07 「ハルキって、女神のこと好き?」
水色の柄シャツに、謎のロゴが入ったインナー。細身のデニムはぎりぎり許すとして、シューズはなぜか赤い。トマトジュースでもこぼしたかのように真っ赤だ。
「だ、だっさ!!」
「ええ!?」
「何その格好!? だっさ! ありえないだろ!」
戸惑いと驚きが同時に襲ってきて、俺は大声を上げた。非難するように言った後、一拍置いてじわじわとおかしさがこみ上げくる。
「あっはははは! やばい、何その格好! だっさ……!」
「そんなに笑うなよなあ。服を選ぶのは苦手なんだ」
困ったように頭をかく姿が、完全に休日のおっさんだ。ありえない。運命の相手がオシャレでキュートでチャーミングな女の子じゃないのはこの際仕方ないけど、休みの日の父親じみてるのはいただけない。
俺はどうにか笑いを引っ込めて、口元を押さえつつ言った。
「笑って悪かったよ。今日、何したいか決まってんの?」
「いや、特に……」
「じゃあ服選びに行こ! 飽きたら別のことしたらいいし!」
俺は一方的に決めて歩き出した。ハルキは微苦笑を漏らして俺の後を追ってくる。
人の多い公園を出て、市場を横目に商店街へ。白い石畳が朝の光を鈍く反射させて、時折まぶしさを覚える。深い青のフラッグ、渋い赤のオーニング。たまに強烈に食欲を刺激するスープの香り。色んな感覚の波に揉まれながら、慣れた道を歩いていく。いつもの街、普段通りの風景に、ハルキの声が割って入ってくる。
「リクは、この辺によく来るの?」
「来るよ! 友達と学校帰りとか、休みの日の家族と一緒に。ハルキは?」
「来ないなあ。仕事上がって宮殿近くの飲み屋街に行くくらい」
「休みの日は?」
「家か図書館だな」
俺はぶはっと吹き出す。普段遊びに出ないくせに、外でのデートに誘ってきたわけ?
「家デートでよかったじゃん! 無理して外に出なくってもさあ」
「家にいたら襲わない自信がない」
脳髄を揺らした言葉に、俺の足が止まる。突然立ち止ったせいで、前からきていた人にぶつかられて、よろめいた。
ふらついた俺を抱きとめたハルキは、事もなげに俺に注意する。
「いきなり止まったら危ないだろ」
それどころじゃない。
ハルキの苦言なんて右から左。すぐそばにあるぼんやりとした顔を見上げて、呆然と確認する。
「マジ?」
「何が?」
「家に行ったら、俺襲われんの?」
「ああ、そうだな。マジだよ」
俺はさっとハルキから距離を取る。また誰かにぶつかった。すみません、と上辺だけの謝罪をしておく。すみません、今、超取り込み中で。
ハルキは、だから急に動くなよ、なんて文句を言いながら、いかにも俺の連れって感じでぶつかった人に頭を下げている。
いや、マジでそれどころじゃない。俺は変な顔をしていることを自覚しつつ、ハルキに言う。
「しばらくは絶対おまえの家行かねぇ」
「わかってるよ」
「俺の家もなしだからな」
「おまえ実家暮らしだろ。さすがにそこまで野蛮な真似しないし」
「俺が一人暮らししてても、来させねぇよ!」
「わかってるって言ってるだろ」
頭をはたかれた。
「俺のこの天才的な頭脳がポンコツになったら、どうしてくれんだ」
「頭がパァになっても、嫁にもらってやるから安心しろ」
人混みじゃなかったら、叫んでた。
「やめろ! あれやるなよって言っただろ!」
上司の前であらぬことを叫ばれたことを思い出したのか、ハルキは青ざめた顔で訴える。俺はその様子に声を出して笑って、再度歩きだした。
ないことばっかり吹聴しようとすんのやめろよ、などと文句を言いながらついてくるハルキを盗み見て、心の中で一息つく。笑い話にできたよな?
いや、運命の相手なんだから、もちろんそういうの込みになることは、わかってるんだ。それこそ、姉ちゃんだってそういうの覚悟で嫁に行ったのは見てたし。ハルキは俺の成人の儀を待っててくれたんじゃないかって、さっき考えてたところだ。そういうのを求められてることだって、理解できる。
だけどさすがに、俺もまだ覚悟か決まってない!
