12
「レオスが、わたしの声はメリアン様に似てる、と言ったのです」
そう言うと、メリアンは苦笑した。それからシェーンの髪を撫でて微笑んだ。
「それはとても残念ね」
眉間にしわを寄せて言う彼女に、シェーンは疑問符を浮かべる。
「どうしてですか?」
確かにこの声は嫌いだ。けれどメリアンに似てる、と言われたら少しだけ好きになれた。
メリアンの声はいつだって優しい。自分の声がこんなふうだというなら。大好きなメリアンとそっくりというなら、それほど嬉しいことはない。
メリアンからの答えはなかった。ただ曖昧に笑って、自分の喉を擦っていた。シェーンは問い詰めたい気持ちを抑えながら、上目遣いで彼女を見上げた。
いつのころの夢だろう。
そう――‥‥そう、メリアンがマリアンになった日だ。あの日、シェーンが帰る間際に話した。
いつもは城の出入り口まで見送ってくれるメリアンとも、その日は部屋で別れた。マリアンのフリをしている彼女と親しげにしていたら、誰もが不信感を抱くに決まっている。
彼女は言った。
「もし本当にアタシが男なら、あなたをお嫁さんにしたかったわ」
もちろん冗談なのだけど、シェーンの顔を染めるには十分すぎた。
綺麗な瞳。すらっと高い身長、黒くて艶のある髪。いや、美しさを列挙する必要はない。
メリアンにそんなことを言われたら、嬉しくて恥ずかしくて、どうにかなってしまう。そんな自分がおかしくて、思わず笑ってしまった。
「光栄ですわ、殿下」
悪戯ぽく笑うと、メリアンも笑った。
ただ眉間に寄せたしわは一層深くなっていて、シェーンはそのあとも気になって仕方がなかった。
だんだんと、意識が今に近付いてくる。妙な違和感と矛盾を感じつつ、正体が見えそうで見えない。
すぐ近くで誰が話をしている。
一人はマリアンだ。優しくも厳かな声は、内容が戦の話だと予想させる。しかし言葉の意味を理解するには思考が追いつかなくて、シェーンはまた記憶の違和感を追いかけた。
ここはどこだっけ?
柔らかいベッドには清潔なシーツ。窓からは白にも透明にも近い太陽の陽が差し込んでいる。そよそよと吹く風はいつもと変わらず、潮風をわずかに含む。
――そうだ、マリアン様のお部屋だ。
ようやく思い出したけれど、体は依然動こうとしない。思考だけがくるくると回り出して、彼女に催眠術でもかけているように思えた。
マリアンがベッドを貸してくれたのだ。彼は寝不足で気分の優れない彼女を敏感に感じ取った。
目が見えないのに、触れただけで。
その優しい温もりを思い出しては抱きしめる。
けれど、なにか大事なことを見落としている気がした。
――いけない!
「起きたか、メリアン」
どうしてわかったのか、マリアンが言った。
ゆっくりと体を起こし、返事をする。喉が妙に渇いていて、痛かった。
彼らのほうに目をやる。そこにいたのはマリアンと、キャロス。さっきの話だろう。
まだ自由の利かない体に鞭を叩いて、やっと起き上がる。
「ごめんなさいね、ベッド占領しちゃって。ありがとう」
「いや、いいさ」
フフ、と小さく笑う。
と、キャロスと目が合った。その、レオスとはまた違う深いグリーンの瞳が、無言に彼女を急かしている。
「‥‥部屋に戻るわ」
やっとそう言って、ふらふらと歩く。王子の部屋とはいえそんなに広くもないのに、ドアが遠くに思えた。
本当は、ここにいたい。
本当は話を聞きたい。自分だけなにも知らないなんて、もう嫌だ。邪魔者のように扱われるのも、こんなふうに居場所を探すのも嫌だった。
けど知ったところでなにもできない。できやしない。知るなと言われれば、従うしかないのだ。詮索はするな、と言われている。だからその願いが現実となるのもまた、彼女に不安を抱かせた。
「待て、メリアン」
マリアンが言った。
「行くな、残れ」
思わず立ち止まり、無言で彼を見つめた。キャロスも、同じく。
その声は低く、厳しい。
「ここにいろ、話を聞いていろ」
否定は許さない、許されないような口調に、シェーンもキャロスもなにも言えなかった。ただ二人は互いに目配せして、すぐに逸らした。
あまりに突然のことで、どう返事をしたらいいかわからない。
シェーンは内心――いや、誰がどう贔屓目に見ても焦っていた。確かに、話は聞きたい。それは彼女自身が願ったことだ。
しかし、それは同時に、嘘が暴かれるときでもあるのだ。
「‥‥お手洗いくらい、いいかしら」
声は自分でもわかるほど、震えていた。
それだけ言うとそそくさと退室した。なるべく静かにドアを閉め、足早に部屋を離れた。
どうしたらいいだろう。そんな言葉が脳裏を巡るけれど、もちろん答えなんてどこにもない。
やはりマズかった。王子の前で倒れるだなんて。騙していなければならなかった、気付かれてはいけなかったメリアンの実の兄に、大きなヒントを与えてしまった。
突然厳しくなったのは気付いたからだろうか。いや、疑問じゃない。それしか考えられない。
当たり前だ。シェーンとメリアンとでは、頭一つも身長が違うのだ。
――もう、ここにはいられない。
嘘がばれる。マリアンはわたしを裏切り者として、王派のスパイとして追い出すだろう。
嫌われる。いや、それどころの騒ぎじゃあるまい、この国すらも追われることになるかもしれない。
失敗したのだ、王の命令に。
とにかく自室に戻る。
というのも、少しでいいからレオスに話を聞きたかった。そうすれば多少はごまかせるかもしれない。けど彼はすでに、部屋にいなかった。
代わりに。
「どうされましたかな、〝メリアン様〟」
意地の悪い言葉は、不愉快にニヤつく口から放たれた。決して広いわけでもない部屋に、全部で五人。皆がみな嫌な笑みを浮かべている。
王派の侍従と――騎士も、いた。