15
三十余年前にゲスディン公が政権を握ってからというもの、この国にとって戦争は常だった。
それまでトオン大陸は十数の小さな国が点在していたが、公はその野望のもと、瞬く間にそれらを支配した。
北の隣国エネルジコや、今や敵国であるブリランテとて当時はまだ今ほど大きくはなく、欲心的に動き出したコモードに対抗して小さな国々が主要国に服属し、身を守った。
公に双子が生まれたのは、ラグリマとの戦いが始まったころだった。そして、彼らに物心がつくころ、ラグリマも統治下に加わった。
ラグリマは、もともとは美しい土地だったという。国というほど広くはないが、緑の草原が広がり牧羊に栄えた。友好的なラグリマの王は隣国との繋がりも強く、ゲスティン公の侵略が始まると加勢は多くあった。それでもコモードに軍配が上がったのは、単純に老いていたラグリマ王が他界したためで、核を失った国々も芋蔓式にコモードの支配に落ちた。
戦に勝つということは、同時に富をもたらすということだ。
新たに領土となった国からは、食料やその国の財産。また、多くの兵を納めさせた。ラグリマからやってきた三百の兵の中には、サー・キャロスの父親もいた。
国は勝つたびに強くなっていった。それが幸せをもたらすか否かは、判断しかねる。
「お父様は、いつもご不在ね」
双子の母――コモードの女王の最期の言葉だ。
彼女こそ、先代の王の実の娘だった。しかし病弱で、双子を出産してからは国民の前にも出ることはなかった。そのために夫であるゲスティン公が代わりを務めていた。
双子は母が好きだった。けれど日に日に弱っていく母に会うことができるのは週に一度あるかないかで、会える日も一時間と一緒にはいられなかった。
双子が十になるころ、彼女は他界した。その日もゲスティン公は戦場に出ていて、看取ることはできず、死を知ったのさえ五日もあとだった。
双子は、父を責めたりはしなかった。戦場にいることが父の仕事だと思っていたし、母もそれを子らによく説いていたからだ。
ただ、母が最後に父を求めたことが、悔しくて仕方がなかった。
ゲスティン公が戻ったのは、女王の死の一週間後だった。彼は大いに悲しみ、初めて自分の子を抱いて泣いた。母を亡くした双子にはそれが、唯一の救いだった。
なぜならその愛情がどれほど薄っぺらいものだったか、彼らはまだ知らなかったから。
当時、王位継承権はマリアンのものだった。当然だ、公は女王の夫ではあるけれど、王家の血筋ではない。
とはいえまだ幼いマリアンに政の能などあるはずもなく、必然的に政権は公の手中に留まった。
‥‥それだけならよかった。
「もし父上が自ら王になるなどしなければ、今頃王位は私にあったろう」
マリアンが思い出すように言う。
「あとから知ったのだが、母の病は心労からきたものだったらしい。父上もそれをよく承知していた――父上はもともと、母上を愛してなどいなかったのだ」
眉間にしわを寄せる。
政権を得るために女王と結婚し、亡き後は王位に固執した。王子が成長したあとも政権を保持するためだ。そのために法の間を奔走し、反対する者を処罰していくさまは醜かった。
王となってからの政治も戦争ばかりで、ただ違うのは彼自身は城に留まるようになったこと。代わりにサー・トルディアスタが戦の指揮を執った。
「私たちも騎士に叙任されると、戦場へ行くよう命じられた。私は従った――けど、メリアンは拒んだ」
「待ってください」
すべてが初めて聞く話だ。いいや、多少は親から聞かされていたものもあるけれど、理解がついていけない。
「マリアン様‥‥〝たち〟、とは?」
「‥‥むろん、私とメリアンだ」
躊躇ったのはメリアンへの想いだろうか。
シェーンは困惑していた。マリアンもそれをわかっていたようだが、彼は続けた。
「私が従ったのは、父上の機嫌取りでも恐怖心でもない。ただ私はまだ、ここにいなくてはならない理由がある‥‥が、」
一つ息をつき、首を小さく横に振る。
「それについての詳しい話は、今はやめよう。まずはメリアンのことだ」
外が騒がしく感じたのは、たぶん室内があまりに静かすぎるせいだ。例えばマリアンが唾を飲む音も、シェーンの腰掛ける椅子が時折鳴らす軋みも、騒音のように聞こえた。
「一度は騎士になったメリアンだが、やがて自ら剣を捨てた。父上への抵抗でもあるし、単に城に留まりたかったのかもしれないな。アイツは昔から、どこか女っぽいところがあった」
言葉に覚える違和感は、決して気のせいではあるまい。今までも不思議を感じてなかったわけじゃない。むしろこのほうが自然で、納得がいく。
双子とはいえ、似すぎている兄と妹。いや、本当にそうなのだろうか?
マリアンが続けた言葉は、シェーンを悲しい気持ちにさせる。メリアンを見た最後の日を、彼女に思い出させる。
「父上はそれが気に食わなかったのだ。二人の不仲はそういうことだ――けど、」
――そう、か。
それだけの理由で、王女は王に愛されなかった。その命を絶たれても、泣いて貰うことさえできなかった。
実の子なのに。
「メリアンは、それでも父上を信じていたように思う」
〝父上を止めなくちゃいけない〟――シェーンの聞いた、王女の最期の言葉。
悲しそうな目。決意と覚悟を決めた顔。
藍色の窓――‥‥
「‥‥メリアン様は、王子様だったのですね」
鳥のさえずりはまるで平和を歌っているかに聞こえる。
「‥‥ああ」
気のせいでしかない。平和などこの国にはないのだ。
けれど、今まで心の奥深くで解くまいとしていた謎が、少しずつ解けていく。それはシェーンを優しい気持ちにさせた。張り詰めていた心が、一気に緩む。
「でも、決して冗談や悪戯であんな振る舞いをしていたわけではない。それだけはわかってやってほしい」
「もちろんです」
王への抵抗。ささやかな、そしてあまりに寂しい。
平和を愛した王女がついた、小さな嘘。
「そうだ、きみの名前を当てようか」
マリアンが静かに微笑む。
目頭が熱くなる。どうしてこんなに、この人は優しいのだろう?
嘘をつき続けていたわたしに、どうしてこの人はこんな顔を見せるのだろう?
「――シェーン」
頷いたところで、彼には伝わらない。伝わらないのよ、シェーン。
そう自分に説くけれど、声など出やしなかった。キュッと締め付けられる喉は、少し塩辛い。
「メリアンがよく、きみのことを話していたよ」