08 「相手は違うけど、その、たしなみ程度には?」
ハルキは一瞬、質問の意図を測りかねたように目をしばたかせた。ややあって、ああ、と合点がいったようにうなづいた。
「女神信奉者かって話? 普通に信じてはいるけど……他の奴らよりは、冷静に見れる方だと思うよ」
「どういう意味?」
「そうだな……」
ハルキは伏し目がちになって、口元に手を当てる。言葉を選んでいるように見えた。
「官吏には信奉者も過激派もいる。そうでなくても、毎月一喜一憂の激しい新成人たちを見てるしな」
そうか。ハルキは俺の予想以上に、女神の周りの奴らを見る機会があるのか。人がどんな風に女神を盲信して、どんな風に運命に絶望するのか、ずっと見てきたのかも。
俺は胸をなで下ろす。
「よかった、ハルキが熱心な信者じゃなくて! 俺、ほとんど女神なんて信じてねーもん」
「だろうな。女神に直接文句を言いに来るような奴が、信奉者なわけないからな」
初めて会った日のことを思い出したのか、ハルキが愉快そうにくくっと喉の奥で笑った。
俺は眉間にしわを寄せて言う。
「笑いごとじゃねえよ。価値観、特に女神信仰がどんなもんかってのは、友達間でも家族間でも大事な確認事項じゃん。あのツェルマとか超信者っぽいし。俺、あいつとは上手くやれるとは思えねーよ。あの人の奥さん、どんな人なんだろうね」
有能で神経質そうな横顔を思い出す。いかにも偉そうな奴だったし、心底女神信者くさいよな。あれの運命の人、絶対苦労するね。……いや、同じく女神信奉者なら、お似合いか。
ハルキは首を傾げて言った。
「いや、ツェルマ官長は別に女神信奉者じゃなかったと思うけど」
「マジで?」
「あの人、俺と同期だから、昔はもうちょい普通に話をする機会があったんだ。別に、特別女神を信奉しているような話は聞かなかったけどな」
「同期!?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「いや、確かにハルキの上司にしては若いなと思ってたけど……」
言いかけて、俺は気付いた。申し訳ないので、声をひそめる。
「おまえ、昇進遅れてんの? ごめんな、デリカシーのない言い方して。余計なお世話かもしれないけど」
「俺とアイセンとツェルマ官長は同期。ただ、官長はお家柄もいいし、最初からそういう『コース』で出仕してるから、俺やアイセンより上にいくのが早いんだよ」
「エリートってやつね」
家柄とかコネとか、金が払えるか払えないか、みたいなもので差がつくのは、どこの世界も一緒なんだろう。
ハルキは、氷が溶けて薄くなったジュースを口に含んだ。
「おまえはちょっとした犯罪者だから冷たくされてるけど、あれで結構面倒見もいいんだ。キレイな顔してるから、男女問わず取り巻きも多いし」
どことなく熱っぽく語るハルキをじっと眺めて、俺は尋ねた。
「官長と寝た?」
「ぶっ!」
ストローを逆流したハルキのジュースが、ごぼりと泡立つ。散ったジュースを避けつつ、俺は文句を言った。
「きたねーな!」
「おまえが変なこと言うからだろうが!」
別に変なことじゃなくね? 真っ当な疑問だと思うけど。
俺は机の上を備え付けのナプキンで吹いているハルキに、言葉を返す。
「だって、周りが運命の相手と結婚したり、子供作ったりしてる間、ずーっと年下の運命の相手待ってんの、寂しくない? その間に別の相手と寝たって話はたまに聞くけど、仕方ないよなって」
「おまえ、それ……お義兄さんがやってたら怒るくせに……」
「は? あいつのことお義兄さんとか言うなよ。姉ちゃんの前に相手いたら、あのキレイな海に沈めてやる。いざってときにぶん殴れるように、この一年で体も鍛えてるんだからな!」
小さく笑うハルキを見て、姉ちゃんの旦那のことは頭から追い払う。とにかく、と前置きして、俺はすっぱりと言い切った。
「運命の相手が未成年の場合は、そいつが成人するまで運命の相手だって名乗り出ちゃいけない決まりじゃん。代わりに、待ってる間に誰かと遊んだり、恋愛ごっこしてたって、年下の方が責める権利はないと思うよ、俺は」
姉ちゃんの旦那もハルキも、相手の成人の儀を待ってたのは、誠意も優しさもあるけど、きちんとルールに則っているからだ。それなら、待たせた方も、待たせてた間のことはグレーゾーンにしておくのが筋ってものだろう。
何とも言えない顔をしているハルキに、俺は好奇心全開で尋ねた。
「で。官長と寝た?」
「寝てないよ」
「本当に? 他に相手いた?」
「あの人とはないって。あとは、まあ……相手は違うけど、その、たしなみ程度には?」
「へえ?」
にやつく顔を近づけると、ハルキはうっとうしそうに手を振った。別に気にしないって言ってんのに! しばらくはこれでからかえそうだな。
俺はすっかり薄くなったジュースを吸い上げて、満足して微笑む。
案外俺は、こいつと普通に幸せに生きていけるのかもしれない。