第1話【油蕎麦】
不思議な体験だった。
出てきた油そば、初めに底を見た時は醤油色の液体が有った筈なのに、食べ進んでいる内に消えていき、最後には初めから其処に何も存在していなかったみたいに白い器の色しか存在していなかった。
味はカップ麺版の4乗くらい旨味の広がりと深さを感じた。分類的には醤油味なのだとは思うけれど、ラーメンや焼きそばとは全く別の種類の味わいを感じた。
ラーメンで近いのは豚骨醤油だろうか。しかし豚骨ほど臭みもクセも無い油の甘みが独自性として突出している。
焼きそばとは全く別物だ。醤油と油を混ぜればソース味になりそうなものだと関西人の私は思うのだが、これは全くソース味とは異なるベクトルの美味さだ。
最近の私は糖尿病になってしまった事もあってか、この油っこさはかなりキツかった。大分と腹を空かせる努力はしたが、それでも完食した時に久しく胃からくる重みで体幹が乱れる感覚を覚えてしまった程の「食い物酔い」を起こした。ティーンエイジャーの頃にこれを食えていれば……と悔しく、虚しく、悲しくなってしまった。
だが美味いものに罪は無いのだ。悪いのは歳を食ったら身体を崩してしまうような生き方をした私だ。
故にこそ包み隠さず言おう。
私は二度と珍々亭には行けない。
だが其処には若きラーメン通、つけ麺通達に新世界へのプロローグを垣間見せるモノが存在する。
さあ、油そばを知らぬ者達よ。この銀の扉の鍵は650円だ。
怯えるな、嘲るな、憤るな。
私はこれ以上先へ進めば肉体が腐り果ててしまうから、此処から君達の有様を傍観しようと思う。
後は任せたよ。