今すぐ姉ちゃんか友達に相談したい気持ちを堪えながら、俺は必死に足を動かした。
俺が平静を装って人混みをかき分けていたら、不意に頭にぽんと手を置かれた。はっとして仰げば、ハルキが苦笑している。
「一応俺は、自他共に認めるのんびり屋だから」
「のろまの間違いだろ」
「鈍足にだけは言われたくないね。――とにかく、おまえの気持ちの整理がつくまで、待ってるから」
待てる。待ってくれる。
俺は心の中でその言葉の意味を咀嚼して、訊いた。
「誘拐しない?」
「しないよ」
即答だった。
俺は、こっそり一息ついた。よかった。ハルキは誘拐しないでいてくれる。
さらに歩いてたどり着いたのは、俺の御用達の服屋。家は裕福ではないにせよ、そう安い価格帯の店ではないから、ハルキが着る服としても悪くないはず。
ハルキにあれこれと服を合わせて、ダメ出しをして、ゴーサインを出す。自分に似合うのも、上下のバランスも、流行もわかってない奴にそれっぽい講釈をしながら、俺がハルキに似合うと思ったものを素直に伝えていった。
ハルキは俺のマルバツを時に反論し、時に喜びつつ、柔軟に受け入れていった。お互い軽口を叩きながら、面白がって笑いながら選んだ。しかしどうも、ハルキはバランスのとり方が下手なのか、コーディネートセンスは壊滅的なままだった。
休憩のために入った近場のフルーツパーラーで、ハルキはぼやく。
「もういいよ、服のセンスは。上達は見込めないって」
比較的人の少ないオープンテラス。かわいい女性店員にそろって柑橘ジュースを注文して、仲がいいのねと笑われた後、俺たちはだらりとした空気の中雑談していた。
「根性ねえな。もうちょい鍛えたら改善するかもじゃん。俺、毎回だっせえ服の奴とデートすんの?」
ハルキが持ってきては俺にダメ出しされた服を思い出して、俺は忍び笑いをする。ハルキはうんざりしたように首を振って、つぶやいた。
「服を買うときは、おまえについてきてもらうようにする」
「俺でいいの?」
「おまえ以外に誰がいるんだよ」
「それ、友達いないって話?」
からかいを含んで笑ってやると、ハルキはジュースのストローを回してカラカラと氷を鳴らしながら、あっさり言った。
「好きな子の喜ぶ格好しときたいって話」
俺は目の前でジュースに伸ばしかけていた手を一瞬止めた。澄んだオレンジのグラスを改めてつかんで、さっぱりしたジュースを吸い上げる。
結露で濡れた指をすり合わせながら視線を放ると、ハルキは口の端に笑みを浮かべていた。俺は口をとがらせる。
「面白がってるだろ」
「いちいち反応しちゃって、ガキだなあとは思ってる」
「最低の大人だ」
「おまえだって、もう大人だろ」
ガキ扱いするくせにさ! まったく、嫌になるよな。
俺は、厭味ったらしくハルキに質問した。
「そんな底意地悪くて、おまえ友達いるの?」
訊きながら、ふと、ハルキの同僚だというアイセンの顔を思い出した。
「おまえ、職場の奴に俺のこと話したろ」
「ああ、アイセンと成人の儀のときに話したんだって? あいつ、俺の一番仲のいい同期だから」
ハルキ的にも一番仲がいい奴らしい。アイセンは自分に自信がないタイプなのかね。
ハルキは勝手に話したことをまずいと思ったのか、ちょっと申し訳なさそうに言った。
「話されたくなかったか? 悪かったよ……。でも、そんなにプライベートなことまでは……」
俺はわざとハルキの言葉を待っているふりをして、すました態度をとってみせた。
「いいよ。ハルキの話をしてくれたら許してやる」
「俺の話?」
いぶかしげなハルキにうなづいて、俺はジュースを吸い上げる。
「そういえば、先々月、暴漢が入ったって本当?」
「ああー……そんなこともあったなあ」
今日、広場できゃあきゃあ騒いでいた女子の会話を思い出す。
ハルキは何とも言えない笑みを浮かべて言った。
「あれは大変だったな。めちゃくちゃ殺気立ってたし」
「でも、官長が退治したんだろ?」
「えっ?」
「だって女子が言ってたもん。ツェルマ官長が退治したって」
グラスの結露をいじりながら、官長ってモテるんだね、と続ける。言ってから、ふと、聞きたいことがあったことを思い出した。
「そういや、あの官長とやらに、おまえ怒られなかったの?」
「話が飛ぶなあ……なんで俺が怒られるんだよ?」
「おまえの運命の相手が侵入者とかどういうことだー、みたいにさ」
こいつにも職場での立場とか、上司から心証とかあるだろうに。悪いことをしたかなと一応尋ねれば、ハルキはけろっとした表情で首を振った。
「いや、別に。むしろ、宮殿に民間人が入りこめるなんて、アンタッチャブルって雰囲気だったな。報告書もどこまで回覧されたのかわかんないくらいだし」
ちょっとばかり拍子抜けしたけれど、肩の荷は降りた。俺のせいでハルキが悪く言われるのは嫌だしな。
しかし……そんなんでいいのか? 仮にも国で一番重要な建物だろうに。公にするのはまずいってのが先に働くのは、権威の問題かな。
神託を受けて、泣きながら出て行った女子がいたように、女神に運命を狂わされたって思ってる奴らも少なからずいる。「運命の相手」は、必ずしも「良い」存在とは限らない、って主張する奴もいるくらいだからな。神聖不可侵の宮殿に侵入者だとか、女神が簡単に会いに行ける存在だって思われるのは、官吏の奴らからすると都合が悪いのかもしれない。
俺は、はたと思い当たって、ハルキに確認する。
「ハルキって、女神のこと好き?」