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 魔女の刃。それをマリアンは、こう説明した。

「刃といっても、剣や槍などではない。ただ刃のように鋭く身を裂く、それも一度に多くの人間を相手にできる」

 火をつけるとその効果を発揮する。拳大の武器としては小さなもので、遠くへ投げることもできる。むしろ、それが主な使い方となるだろう。

 今はまだ数も少ないが、適当数を仕入れることができたら戦争も終わるだろう。

「ただし、また新しい戦争が始まる。今度はもっと悲惨なものになる」

 声のトーンをやや抑えて。マリアンは少し――泣きそうだった。

「わたしはもうやめにしたい。だから父上を摘発する」

 うつむき、ゆっくりと一言一言を続ける。キラキラと光を返す黒い髪が、彼の瞳に影をかける。シェーンはそっと歩み寄り、足元に膝をついてその手を優しく包んだ。

 細かに震え汗のにじむ手。

 父親を、信じては裏切られ。この手は、今どんな思いを抱いているのだろう。

「わたしをこの部屋に追いやったのもそうだ」

 マリアンは続ける。それは独り言のようだった。

「感づいたのだろう。だからご自分の部屋からなるだけ遠いところに置いた。でなければ今の私にこんな部屋、お与えになるものか!」

 ――苛立ち。

 こんなマリアンを見るのは初めてだ。ああ、いよいよみんな、来るところまで来た。来てしまった。

 シェーンはそう感じた。そして彼の手を、一層力強く握る。

 マリアンが今までに、光を失ったことの嘆きを口にしたことはなかった。常に前向きで現状を受け入れる、そういう力のある人だと思っていた。けれど、そうじゃあない。

 今の私――‥‥そうだ。シェーンも、ずっと前から疑問に思っていた。

「‥‥すまない。感情的になりすぎた」

 シェーンの手を優しく払い、目頭を押さえる。けれど涙は溢れ出て、ぽろぽろと腕を伝った。

「わたしは思うのです」

 少し、勇気を振り絞る。彼がするそれよりは、到底及ばない小さな勇気だけれど。

「一年前のあの時。王様があなた様の重傷をお怒りになられたのは、真実、子を想う親の心であったと」

 説明はできない。ただそんな気がした。そうだろうかと苦笑するマリアンに、シェーンは頷いて慰めるしかできない。

 自分の、なんと非力なことか。

 けれど、彼は。

「‥‥ありがとう」

 かすかに、微笑んだ。



 二人は夜までその部屋にいた。というのも、キャロスの報告を待たねばならなかったからだ。

 マリアンは実にじれったそうにしていた。自分で動けたらどんなにかいいだろう。幾度も呟いては、視線を風の吹き込むほうへと向けた。

 窓の外は青から朱へ、そして濃紺へと変わっていく。流れる雲の早さに雨の匂いを感じ、シェーンはレオスを思った。

 キャロスが戻ったのは随分遅くで、夕食も終わったころだった。レオスがいなくなったため、別の侍従が食事を持ち、下げる。いつものようにマリアンを助けるシェーンに、侍従はやはり怪訝そうな顔をした。

 知っている、この侍従は王派だ。なにかよからぬ話をしてるのではと疑ってるのだろう。

 残念ね、その話はもう終わったのよ。もちろん口にはしないけれど。

 訪れたキャロスの表情は浮かないものだったが、報せはシェーンにはよいものだった。レオスはついぞ捕まらなかった、つまりうまく国外へ出られたというものだった。

 それから計画を立てる。と、シェーンに目配せし外へ出そうとするキャロスに、マリアンが告げる。彼女のことは知っていた、今日からは話にも参加させたい、と。

 キャロスは驚いていた。そして、少し笑った。

「王子も人が悪い。なぜ私にも教えてくださらなかったのです」

「いやなに、大した理由じゃあない」

 そう言いつつ、そっとシェーンに耳打ちする。

「コイツは真面目すぎるんだ、一人相撲が面白くてな」

 だから反応が見たくて、きみに話せる日まで彼にも話さなかった。そう笑い飛ばしたけれど。

 そのあと、ふう、と吐いた溜息の寂しさが、妙に心に引っかかる。

 話し合いはすぐに終わった。もともとこのために動いていたのだ、今更新たに考えることもない。欲しかったのは確証だけだったから。もちろんシェーンにはすべてが初めて聞く話だったから、どちらかというと彼女への説明、といった要素が強かった。

 計画はこうだ。

 いかに派閥で分かれた城内とはいえ、王派の人間は半分以上が不本意にその立場にある。つまり、王を恐れるも抗う術のない者たちだ。

 王とはいえ、その権力以外になんの力も持ってはいない。下につく者がなければただの人間‥‥多少は地位のある者が抗うだろうが、王子派の騎士とて無力ではない。キャロスもいる。

「だからまずは数を味方につける。難しいことじゃあない、ただ慎重にはやらねば」

 キャロスは静かに頷いた。シェーンも、同じく。ただ少しだけ不安を感じた。

「明日には父上も出立なさるだろう、行動に移るのはそのあとだ」

「でも、マリアン様」

 思わず声を発する。

「戦には、王派の騎士も皆出てしまうのでは?」

 キャロスは少し戸惑っていた。正体のばれた彼女が、このように意見するとは思っていなかったのだろう。けれどマリアンのほうは至って冷静だった。

「大丈夫だ、シェーン。今度ラグリマへ向かうのは、話し合いのためだ。護衛程度の付き添いでいい。それから負傷のひどい者は置いていく、城には相当数の騎士が残るはずだ」

 その分、王子派の騎士が外へ出る。キャロスもその一人だ。彼は戦地で王派の騎士たちへ呼びかける。

「次に父上が城に戻るときが、彼の政権の最後だ」

 小声ではあるけれど力強く、マリアンは言い放った。

 それから、

「きみにもやってほしいことがある。聞いてもらえるかい?」

 むろん、二つ頷いて彼女は受けた。



 「なにが見える?」

 マリアンが問うた。

 キャロスはもういない。部屋には再び二人だけ、マリアンとシェーンだけが残った。雲で月の隠れた夜に、ろうそくの灯火を除けば明かりはない。

 けれどなぜだろう、シェーンは意図せずに言った。

「美しい夜ですわ。こんなに鮮やかな夜の藍を、わたしは見たことがありません」

 嘘だ。実際には灰色の空、色などない。城下にはぽつりぽつり小さな光が見えるけれど、それは町を回る自警の松明だ。

 しかし彼女には真実、そう見えた。心のもやが晴れたせいだろう。

 今まで囚われていたものから解放された。これからは堂々と、‥‥少なくとも王子の前では自分の名を名乗れる。疑いに立ち向かうことができる。

「シェーン、こっちへおいで」

 ベッドに腰掛けて、マリアンが手招きをする。一つ返事をしてそっと寄り、彼の足元に両膝をつく。マリアンは彼女の髪を優しく撫で、それからフッと抱き寄せた。体ごと、ぎゅうと抱きしめた。

 そうして、彼女は知る。

 その手は、腕は、体は。細かに震えていた。顔のすぐ横で小さく嗚咽を漏らす彼。

 ずっと、我慢していた。泣くことを、弱音を吐くことを。

 誰にも言えなかった――メリアンがいなくなってしまったから。仲間でなく部下でなく、唯一本当に弱いところを見せられる人がいなくなってしまったから。

 シェーンは優しく抱きしめる。その体、頭、髪。

 どちらもなにも言わない。風が吹くだけだった窓の外にしとしとと降り始めた雨を、彼らは知らない。

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