だと思っていなかったろうか。

 真実を求めながら、最初に耳にしたことがすべてだと思っていなかっただろうか。

 王派の騎士たちは恐れでなく、真実、自分の意思でそこに身を置いている。もしそうならば‥‥いいや。

 ――わたしは聞いた。

 もはや仮定ではない。

 侍従のあの言葉だって――もしかしたら?



 マリアンの部屋を訪ねたが、中に入ることはおろか、ドアを叩く勇気も出なかった。

 けれどわかったのだろう。シェーンが立ち尽くしていると、マリアンがぽつりぽつりと話し始めた。まるで、独り言のように。

「これで終わるんだよ」

 シェーンは黙って、首を横に振る。

「これで戦が終わる。それでいいじゃないか」

 ――違う。

 そんな気がした。

 ――終わらない。王の死は、終戦ではない。

「次の戦も始まらない。コモードに、ようやく平和が訪れるんだ」

 努めて明るく話すその声は、やがて涙に濁る。掛ける言葉がなくて、彼女はドアを背に座り込んだ。

 ここで待とう。王子が求めたらすぐに応えられるように。

 ‥‥それは言い訳。

 今すぐにでも飛び込んで慰めたいけれど、そんな勇気が持てなくて。だから、ここで待とう。

 夜は静かに更けていった。



 報せから一週間して、王の亡骸は城に戻ってきた。

 一緒に城を出た数人の騎士たちと、敗戦の報せとともに。

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