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 「――え?」

「‥‥きみの、本当の名前、を」

 繰り返した言葉は、不安げだった。

 マリアンは、まっすぐにシェーンのほうに顔を向けている。答えを待っていた。

 心臓が一つ、大きく脈を打つ。

 ――どうしよう。

 頭が真っ白になる。逃げ出したい気持ちで心が溢れる。

 おかしな話。このことを話そうと思っていたのに、相手の口から問われた途端に怖気づいた。

 一歩、後ろに下がる。けれどそれ以上は動けない。

 例えばこのまま、音もなくこの部屋を去ったとしても、彼にはそれがわからない。

 だから、逃げられなかった。

「‥‥やっぱり、知らなかったんだな」

 ない返事は否ではなく、肯定を意味していた。マリアンにはそれがわかったらしい。

 暫しの沈黙をおいてから、一つ溜息をついて話し出す。

「きみは、メリアンと会ったことがあるか?」

 不思議な質問だった。

 いいや、考えれば、シェーンをこの城に呼んだのは王の侍従だ。シェーンとメリアンの関係を、マリアンが知らなくてもなんら不思議はない。

 だいたい、メリアンの生前中は一度も顔を合わせたことのない二人だ。たとえマリアンが、メリアンに庶民の友人がいるということを知っていたとして、今この相手が当人だとはわかるまい。

 言うべきか、否か。いいや、答えなど一つしかない。

「‥‥少なくともわたしには、かけがえのない、無二の親友でした」

 親友などとは、あまりに無礼だろうか。言ってから戸惑い、別の言葉を探すけれどなにも浮かばない。

 マリアンは優しく微笑んで言った。

「そうか。なら、アイツにとってもそうだったろう」

 嬉しそうに見えたのは、気のせいだろうか。緊張が少しずつ解けていく。

 それからマリアンはもう一度、彼女に腰掛けるように促した。シェーンは少し考えてからそれに従った。

「メリアンはよほど、きみの不信を買うことを恐れたのだろうな」

「不信?」

「アイツはきみに、嘘をつき続けた。そうだろう?」

 なんのことだかわからない。わかるはずもない――突然そう言われても。

 ――メリアン様が嘘を?

 次の言葉が、その真意だろうか。そう思うと、自然と視線が彼の口許に注がれる。

 けれど彼は言葉を選んでいるようで、なかなか話し出そうとはしなかった。

「メリアン様が、わたしにどのような嘘をついてらしたというのです?」

 恐る恐る尋ねる。彼女の不信を買うような嘘。嘘をつかれたということよりも、それが恐ろしかった。

 問いに対して、マリアンは遠まわしに答えた。

「それは私が、きみがメリアンじゃないとわかった決定的な違いだ」

 脳裏に、つい先ほどの失態が甦る。

 王子の前で倒れた。それだけならいい。彼に支えらえれ抱かれて、彼のベッドを借りた。どんなに声が似ていようと、こんなに身長の違う二人を、メリアンの兄であるマリアンがわからないわけがないのだ。

 けれど、次の彼の言葉は、それを否定した。

「いつ話そうかと思っているうちに一年も経ってしまった。でもそれは、どうにも機会がなかったからだ。許してほしい」

 気づいたのは今日ではない。

 ――一年も前から?

「許すだなんて!」

 思わず声を張り上げる。

「お許しを請わねばならないのは、わたしのほうです」

 声は震えていたけれど、はっきりと主張した。マリアンは優しく、それから悲しげに微笑む。

「アイツが、きみを大事に思った理由がよくわかるよ」

 胸が締め付けられる。キュッと、喉が痛くなる。

「アイツは、嘘が嫌いだった‥‥バカなヤツだな、国中の人間に嘘をついたクセに」

 ははは、という乾いた笑い。フッと、窓へと視線を逸らした。

「‥‥いつから、ご存知だったのですか」

 自分でも知らぬ間に、正体を明かしていたということだろう。

 一年前。出会って間もなくだ。マリアンがそのころすでに知っていたなら、それはいつで、なぜなのか。知ったところでどうにかなるわけではないのだけど、時期次第では自分の行動すべてに恥を知る。

「なに、会ったその日にわかったさ――そう、朝食の時分、食堂にきみが現れて、そのあとわたしの部屋で話をした。食堂でも違和感を感じたけど、部屋で話したときが決定的だったな」

 懐かしそうに語るマリアンの口調は、ごく淡々としていた。

 あのとき。「見つかったか」と彼に問われ、彼女は侍従に指示されたとおり、「なにもなかった」と答えた。

「答えられなかったからそう思ったんじゃない。そうじゃないんだ、安心してくれ」

 慌ててマリアンが言う。彼女の心に一瞬走った不安を、一気に掻き消す。

「きみが悪いんじゃない」

 この人は本当に見えてないのかしら? そう思うくらい、彼は彼女の心を読み取ってくれる。

 それと同時に、この期に及んでなお、真実を話すことに戸惑っている自分に恥ずかしくなる。

「メリアンは、皆がいるときはあの声だが、私と二人だけのときは〝素〟が出るのだ。きみも聞いたら笑ってしまうだろう、その変わりぶりに」

 ごく単純な理由だろう? と付け加えて。

 ――わたしの知るメリアン様は、本当のメリアン様でなかったということだろうか?

 なんとなくショックを受けた。メリアンのことはだいたいなんでも知ってるつもりでいた。

「仕方なかったのさ」

 思う以上に、マリアンも焦っていた。彼には急ぐ必要のあるわけでなし、恐らく、シェーンのため。少しでもシェーンを不安にさせないように考えるけれど、なかなかうまい言葉が見つからないのだろう。

「父上とメリアンが不仲であったことは有名だから、きみも知っているだろう?」

 考えた末に切り出したのは、シェーンも気になっていたことだった。そう、城外ではともかく、ここでは誰もが知っている、むしろ心得ておかねばならないこと。

 いつだったか。そもそも派閥のできた理由を、レオスが話してくれたことがある。

 単純に、王を恐れ従う王派。対して王女派は悪政に挫けない、王女に賛同する勇気のある者たちが集まった。

 もちろん、この二派は対立している。王子派はその残りといおうか、中立的な立場にあり、いつのまにか位置づけられた。

 それそのもので、王と王女の不仲の図式。メリアンは非難していたけれど、否定はできなかった。

「だが、原因は誰も知るまい。そう、キャロスでさえ、な」

 深く息をつく。それから、静かに続けた。

 静かに風が吹く。暖かい昼下がりの日差しに、雲の陰がそっと落ちる。

「父上がメリアンを嫌ったのは、メリアンが剣を捨てたからだ」

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