45 「全員そろって失業したいんですか?」
「テセル、なるべく楽に逝かせてやれ」
容赦なく官長の指示が飛んで、テセルの両手が俺の首にかかる。暴れようと身をよじって視界に入った女神は、凪いだ瞳で俺を見つめるだけだった。
気道を押さえられて、喉から潰れた声が飛び出す。わずかに怯えたような女子と鍵屋の視線を浴びて、怖いならこんなことするなよ、と胸中で毒づいた。
官長がギオンの肩を抱く。
「さあ、ギオン。長年苦しんできた君が報われるときが来た。女神を壊す大役は君にあげよう」
官長からハンマーか何かを受け取ったギオンが、ふらりと女神に近付いていく。ダメだ、ダメだ。取り返しがつかなくなる。
喉を圧迫されて、肺に酸素が入らない。かすむ視界で、ギオンが鈍器を振りかぶる。
「壊せ!」
誰のものともつかない号令が響く。ガラスケースの中で、ただ判決を待つ罪人のように、女神が俺を見つめていた。
次の瞬間、響き渡ったのは、ガラスケースの割れる音じゃなかった。錆びついた扉を無理に動かす音がして、倉庫内の全員の意識が、出入口へと集まる。
そこには、月夜の光をバックに立つ、2つの人影があった。
出入口の制服が慌てて身構えるも、闖入者の動きの方が早かった。闖入者の1人は制服の脇腹に一発蹴りを入れて、よろめいた横っ面に右ストレートを叩きこむ。制服は、あっという間にその場に崩れ落ちた。
闖入者のもう1人が、控えめな拍手を送る。
「いやあ、お見事。さすが、前回の女神盗難を果敢に防いだ功労者なだけはある」
「おまえもちょっとは手伝えよ」
「私はほら、怪我人なので」
聞き覚えのある声に、涙が出そうになったのは内緒だ。それよりも、手品のような早業で人ひとりをのしてしまった、まさかの凄腕に驚く。
俺よりも2人をよく知る制服か、官長の苦々しげな声がその場に落ちた。
「ジストリス記録官、ファルマン監査官……!」
「随分楽しそうなことをやってますねえ。女神の破壊だなんて、全員そろって失業したいんですか? 私が定年してからやっていただきたいのですが」
いつものようにどこかずれた発言は、アイセンのものだ。不測の事態に驚いてゆるんだテセルの手の下で、俺は笑いをこぼす。
続いて、必死さのにじむ鋭い声が飛んできた。
「リク! 無事か?!」
はっとしたテセルが、俺に目を戻す。俺は再び首を絞められる前に、目一杯声を張り上げた。
「助けて、犯される!」
「許せねえな!」
ふざけて返してくれる程度には、情は残してくれているらしい。へらりと笑った瞬間に、テセルの手に力がこもる。ぐ、と喉を潰されて、再び空気が遮断される。
「ぅ、ぐ!」
「リク!」
短く叫んで、ハルキがこっちに向かって駆けてきた。官長に指示されるまでもなく、倉庫内にいた制服たちが、一斉にハルキを取り囲む。足止めを食らったハルキは、吠えるように叫んだ。
「邪魔だ!」
ハルキに飛びかかった制服より早く、ハルキの重そうな蹴りが制服のみぞおちに飛ぶ。その体重移動を利用して、別の奴に左ストレート。すぐさまかがんで、寄ってきた奴らに足払いをかけて、体を起こす。懲りずに向かってきた奴らの腕を避けて、カウンターをあごと鼻っ柱に一発ずつ。倒れていく制服たちを乗り越えて、ハルキはこちらに向かってきた。
ハルキは、開いた道を助走のために駆け抜けて、飛び上がる。
俺の息の根を止めようとする奴の向こう側に、好きな奴が見える。こんな光景、きっと一生に一度だろうな。あんなハルキの、顔を見るなんて。
ハルキの足が、テセルの首元をさらっていく。強い衝撃に薙ぎ払われて、テセルは横へ吹っ飛んだ。コンテナを突き崩したような音と共に、女子の悲鳴が上がる。
一気に流れ込んできた酸素をうまく吸いこめずに、大げさなくらい咳きこんだ。押さえつけられてしびれそうな足も、縛られたままで痛む腕も、脳は知覚してくれない。まずは呼吸だ。
見事着地したハルキは、転がるような勢いで俺の傍へ来た。
「リク、大丈夫か!? しっかりしろ!」
勝手に跳ね上がる喉を宥めすかして、苦しい息の下でハルキに笑いかける。
「どうしたの……めちゃくちゃカッコイイじゃん」
「惚れ直したか?」
「馬鹿」
訊かれなくても、と言葉にできなかったのは、咳きこんでうまく喋れないからだ。
闖入者の鮮やかな手さばきに呆気にとられていた官長は、ようやく我に返ったように言った。
「どうしてここがわかったんだ」




